どろろ 最終 回。 TVアニメ『どろろ』第24話(最終回)「どろろと百鬼丸」感想・作品情報[ネタバレあり]│Hi.アニ!

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どろろ 最終 回

この物語は主人公である 百鬼丸が、産まれながらにして体と人間性を失い、それらを取り戻すための話だと私は思います。 鬼か、人か。 この作品のキャッチコピーとして、本編や公式HP等でも使用されていた印象的なフレーズです。 この言葉のように、百鬼丸が自らの体を取り戻すためには、人間や妖怪を斬らなければなりません。 物語の中でもこの問答は常に行われていました。 特に1クール目の山場である「守小唄の巻(5話と6話)」では、 ミオという少女を襲った連中を、百鬼丸が問答無用で斬りつけます。 人を斬り、まるで鬼神のように慟哭する百鬼丸。 鬼神とは、百鬼丸の体を奪い、その部位を宿した妖怪のことです。 人間になりたいのに、まるで獣のように鬼神や人を斬る百鬼丸は、果たして何者なのだろうか? そして1クール目のラストである「ばんもんの巻(11話と12話)」では、百鬼丸を犠牲にする代わりに平穏が訪れた 醍醐の国の者たちと戦います。 生きたい。 ただそれだけなのに多くの命を犠牲にする百鬼丸と、醍醐の国の時期領主で百鬼丸の兄でもある 多宝丸。 物語は徐々にこの二人の「正義」による戦いにフォーカスしながら、最終回へと進みます。 百鬼丸と多宝丸 そもそも、百鬼丸はどんな人間なのでしょうか? 百鬼丸は物語の冒頭から、 どろろという少女と行動を共にするようになります。 「守小唄の巻」で百鬼丸が我を忘れて鬼神になりかけた時、それを止めてくれたのはどろろでした。 やめろ、やめてくれ兄貴!鬼になっちゃダメだ! 百鬼丸を動かすものは常に「怒り」か、もしくは「満たされなさ」です。 しかし百鬼丸は、どろろのおかげで「心」を知ったのです。 百鬼丸は体がないから、いつも不確かで不完全な存在です。 彼には確かなものなんて最初からなくて、だからこそ求めている。 それを奪うものは許せないけれど、でも彼の「体」への執着はきっと普通の人間には分からないのです。 なぜなら百鬼丸はずっと、 個人的な理由で戦っているからです。 一方、百鬼丸の兄である 多宝丸について。 百鬼丸とは対照的に、多宝丸(と父親の景光)はずっと「他者(国民)のため」に戦っています。 しかしそれは隠れ蓑で、その後ろには「プライド」や「自己顕示欲」のような個人的な感情も少なからずあるはずです。 つまりは綺麗事を並べただけで、彼らは百鬼丸と同じ存在なのだと私は思います。 「正義」と「正義」 百鬼丸とどろろは2クールをかけて、お互いの距離を縮めていきます。 自分以外に対しては無関心だった百鬼丸が「鵺の巻(20話)」にきてようやく、どろろのおかげで景色に興味が湧いてくるのです。 「うんうんうんって、本当に聞いてんのか?」 「うん。 だからもっと聞きたい。 どろろの話」 しかしそんなどろろを、百鬼丸は義手であるが故に助けることができない状況に陥ります。 自らのために体を取り戻そうとしていた百鬼丸が、初めて他人のために己の手を欲しがる。 これは国民のために戦いたいと願った多宝丸と、同じなのではないでしょうか? どちらが勝っても犠牲は大なり小なり出てしまう。 でもきっと、それが「正義」なのかもしれません。 物語の終盤、鬼神によって多宝丸の付き人(兼友人)である 陸奥と 兵庫に百鬼丸の腕が一本ずつ、そして多宝丸には百鬼丸の目が与えられます。 百鬼丸は体を取り戻す必要があるし、そのために醍醐の国を滅ぼし、多宝丸を斬らねばなりません。 多宝丸も同じく、国や兵庫や陸奥のために、実の兄を斬らねばならないのです。 どちらかを倒すまで終われない戦い。 もし百鬼丸が勝ったとしても、すでにその手は多くの血で濡れています。 人になるために鬼に近づいた百鬼丸は、最終的にどのような決断をするのか?どちらが勝利するのか?この物語はどいういった結末を迎えるのか? それらは全て、最終回まで描かれずに物語は進んでいきます。 本当に、この23話までがとても面白かったのです。 まさかハッピーエンドだけはないだろうと。 それを描くにしても何らかの納得のいくような描写があるのだろうと。 そう期待しながら最終話を待ち望んでいたのです。 話は変わりますが、過去に『仮面ライダー龍騎』という作品がありました。 「戦わなければ生き残れない」という印象的なキャッチコピー通り、『龍騎』ではそれぞれの登場人物が自らの「正義」のために戦っていました。 『龍騎』の中で戦っていたキャラクターたちは、最終回でそれぞれの「正義」をぶつけ合い、その結果ある一人の男が生き残りました。 そんな『龍騎』のように、『どろろ』も最後にはきっとそれぞれの「正義」に決着が着くのだろうと思っていたのです。 生き残るべきではない理由 その結果、生き残ったのは 百鬼丸でした。 それぞれの「正義」のために戦った二人は、百鬼丸の勝利という形で決着がついたのです。 「なぜ……なぜ外した。 今の一太刀、私の首も落とせたはず。 なぜ……」 「わからない。 ただ、同じだ。 お前も。 お前は、人だ」 そう言って、百鬼丸は 多宝丸の中から出てきた鬼神を倒すことで完全な体を取り戻します。 百鬼丸は多宝丸を 斬らず、そしてまた多宝丸も百鬼丸を 斬らなかったのです。 斬るということは、責任なのだと思います。 全てを背負って最終決戦に臨んだ二人は、その 責任を果たすことなく戦いを終わらせました。 そして体を取り戻した百鬼丸は、なぜかどろろを置いて一人で流浪の旅に出ます。 その理由は語られないまま、どろろ曰く「何かボソボソ喋って」一人でどこかに行ってしまったのです。 さらに百鬼丸が体を取り戻すことによって失われた醍醐の国は、 どろろの両親が残した莫大な金により再建します。 正直私は、百鬼丸が最後に敗れてもいいとさえ思っていました。 もちろん負けて欲しくはないけど、それしか決着がつかないだろうとも思ってました。 もしくは多宝丸が敗れ、業を背負った百鬼丸が一人で修羅の道を歩き出す。 そんな覚悟もしていました。 しかしこの物語の最後は、体を取り戻した百鬼丸がふらりと旅に出たあと、ミオから預かった種籾が生い茂る醍醐の国で、美しく成長したどろろと再会することを暗示させる…というものでした。 百鬼丸は体も、人としての尊厳も、自由も、何もかも得たまま生き続けるのです。 百鬼丸が身体を取り戻すことは、業の塊だと私は思います。 それは多宝丸も同じで、とても利己的で傲慢なことです。 しかし、それは何も悪いことではありません。 問題なのは、百鬼丸が人としての心を失ったままだということです。 彼が生き残った末に得たものは、幸せだけなのでしょうか? 多くの人を犠牲にしてしまったこと。 そしてその犠牲の上に自分が成り立っていること。 百鬼丸はそれをきちんと理解しているのでしょうか。 理解した上で旅に出たというのなら、なぜその描写が一切なかったのでしょうか。 もちろん百鬼丸は、生まれた時から体を失っていました。 でもそれを取り戻して万々歳、とはならないと思います。 十字架を背負って生きていかなければならないのだから、普通の人の何倍も苦しいはずなんです。 でも目を取り戻した百鬼丸にとって空は綺麗だし、どろろも綺麗なんです。 そして同時に、醍醐の国が綺麗ではないことも分かっているのです。 身体を取り戻したのなら、「心」も人に近くなるのではないでしょうか。 「国がどうなろうが関係ない」と言っていた百鬼丸が体も心も取り戻した先には、後悔や悲しみや苦しみがあるんじゃないのか? 百鬼丸は生き残ったのに、なぜその描写が一切なかったのか。 これは多宝丸が生き残ったとしても同じことです。 この記事のタイトルのように「生き残るべきではない」というのは言い過ぎなのかもしれません。 正しく言うのならば、 百鬼丸が生き残るのなら「体が失われてしまった過去」ではなく「取り戻したために奪ってしまった未来」に対してそれ相応の代償を払って欲しかった、ということです。 いくら最初に体を奪われたからそれを取り戻したとはいえ、百鬼丸の業がプラスマイナス0になるというわけではないでしょう。 これまでに百鬼丸は多くの犠牲を出してしまったはずです。 だからその上で、彼には足掻いてみせて欲しかったのです。 その生き様を、最後にしっかりと伝えて欲しかったのです。 それができないのなら、生き残って欲しくなかったと私は思います。 もしくは、多宝丸をきちんと自分の手で葬って欲しかったのです。 その先の「答え」 もちろん「百鬼丸は苦しみ続けて一生を終えろ」と言いたいわけではありません。 ただ私は、その先にある 「答え」に辿り着いて欲しかった。 物語の最後に、製作者が導き出した『どろろ』という作品についての「答え」さえ示してくれたら。 百鬼丸が最後に思いや感情をぶつけてくれさえすれば、私はそれで良かったのです。 鬼か人かの問いかけに、この作品なりの「答え」を導き出して欲しかった。 私が言いたいことはただそれだけです。 でもこれが「答え」だと言うのなら、何か大人の都合があったのかと思わざるを得ません。 今後のコンテンツ展開の関係なのか、尺不足なのか、はたまた原作サイドの要望なのか…しかしそんなものは、私には知る由もありません。 仮にもしこれが全力で考え抜いて出した「答え」なら、百鬼丸は人間ではなく絵空事のヒーローか、ただのお人形だと思います。 私は最後に「人間」としての百鬼丸の、泥臭さやカッコ悪さが見たかったのです。 私はリメイク版『どろろ』は、一生心に残る作品になると信じていました。 そのくらい、このリメイク版で生まれた百鬼丸やどろろというキャラクターや設定は本当に魅力的で、素晴らしいものだとさえ思いました。 私は最近、『仮面ライダーアマゾンズ』についての記事を書きましたが、それと同じような感情を『どろろ』の最終回を見て抱きました。 私はこの作品に期待していたのです。 この作品を通して新しい可能性を提示してくれるのではないかと、価値観を示してくれるのではないかと、期待しすぎてしまったのです。 そういった意気込みの現れが『どろろ』のキャラクターデザインなのだと、あの尖ったOPなのだと私は捉えてしまっていました。 鬼か、人か。 その先の「答え」は私の幻想に過ぎなかったのだと、最終回を見終えた今、改めてそう思います。 でももしかすると、そんなものは視聴者も製作者も誰も求めていなくて、私だけがたった一人それを望んでいたのかもしれません。 そしてこの結末こそが、「新しい価値観」だったのかもしれません。 この記事は、この作品が好きな人や、製作者を否定する意図で描かれたものでは決してありません。 この作品の素晴らしい世界観とキャラクター達に出会えたことは、とても嬉しかったです。 しかし私はその最終回に納得することができなかった。 その先の「答え」を見ることができなくて悲しかった。 これはただそれだけの記事です。 とても個人的なことを、自分のためだけに書いたのです。 私は新しい価値観を求めるフリをしながら、ずっと古い価値観を大切にしていたのでしょう。 ようやく最後の最後で、自分が何を求めていたのかが分かった気がします。 だからきっと私は、一生この『どろろ』という作品について考えてしまうのでしょう。

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どろろ4巻ネタバレ最終回!性別は女の子で百鬼丸の旅の行方と結末

どろろ 最終 回

どろろ全24話視聴完了しました。 手塚治虫の原作は結末らしい結末が無い作品でしたが、今回のアニメでは決着は一通りちゃんとつきました。 そのことは良かったけど、全体的なストーリーも概ね良かったけど、決着の形は不可解だったというか私はどうも消化できずにいます。 その原因は、どろろの世界のルール、ひいては 鬼神の約定のルールがかなり 過酷で理不尽なものだったからだと思います。 世界そのものが理不尽だから登場人物の行動や心情も「え~?そうか~?」って不可解に感じたのかなと。 単純に言うと、最終回、まず、 縫の方と 寿海と 多宝丸が 燃え盛る城に残ったところが理解できませんでした。 抜け穴があるんだから、 百鬼丸と どろろと一緒にみんなでそこから脱出したら良かったじゃんと。 ここが本当に、理解に苦しんでいます。 なんとか解釈しようとすると、縫の方と寿海は意図的に火事場でチンタラやっててちょっと火が回るとすぐ諦めて悟ったような顔をして「ここで死のう」としてて、 つまり自殺を選んだのかな、となるわけです。 となると今度は自殺するほどの動機がないといけないわけで、かろうじて縫の方には「かつて我が子を見捨てた罪の意識」があるからと解釈できなくもないのですが、寿海と多宝丸はちょっともう全然分かりません。 寿海は昔侍だったころに他人を惨殺しまくった過去があるのですが、仮にこれが動機だとしたら、殺人の罪の意識で死のうとする奴が、同じような業を背負ってる百鬼丸には「生きろ」って言うの、おかし過ぎません? 多宝丸は、もう百鬼丸との決闘で力尽きて縫の方に 無理心中させられたとしか思えませんでした。 せっかく百鬼丸からはとどめを刺されずに済んだのに。 彼こそ生きて醍醐の国を立て直す使命と価値のある男なんじゃないの? 縫の方(と寿海)は死に物狂いで抜け穴のがれきをどけて多宝丸だけでも脱出させてあげるべきでした。 どう考えても。 いや自分達も生きようとすべきでしょう~。 生きようとしろよ!!! この三人の死は本当に、肯定的な解釈が全然できずにいます。 私が何か放送中に出た解釈の材料を見落としてるのかなあ???彼らの死を納得できるだけの材料。 そしてもう一つ、体のパーツを全て奪還した 百鬼丸が一人で旅に出た気持ちもいまいちよく分かりませんでした。 なんか安い少女漫画の最終巻で両想いのカップルの片っぽが「好きだからこそ一旦距離を置こう」とか急に言って外国に行く展開を見てるような気分。 琵琶丸が多少解説してましたが、ここがまさにこの世界のルールを理不尽に感じたところです。 この世界はどうも、人が人を殺すと鬼神の修羅の赤いダークサイドに染まっていくルールなんだそうです。 しかし百鬼丸は確かに激情で以って何人も人を殺しましたが、殺したのは横暴な侍とかであって罪のない人を惨殺したわけではなくて、私にはこれが 人の道を外した所業だとはどうしても思えませんでした。 ましてや昔の戦国時代。 現代社会とは「やらなきゃやられる」度は比較になりません。 でもこの世界では百鬼丸の殺人も、彼自身が贖罪かなんかの旅をして禊でもしなきゃいけないほどの罪深いことのようです。 以前のブログでも書きましたが、この世界は、人が人でいられるための制約があまりにも厳しすぎて、悪人や鬼神にとって都合のいい世界観過ぎると思いました。 百歩譲って百鬼丸には「殺人の罪を背負って、これからの人生は人として世のため人のため生きる」ことが必要だとしても、それって別にどろろと普通に一緒に暮らして新しい国造りに尽くすことでも良かったんじゃねーの?って思いました。 あと話が少しずれますがどろろの国造りの思想もフワッとしてるなあ~って感じでした。 侍が幅を利かせて農民とかが搾取される世の中を変えるとしても、それで新しい国を自分たちで作るとしても、武力や防衛の概念を完全否定できるわけもないから結局国を維持するために武装した兵士は不可欠で、ただそれを「侍」と呼ぶかどうかの違いしか無さそう。 ……とまー、なんか洒落臭いことをぐちぐち書いた私なのですが、決してこの作品は「出来が悪かった」と思ってるわけではありません。 まず 百鬼丸が体のパーツを全部取り戻して無事に生き残ったことは心から良かったと思ってますし。 これは原作のどろろで達成できなかったことなので、私がこのアニメで一番望んでたことでもあります。 それに、美しく成長したどろろと、イケメンっぷりに磨きがかかったアニキとの再会や幸せを感じさせる 希望のあるラストシーンもまー良かったです。 鬼神を全員退治できたのも良かった。 なんつうかなあー、本当にうまく言えないんですが、この作品は「どろろ」として視聴すると満足点高くて、どろろとは別物の完全オリジナル作品としてだと不満点が目立つ、みたいな感じかなああー。 やっぱり全然うまく説明できませんが、ともあれ私は不満点も満足点も両方感じてて、うまくまとめられないなりにありのまま感想を書いたってところです。 全24話視聴して良かったと、思ってます!.

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【百鬼丸役:鈴木拡樹×どろろ役:鈴木梨央】最終回放送前スペシャル対談

どろろ 最終 回

2019年6月25日 どろろ 最終回 海外の反応 1. 海外の反応 見終わったばかりで上手く言えないけど、とりあえずこの作品に出合えたことに感謝している。 そして、どろろのアニメ制作に関わった全ての人たち、本当にありがとう!! 2. どろろを視聴している時は、なんだかあっという間に時間が過ぎていく気がする。 母親や多宝丸が死んでしまったことは悲しかったけど、こんなほろ苦い終わり方もどろろらしい終わり方だったね。 海外の反応 炎上する城の中でのバトルシーンが超かっこ良かった! どろろはアクションが毎回かっこ良かったし、最終回はいつも以上に気合が入っていたように感じた! 日本のアニメの刀で戦うシーンは本当に見ごたえがあって素晴らしい。 海外の反応 百鬼丸が生き残ったのは良かったけど、多宝丸や母親、寿海が死んでしまったのが納得できない。 最後は全員が生存するエンディングが見たかったかも。 寿海は最期に自分の使命を果たしたし、それぞれが役割を全うして、過去の罪の意識もあってあの場に残ることを選んだのだろう。 確かに死んでしまったのは残念だけど、俺はこの終わり方に納得しているよ。 海外の反応 百鬼丸が目を取り戻した時に鬼神が現れたから、まさか最初に見るものが鬼神になるのか!と驚いてしまったw この世で最初に見た光景が炎に包まれる鬼神とか、俺だったら絶対に嫌だな! 9. その後に見たものがこれまで一緒に過ごしてきたどろろという演出も良かった。 海外の反応 百鬼丸は醍醐を殺さないという結末を選んだ。 百鬼丸が歩いていく道は修羅の道ではなく、人の道ということだね。 醍醐にとっては殺されることよりも、このまま後悔を背負って生きていく方がよほど地獄だろう。 立場があったのかもしれないが、当然の結末ともいえる。 海外の反応 登場人物全てが納得のいく形で終わったんじゃないかな? 百鬼丸は欠けていた人の心や母親の愛情を知って、どろろは侍の力に頼らない生き方を学んだ。 多宝丸や母親、寿海も納得してあの場に残って死んだし、醍醐も百鬼丸の力を認めていたし、後悔しながらも生きなきゃいけないことは納得しているだろう。 最高のハッピーエンドじゃなかったけど、すっきりする最終回だったと思う。 海外の反応 どろろが最後のシーンでめちゃくちゃ美人に育っていて嬉しかったよ!! 13. 百鬼丸と共に旅立つエンディングよりも、お互いに成長してから再開するという演出が素晴らしかった。 どろろの姿に幸せになったミオの姿を視聴者が重ねるように、意図して作られていたのかな? 最後のシーンに出てきた輝く田んぼもミオが本当に作りたかったものだったよね。 海外の反応 多宝丸が最後に百鬼丸のことを「兄上」と呼んだ演出がとても素晴らしかった。 多宝丸も百鬼丸のことばかりを想っていて、自分のことを見てくれないことに苦しんでいたんだね。 最期には自分の欲しかった愛情を得られたみたいだし、死んでしまったのはかわいそうだけど良かったと思う。 海外の反応 最初は身体を取り戻すというストーリーだったけど、百鬼丸が本当に必要だったのは身体ではなく人としての心だったね。 どろろ、母親、多宝丸、寿海に人としての心や愛情を教わって、それで最後に目を取り戻すという順番が素晴らしかった。 醍醐を殺さないというのも人として生きることを選んだ結果だし、百鬼丸の成長がうまく描かれていて最高の作品だった!! 19. 海外の反応 最後に作られていた田んぼが、ミオからもらった種から出来たものだったなら凄く嬉しいな。 海外の反応 序盤で凄く引き込まれて、中盤で少しだけ勢いがなくなった感じがしたけど、最後は怒涛の展開でまた夢中になった。 1クールではここまでの満足感は得られなかったし、最後も満足のいく終わり方でとても良かったと思う! 他の手塚先生の作品もぜひまたアニメ化してほしいな!! でも昭和のあの時代の原作の作品には あの時代のテイストとして もうちょっと暗い悲しい結末が欲しいな。 どろろのタイトル通り どろろだけが生き残るぐらいのね。 まぁ最終回は体取り戻し どろろと別れ去っていく程度でいいんだけど。 最後の語りかエピローグなんかの形で 48体の魔物は 魔物らしく不滅の存在で 百鬼丸は体を取り戻しはしたけど 永遠に魔物に狙われつづけ 老いた百鬼丸がついに魔物に敗れ取り込まれ 魔物は次代の百鬼丸となる者を喰らいに行く いつの時代にも絶対的に存在する魔物の様を入れて世の中を語るぐらいの 昭和のあの時代にはそんな暗い影を残すテイストの作品多かったんだよな でも外人はバッドエンド楽しめないの多いんだよな.

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