ダライラマ。 チベットの瞑想

ダライ・ラマ14世の『人生で大切な18ヵ条』深い言葉が心に響く

ダライラマ

2歳でダライ・ラマ としての人生が始まる ダライラマ14世は1935年にチベット北部にあるアムドで生まれました。 家は20軒ほどの小さい集落村にあり、農家を営んでいました。 ダライラマは9番目の子どもで、 願いを叶える女神の意味を持つラモ・ドンドゥップという名前をつけられました。 そして2歳の時、先代ダライ・ラマ13世が亡くなり、 次なる転生者として選ばれることになります。 「ダライ・ラマ」とはチベット仏教の法王の尊称であり、 輪廻転生を繰り返す存在として先代が亡くなると、その遺言や特徴などから次なるダライ・ラマが見出されるのです。 こうして彼はダライ・ラマ14世となり、家族と共に チベットの首都ラサに移住することとなります。 そして6歳の時から仏教哲学や医学など様々な教育を受けるようになります。 中国の軍事介入により23歳でインドに亡命 ダライ・ラマは1954年に北京を訪問し 毛沢東や 鄧小平と和平についての会談を行うも情勢は良くなることはなく、軍事圧力によるチベット民衆の負の感情は拡大、1959年には中国に対する チベット蜂起が起こりました。 これにより中国はダライ・ラマを誘拐するのでは、という情報も流れ、ダライ・ラマはチベット国外に脱出することを決断します。 そして同年、隣国の インドに亡命しました。 中国の侵攻によりダライラ・ラマだけでなく、多くのチベット人が国外に亡命し、難民となっていました。 インドにも多くのチベット人がおり、ダライ・ラマはすぐにインド政府に掛け合い チベットの子どもたちの学校設立の協力を求めました。 世界中でチベットの現状と平和を訴える 以降ダライ・ラマはインドを拠点にチベットの平和を求め、国際的に目を向けられていなかったこの問題に注目してもらうため、国連でそれを表明し、また1987年ではアメリカの連邦会議において「 チベットのための五項目和平プラン」を発表するなど世界各地で精力的に活動を続けました。 ダライ・ラマは非暴力による平和的な解決の姿勢を強く持っており、それは国際的にも大きく指示されまいた。 そして1989年には ノーベル平和賞も受賞することとなりました。 2019年現在、84歳になるダライ・ラマ14世ですが、2011年には政治的権力を委譲する声明を発表しますが、その思いは変わらず チベットの平和と世界の平和に向けられています。 ダライ・ラマがその名の人生を決められたのは 2歳という幼子の時でした。 チベットの田舎村のごくごく一般的な家庭に生まれながら、ダライ・ラマとして認定されてからは彼の人生は一変し、チベット仏教の象徴として生きることを決められました。 チベットでは チベット仏教は国教とされており、国民のほとんどがその信者です。 また宗教指導者だけでなく、政治的な部分でも国内や海外諸国との外交など、多くのものを求められる存在でもあります。 ダライ・ラマは23歳という若さで国を追われながらも、苦しんでいる同民族のことを常に思い、チベットの 高度な自治権を目指す活動を続けてきました。 そしてそれは常に非暴力に根差したものであり、彼のその思いはチベットだけでなく、 世界人類にも向けられています。 それはダライ・ラマの「 私たちはこの世界において皆で協力して生きています。 だから、どれだけ他人の役に立てるかを、人生の目標にもってこなくてはなりません。 」という言葉からも感じることができました。 人を思いやり、人の幸せを願った人。 それがダライ・ラマ14世という人でした。 今回のダライ・ラマの名言で心に残ったのが「 誰もが生まれつきの敵であったり、友であったわけではありません。 『敵』も『友』も、自分が人々とどう接するかで生まれるのです。 」という言葉でした。 ノーベル平和賞を受賞するなど、ダライ・ラマの活動は常に平和を意識したものでした。 命を狙われる立場でも非暴力を貫き、チベットだけでなく世界規模での平和へと向かう方法を提示していまいした。 この言葉もそんな彼の姿勢をとてもよく表してり、 本質的な内容であると感じさせられました。 意識的であれ、無意識であれ、人間は誰しも自分の心のフィルターを通して他人を見ています。 特に出会って間もない人などは少ない情報量のなか、「 こんな人かな」という予想を立て接することもあるかもしれません。 人間関係が軽薄になっていると言われる現代で、人を信じることも難しくなっていると感じることも多いです。 しかし他人を見ているのはどこまでも自分であり、その人をどう位置付けるかも 他人ではなく自分の心が決めることです。 「友」とみるか「敵」とみるか。 自分の捉えかたでその態度は大きく変る。 融和への握手となるのか人を傷つける拳となるのか。 同じ手を使った行動でも心のあり方でその方向は大きく違ってくるでしょう。 最後に決めるのは自分。 その決断を人を傷つけるものではなく、楽しませたり喜ばせるものにしていくこと。 その 小さくても前向きな決断が明るい人間関係と社会を作っていくのかなと、ダライ・ラマの言葉に触れて感じさせられました。 ミカタ は自分の態度で決まる。 非暴力でチベットの権利を訴え続けたダライラマ14世の言葉からそれを学びました。

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ダライ・ラマ14世の名言

ダライラマ

【ダライラマ ラサに帰還する】 チベット国民「ダライラマ!!帰ってこれてよかった!!おかえりなさい!!」 ダライラマ「ありがとう!!! 毛沢東と友好的にしていたおかげか、チベットの状況はそんなに悪くなっていなかったみたいだ。 よかった。 やはり、あの国に手助けしてもらうしかない!!」 ダライラマは1955年の夏、ようやくラサに帰国します。 たくさんのチベット国民がダライラマの帰還に安堵しました。 ダライラマが中国で毛沢東とうまくやっていたおかげか食料難は以前より改善し、状態は良くなっていました。 しかし、水面下で中国によるチベット国民に対する反宗教的な再教育 僧や尼に生き物を殺させたり、反抗的な僧侶をつるし上げて、国民を集め僧の悪口を言うことを強制させたりした のことを知り、このままではチベットは完全に中国に支配され、チベット国民とチベット仏教は絶滅してしまうと悟ると、ダライラマは一筋の希望を求め、インドへ行く決意をします。 【ダライラマ インド首相ネルーと対談する】 運よく中国当局からインドへ行く許可をもらってダライラマはニューデリーで首相のネルーと対談する ダライラマ「初めまして!ネルー首相! 毛沢東と比べると自信たっぷりという感じではないけど、専制君主的な雰囲気は一つもないなぁ。 もちろんあなたも一緒にだ」 ダライラマ「・・・・・・・わかりました。 お願いします」 亡命や支持を求めにインドに来たダライラマにとって、ネルーの返事は非常に残念なものでした。 ここにはスパイや反乱分子がたくさんいる。 今すぐラサに帰りなさい」 ダライラマ「くっ・・・・」 ネルー「すまんね。 ダライラマ君。 君には協定に基づき、中国と上手くやっていくしか道はない。 インドは力になってあげれないんだよ。 周恩来の言う通り、今すぐラサに帰りなさい。 国民たちが不安になっていますよきっと」 ダライラマ「はい・・ただカリンボンによってから帰りたいです」 ネルー「ははっ!!もちろんいいとも!!!インドは自由の国です!あなたは我が国の法を何一つ破っていないのですから!」 周恩来と対談したダライラマですが、話は中国にいたころからほとんど進みませんでした。 また、周恩来はダライラマに亡命にチベットから逃げられたくないため、速やかにラサに帰るように促します。 これに対してダライラマは反対しましたが、インドでの滞在では何一つ成果を得ることができませんでした。 【帰国すべきか亡命すべきか】 カリンボンに向かったダライラマ一行。 その中にはダライラマの兄が二人とお告げし、料理長など様々な人物がいた。 その中で帰国すべきか亡命すべきは未だにもめていた。 そんな中、ルカンワ 前首相 がダライラマに会いに来た ルカンワ「お久しぶりです。 ダライラマ14世。 」 ダライラマ「え、ルカンワ!?なんでここに!?」 ルカンワ「巡礼を装って何とかチベットから抜け出してきました。 」 ルカンワ「それよりダライラマ。 やはり、無理を言ってでもインドに亡命させてもらうべきです。 次チベットに帰れば、もうチベットから抜け出せなくなるかもしれない」 ダライラマ「そうかもしれないが・・・ネルー首相には手助けはできないと言われたし・・」 兄「その心配はいらない。 ブッタガヤにいる間にたくさんの親チベット派の政治家にあってきた。 彼らは独立を支持してくれる!亡命の手助けもしてくれるだろう!!」 ダライラマ「だが・・」 お告げ師「ダライラマが亡命するですって!!!それはダメです!!!亡命は不吉な予感がします!!!今すぐ帰国するべきです!!」 ルカンワ「占いは今はいいからwwwwwwww」 兄「とにかく今は亡命が最善の道だ。 お前が生きていれば、チベットは復興できる!インドにいれば外国の支持を求めることができる。 私はさっきアメリカのCIAと接触してきた。 うまくいけばアメリカの力も借りることができるだろう。 」 兄「頼む!ダライラマ!!兄とルカンワの一生で一度のお願いだ!!!インドに今から亡命してくれ!!」 ダライラマ「私は・・・・・・・・・・それでも今チベットにいる国民を見捨てて亡命することはできない。 今亡命すれば、彼らはさらにひどい目にあってしまうだろう・・」 ダライラマ「彼らは私の帰りを待っている・・・私はラサに帰るよ・・・・・・・・・・・・」 兄・ルカンワ「ダライラマ………………」 ダライラマの兄と前首相のルカンワは外国の支持を得て、チベットを立て直すため、アメリカのCIAと接触したり、親チベット派の政治家たちに協力して亡命の手はずを整え、ダライラマに亡命するように説得しました。 しかし、ダライラマは二人の説得を振り切り、残された国民のためにラサへの帰還を決意します。 最終的に1957年三月末、ダライラマ14世一行はラサに旅立ちました。 【絶望的な状況】 ラサに帰還したダライラマ。 彼は中国と上手くやっていく道を選んだ ダライラマ「国民たちよ!私は中国がチベットを援助するために入ってきたという言葉を信じてる!!!」 (しかし、各地ではゴンポ・タジというチベット人指導者を中心としたチベット解放軍による中国人を対象としたゲリラやテロが多発していた) 中国当局「ダライラマよ。 あのテロリストどもに武器を捨てるように言え」 ダライラマ「・・・・わかりました・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ダライラマは武器を捨てるように声明を出しましたが、ほとんど効果はなく、チベットはほとんどダライラマの手に余るものとなっていった (連日チベット解放軍の数はまし、それに対して中国軍側の反撃も過激なものになっていった。 国際法委員会が出した報告書を読んだダライラマは、磔や生体解剖、拷問などを受けるチベット人たちのことを知り絶句。 彼らは処刑の最中に「ダライラマ万歳」と叫んでいたという記録もある。 ) ラサの様子は中国が侵略してきたときと大きく変わり、共産党の官僚が済むための新しい地区ができたり、病院や学校、軍隊の宿舎などができていった。 これらの施設はチベット人はほとんど活用することができず、彼らの職を奪っていった。 チベット人はどんどん追い込まれていった。 しかし、皮肉なことにダライラマの生活は中国側の態度が強くなってきたこと以外ほとんど変わりがなかった。 【絶望の淵】 ダライラマはノルブリンカ宮殿からラサに帰ってきた。 彼はそこで、さらに悪化したラサの状況を目にする ダライラマ「なんてことだ。 中国の残虐行為から逃れてきたと思われる。 国民が難民となってラサの郊外で野宿している」 ダライラマ「私には何ができる?いっそのこと中国と全面対決するべきか・・・」 ダライラマ「いや、それは悲劇しか起こらない・・・・・」 ダライラマ「責任感が重い・・・・・私は国民を励ますことしかできないのか・・・・」 1958年。 ダライラマは自国が少しづつ侵略されて行っているのを見ているしかできませんでした。 彼は無力でした。 【怒り爆発。 大規模デモ勃発】 そんな時ついに事件が起こる。 中国当局がダライラマを観劇に誘った。 チベット国民1「なんでも中国当局はダライラマに護衛をつけるなと言い出したらしいぞ!」 チベット国民2「これは事件だ・・・ダライラマがさらわれてしまうかもしれないぞ・・」 チベット国民3「なんだって! ダライラマ「朝だ。 おはよう。 なんか外がうるさいな。 そして、事件が起こる チベット国民「おいっ! 今までの非道な行いにより民衆の怒りは頂点に達していたのだ。 」 ダライラマ「これしかないな。 不甲斐ない私を許してくれ国民たちよ・・・」 ダライラマはお告げ師のアドバイスもあり、群衆を救う唯一の方法は脱出しかないとし、亡命を決意します。 【一世一代の大脱出】 脱出は侍従長と総務長官、個人家庭教師などの官僚、ダライラマの家族とごく少数で行われることになった。 スパイが数多くいるため大勢だとばれる可能性が上がるからである ダライラマ「作戦は簡単でシンプルだ!群衆に紛れてみんなバラバラになって宮殿を出ていく。 抜け出したら、キチュ河の南岸にある尼僧院に集合だ。 」 日が暮れ脱出をするときがきた ダライラマ「最後に私の守護神である、マハーカラを祭った寺院にいっておこう」 ダライラマ「どうか、この旅路とチベット国民を守ってください」 ダライラマ「いつか絶対帰ってきます。 」 ダライラマはチベットへの帰還を決心し、命からがらインドへ亡命しました。 この脱出劇は生涯で心底恐怖を味わった体験だったとダライラマは語っています。 それもそのはずです。 もし中国兵に見つかれば悲劇しかないのですから。 彼のインドでの亡命生活は今なお続いています。 カテゴリー•

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ドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」公式サイト

ダライラマ

法名は「テンジン・ギャツォ」。 チベット亡命政府「ガンデンポタン」の指導者も務めており、宗派を超えて大きな影響力をもつ人物。 1989年に、世界平和やチベット国家の平和樹立の運動が高く評価され、が贈られている。 ダライ・ラマ14世の名言集 どんな大きな流れも、 きっかけは一人の小さな行動から 生まれます。 もしあなたが 「自分には大したことなど出来ない」 と思ってしまったら、 それは世界にとって 大きな損失となるのです。 何事かに九回失敗したとしても、 それでも、 九回の結果を生んだではないか。 他人の何千もの 欠点に目をつけるより、 自分の唯一の欠点に気付くほうが、 よほど役に立ちます。 自分の欠点なら、 わたしたちは自信をもって、 修正できる立場にあるのですから。 自分に親切でなくては、 他人にそうあることはできません。 他人に愛情と優しさを感じ、 彼らが幸福で苦しまないことを望むには、 同じことをまず 自分自身に願わねばなりません。 人類はある意味で、 地球の子供なのだ。 真の幸せは、 心の平安と充足感から 生まれるものであり、 それは愛他主義、 愛情と慈悲心を培い、 そして怒り、自己本位、 貪欲といったものを、 次々と根絶してゆくことによって、 獲得できるものです。 わたしたち人間には、 愛や思いやりを 称えられる能力があります。 このささやかな能力こそ、 人間のもっとも大切な 天分だとわたしは思うのです。 大きくなるにつれて、 愛情、友情、 助けあいということに、 あまり重きを置かなくなります。 人種、宗教、国籍といったことが 大切になってくるのです。 もっとも大切なことを忘れ、 どうでもいいことに 重きを置くようになります。 哲学にはいろいろありますが、 基本的に重要なのは、 思いやり、他人への愛、 他人の苦しみの気遣い、 そして身勝手さの排除でなのです。 思いやりの気持ちは、 この世でもっとも重要なものであり、 人間のみが持つことができるものです。 優しい心や温かい心を備えていれば、 幸せで、満ち足りた状態になれる。 そして、友人たちも友好的で 平和な雰囲気を味わえることでしょう。 これは国籍・文化・宗教に関係なく 言えることです。 1年に1度は、 これまであなたが 行ったことのない場所に、 行くようにしなさい。 あなたが欲しいものを 得られないということは、 時として素晴らしい 幸運の巡り合わせであることを、 忘れてはいけません。 沈黙は時として 最高の答えになる、 ということを忘れないように。 あなたが勝利を 得ることが出来なくても、 そこから学んだことまで 捨てる必要はないのです。 幸福は思いやりの心から 生まれるものであって、 怒りや憎しみからは 決して生まれることはないのです。 自分のことしか考えない人は、 苦しみのうちに人生を終えます。 誰もが生まれつきの敵であったり、 友であったわけではありません。 「敵」も「友」も、 自分が人々とどう接するかで 生まれるのです。 自分には出来ないなど考えていたら、 どんなことだろうと 達成することはないでしょう。 自分には出来ないという考えこそが、 自分を失敗へ導いてしまうのです。 欲望は、 海水を飲むことに似ています。 飲めば飲むだけ、 喉が渇くのです。 心は、水のようなものです。 嵐で乱れれば、 底の泥が浮き上がって水は濁ります。 しかし、水の本質は 汚いものではないのです。 ダライ・ラマ14世の名言 一覧• そのため、他の名言サイト様とは表現が異なる場合がありますのでご了承ください。

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