はらぐち。 原口文仁

おでん酒蔵はらぐち

はらぐち

甲子園には甲子園駅や ・ 等、様々なスポットがあります。 また、甲子園には、「」もあります。 『ららぽーと甲子園』は、2004年にオープンした兵庫県西宮市にあるショッピングセンターです。 阪神甲子園球場の南東向かいにあり、イトーヨーカドー甲子園店と隣接しています。 「地域の皆様が集い、憩える空間を持つ、エンターテイメント性豊かな商業施設」がコンセプト。 国内外のアパレルブランドやインテリア・生活雑貨なども店舗があり、施設内には「キッザニア甲子園」も併設されています。 園内には和洋中、様々な飲食店があり、訪れる人たちにバラエティーに富んだ食を提供しています。 鉄道、バス、自動車でのアクセスが可能です。 この甲子園にあるのが、日本料理 和食「はらぐち」です。 周辺スポットから探す• おすすめの特集• 一年を締めくくる忘年会から新年会まで年末年始のイベントにぴったりのお店、宴会会場を一挙ご紹介• こだわり料理や個室、貸切など条件にピッタリのお店をご紹介• ビアガーデンやテラス席でこだわりの美味しいビールが楽しめるお店をご紹介• 全国のレストラン・居酒屋などから厳選したお店をご紹介• 大切な人と行きたいレストラン、友達・仲間と盛り上がるお店まで、クリスマスにぴったりなお店をご紹介• 夜景のきれいなレストラン紹介やグルメ情報も充実• 大切な日のレストラン探しに必見 関連情報• 【ぐるなびグループ】お取り寄せグルメを探す• 【ぐるなびグループ】観光スポットを探す•

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はらぐち(地図/写真/茨木/居酒屋)

はらぐち

はらぐち 〒862-0950 熊本県熊本市中央区水前寺2丁目16-3 営業時間 定休日• 祝祭日 その他 席数 席 駐車場• 有 台• 無 禁煙・喫煙• 全面喫煙可• 完全禁煙 貸切• 貸切可• 貸切不可 予約• 予約可• 予約不可• 完全予約 平均予算 カード• VISA• MASTER• JCB• AMEX• Diners• その他• 「はらぐち」近くの施設情報.

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原口健飛

はらぐち

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] 小学4年生の時に野球を始めると、埼玉県寄居町立城南中学校 への在学中に寄居リトルシニア(現在の深谷彩北リトルシニア)でプレー。 中学校からの卒業を機に、()へ進学した。 高校時代には、寄居町の実家から学校までの距離を、片道2時間かけて通学。 授業と部活動を終えて帰宅した後には、自宅裏に父親が作った打撃ケージで深夜まで練習していた。 高校2年時に捕手へ本格的に転向すると、3年夏のに東東京代表として出場。 5番打者として、準々決勝までの3試合で通算打率. 385を記録した。 との準々決勝では最後の打者になったが、さまざまな投手の持ち味を活かせるリードが評価されて、大会終了後のにも日本代表の一員として出場した。 2学年先輩にと、1学年先輩にと、1学年後輩にがいる。 で、から6巡目で指名。 契約金3,000万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で入団した。 入団当初の背番号は 52。 阪神時代 [ ] 、公式戦9試合に出場。 143(7打数1安打)という成績を残した。 、ウエスタン・リーグ公式戦48試合に出場。 打率は. 329(79打数26安打)で、打数が少ないながらも、2、11という好成績を残した。 、シーズン開始当初に腰を痛めて戦線を離脱。 5月初旬に練習へ復帰した直後に、腰の故障が再発した。 このような故障の影響で、ウエスタン・リーグ公式戦では、16試合の出場で打率. 189(37打数7安打)、打点5という成績にとどまった。 さらに、シーズン終了後には、の公示を経てへ移行。 育成選手に関するの規約に沿って、背番号を 124に変更した。 、4月の中にからので左手の尺骨を骨折。 ウエスタン・リーグ公式戦では、17試合の出場で打率. 263、2打点という成績を残した。 シーズンの終了後には、育成選手の規約に沿って自由契約選手として公示された 後に、改めて育成選手契約を結んだ。 、ウエスタン・リーグ公式戦57試合に出場。 264、5本塁打、13打点を記録した。 しかし、秋のフェニックス・リーグで帰塁時に右肩を痛めて離脱。 このときに負った脱臼は、捕手を志望する原口にとってヘルニアをこす重荷となった。 シーズン終了後は、自由契約選手として公示 を経て、11月13日に育成選手としての再契約に至った。 、ウエスタン・リーグ公式戦で、自己最多の59試合に出場。 220、4本塁打、11打点を記録した。 シーズン終了後の11月11日には、3年連続で育成選手契約を更新している。 、春季キャンプ期間終盤の2月25日に一軍キャンプへ合流すると、の途中まで一軍に帯同した。 公式戦開幕後の4月27日付で、3年振りに支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を 94へ変更。 当日の対戦()5回裏に代打で一軍公式戦デビューを果たすと、捕手として守備に就いた後に、8回裏の第2打席でから一軍初安打を放った。 4月28日の同カードでも、阪神の1点ビハインドで迎えた9回裏1死2・3塁の局面で代打に起用されると、からので一軍初打点を記録している。 なお、以上の2試合のみ、二軍バッテリーコーチ(背番号82)のユニフォームを借りて出場した。 阪神球団が原口の支配下再登録と並行しながら出場選手登録をに申請したことや、当該カード限定で阪神ナインが「」を特別に着用していたこととの兼ね合いで、復帰後の背番号 94のユニフォームを手配できなかったことによる。 4月29日の対戦(甲子園) からスタメンマスクを任されると、5月4日の対中日戦()で一軍初本塁打をマーク。 5月には、月間通算で打率. 380、5本塁打、17打点という好成績を残した末に、野手部門のを受賞した。 の球団で育成契約を経験した野手では初の受賞で、阪神の捕手としては、第1回()の以来41年振りの快挙であった。 5月11日の対巨人戦(甲子園)では、3回表に捕手として本塁上でタッチプレーを敢行した際に、史上初のの適用による警告を与えられた。 5月12日の同カードからは、阪神の捕手では()以来の (5番・捕手)でスタメンに起用。 5月19日の対中日戦(甲子園)では、自身と同じく育成契約から支配下登録に復帰した田面とのコンビで、8回表に阪神の一軍公式戦史上初の「育成選手出身バッテリー」が実現した。 には、育成契約を経験したNPB球団の捕手としては初めて出場メンバーに選出。 その一方で、レギュラーシーズンの終盤には、右肩を痛めたことからや代打にも起用された。 一軍公式戦全体では、107試合に出場。 セ・リーグの最終には届かなかったものの、3割近い打率(. 299)、2桁本塁打(11本)、46打点を記録した。 捕手として登録されている阪神の野手が、レギュラーシーズンの一軍公式戦で2桁の本塁打を放った事例は、2010年の城島以来6シーズン振りであった。 このような活躍を背景に、シーズン終了後の契約更改では、育成契約の影響で480万円であった年俸が2,200万円にまで増加。 、プロ入り後初めて春季キャンプを一軍でスタート。 キャンプ終了直後の3月1日には同郷(埼玉県出身)・同年齢の女性との結婚を発表した。 その一方で、春季キャンプ中には、捕手に加えて一塁の守備練習にも参加。 前年の終盤に痛めた右肩での送球に不安が残ることや、前年までのレギュラー一塁手であった右の強打者が退団したことなどを背景に、からもっぱら一塁手としての一角を担っていた。 レギュラーシーズンでは、捕手としての登録を続ける一方で、プロ入り後初めて公式戦を一軍でスタート。 「5番・一塁手」としてスタメンに起用された4月6日の対戦()では、4-4の同点で迎えた延長11回裏の打席でからシーズン初本塁打(ソロ本塁打)を放ったことによって、チームをサヨナラ勝ちに導いた。 「野球人生で初めて」というサヨナラ本塁打 で、阪神の選手としては、5月27日の対戦でが記録して以来のサヨナラ本塁打でもあった。 しかし、オープン戦の終盤から打撃の調子が安定しないため、5月上旬からは自身と同じ捕手出身の右打者・と交互に「5番・一塁手」へ起用される方針に変更。 代打や捕手としての出場も再開した が、月を重ねる度に打率が下がるほど打撃不振が長引いたため、7月12日の対中日戦(甲子園)を最後にスタメンから外れた。 8月26日に出場選手登録を抹消される と、左の脇腹を痛めた 影響で、一軍へ復帰できないままシーズンを終了。 このため、秋季キャンプでは、自身の希望で捕手の練習へ再び取り組んでいる。 キャンプ後の契約交渉では、推定年俸2,000万円(前年から200万円減)という条件で契約を更改した。 、捕手に再び専念すると、一軍公式戦82試合に出場。 4月下旬からと交互に捕手として起用された が、シーズン通算の得点圏打率が. 455に達した。 57試合で起用された代打での打率は. 404で、通算打率(. 315)を1割近く上回ったほか、この年に一軍公式戦で放った本塁打(2本)も全て代打で記録した。 9月7日の対広島戦(マツダ)では、8回表1死1・2塁からの代打起用でシーズン2号本塁打を放ったことによって、のに並ぶ球団歴代2位の一軍公式戦シーズン22安打をマーク。 左打者のがに達成した球団のシーズン代打最多安打記録(23安打)への到達も見込まれていたが、9月14日の対ヤクルト戦(甲子園)で左手第5中手骨を痛めたため、9月21日にこの年初めて出場選手登録を抹消された。 一時はシーズン中の一軍復帰が困難と見られていたほどの重症 であったにもかかわらず、シーズン最終盤の10月5日に再登録を果たすと、同日の対中日戦(甲子園)8回裏に代打で出場。 が投じた初球で中前安打を放ったことによって、桧山の持つ球団記録に並んだ。 以降も6試合で代打に起用されたものの、いずれもノーヒットで、球団記録の更新までには至らずシーズンを終えた。 ちなみに、代打による一軍公式戦でのシーズン23安打は、右打者としての球団最多記録で、左打者を含めてもNPB歴代3位の記録でもある。 、春季キャンプのスタートを二軍で迎える予定だったが、キャンプイン直前の1月24日に、を患っていることを自身の公式アカウントと球団を通じて公表。 前年末に受診したで判明したもので、シーズン中に実戦へ復帰することを目標に、患部の手術を受けたうえで治療に専念することを明らかにした。 同月下旬の手術 、2月上旬の退院、リハビリ などを経て、5月8日に中日とのウエスタン・リーグ公式戦()8回裏に代打で実戦復帰を果たした。 この試合から同リーグの公式戦18試合へ出場すると、「4番・指名打者」に起用された6月2日の対ソフトバンク戦()で復帰後初本塁打を記録した。 セ・パ交流戦が開幕した6月4日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対ロッテ戦()9回表1死3塁の局面で代打に起用。 から左翼フェンスを直撃する適時二塁打を放った。 6月9日の対日本ハム戦(甲子園)でも、3 - 3の同点で迎えた9回裏2死1・2塁の場面で代打に起用されると、からサヨナラ安打を記録。 このサヨナラ安打で、同月のセ・リーグサヨナラ賞を受賞した。 代打での活躍に加えて、交流戦の期間中に指名打者としてのフル出場や や捕手としての起用も経験したこと を背景に、にもセ・リーグの「プラスワン投票」得票数1位で3年振りに出場。 7月12日の第1戦(東京ドーム)9回裏2死1塁に代打で2点本塁打 、「7番・指名打者」としてスタメンに起用された翌13日の第2戦(甲子園)2回裏の第1打席でソロ本塁打を放ったことによって、2試合にわたりながらも2打席連続本塁打を記録した。 一軍の公式戦でも、8月4日の対広島戦(マツダ)5回表2死1塁で代打に起用されると、が投じた初球で復帰後初本塁打を放っている。 レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦43試合の出場で1本塁打、打率. 276、11打点をマーク。 17試合でマスクをかぶったほか、チームのレギュラーシーズン3位で臨んだでも、DeNAとのファーストステージ(横浜)全3試合および、巨人とのファイナルステージ(東京ドーム)2試合で代打に起用された。 結局、一軍復帰後は登録を一度も抹消されず、シーズンの終了後には(DeNA)と共にセ・リーグの特別賞を受賞した。 、大腸がんの経過観察中ながら体調が安定していることなどを背景に、春季キャンプで2018年の秋季以来2年振りにキャンプへ参加。 春季キャンプとしては同年以来の一軍スタートで、大腸がんの手術後初めて、練習に制限を設けないフルメニューへ臨んだ。 オープン戦以降も一軍に帯同した結果、梅野・と交互にスタメンマスクを任せる矢野の方針 などを背景に、レギュラーシーズンの開幕を2年振りに一軍で迎えた。 6月20日に巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)で「7番・捕手」としてスタメンに起用されると、4回表2死無走者で迎えた第2打席で、自身および阪神の野手としてのシーズン初本塁打を放った。 選手としての特徴 [ ] 遠投100メートル 、本塁・二塁間の送球が1. 8秒台という の持ち主。 2012年までのチームメイトのが一軍監督として阪神に復帰した直後(2015年11月)の秋季キャンプでは、支配下登録選手のと並んで、首脳陣から同キャンプのMVPに選ばれた。 打者としては、力強いスイングが特徴。 2016年の支配下登録復帰後は、一軍公式戦のスタメンで、4番打者や5番打者といったに起用されることがある。 育成選手時代の2014年・2015年には、前述した故障の影響で、二軍の対外試合にとしてスタメンで起用されることがあった。 しかし、阪神の捕手や野球解説者として原口のプレーを見てきたが2015年のシーズン終了後に「一軍作戦兼バッテリーコーチ」として復帰したことを機に、矢野に対して「(自分は)捕手で勝負したい」と直訴。 矢野も、原口を「野球へ熱心に取り組む努力型の選手」として評価していたことから、その直訴を受け入れた。 支配下登録選手への復帰を経て一軍に昇格した2016年・2017年にも、他の捕手がスタメンマスクを被る一軍公式戦に一塁手として出場することがあった。 2018年には捕手に再び専念。 矢野が一軍監督へ就任した2019年には、同期入団のが先発する試合を中心にスタメンマスクを任されている一方で、梅野がスタメンに起用される試合には一塁手として出場している。 人物 [ ] 原口と同じく、2010年に阪神へ入団した城島を「(捕手としての)生きた教材」「師匠」として尊敬している。 城島が阪神で現役を引退した2012年までは、城島の自主トレーニングに同行したり、城島に積極的に質問することもあった。 その縁で、支配下登録への復帰と一軍への初昇格を同時に果たした時には、野球界を離れていた城島に連絡したという。 ちなみに、現在のチームメイトであるのや、複数のからは「プレーや仕草が城島にそっくり」と評価されている。 2011年まで投手として阪神に在籍したや、2019年まで阪神で二軍監督などを務めたからも、野球人生を変えるほど多大な影響を受けている。 下柳からはウエスタン・リーグの公式戦でバッテリーを組むたびに、捕手として必要な知識を数多く伝えられたという。 打撃でのインパクトのタイミングに苦慮した際には、現役時代の掛布の経験談を基に、素振りを徹底することで打撃フォームを固めた。 一軍に昇格した2016年からは、サヨナラヒットを放った5月19日の対中日戦 を皮切りに、で「必死のパッチ」(矢野やが阪神の現役選手時代に多用していた決め台詞)を披露していた。 その一方で、2018年12月19日に開催されたファンとの交流イベントでは、「必死のパッチ」に代わるヒーローインタビューの決め台詞を参加者から募集。 原口自身が厳選したうえで、自身の苗字(原口)から「必死の"グッチ"(で打ちました)! 」というフレーズを、2019年の一軍復帰後から使用している。 実際には2017年に結婚しているにもかかわらず、矢野や関本が「自分の娘の結婚相手は原口しかいない」と繰り返し公言するほど、阪神の関係者や報道陣からの人望が厚い。 阪神の一軍に定着してからは、マネジメント業務をオフィスS. Cにを委託。 2018年には、代打による一軍公式戦でのシーズン最多安打の球団記録を樹立したことを受けて、「FUMIHIT」ブランドのTシャツやマフラータオルが同社から発売された。 エピソード [ ] NPBオールスターゲームへの出場 [ ] 2016年のオールスターゲームファン投票では、各球団からのノミネート選手登録時点(4月中旬)でノミネート対象外の育成選手であったため、投票用紙のに原口の名前が掲載されなかった。 原口への投票にはノミネート外選手用の空欄(1名分)に原口の氏名を書き込むか、1人1日1回限定の投票で選手リストから原口の項目を選ぶ必要があったが、第1回の中間発表(6月1日)時点で得票数がセ・リーグ捕手部門の2位に到達。 第2回の中間発表(同月7日)で1位に浮上する と、最終中間発表(同月20日)まで1位の座を維持した。 最終発表の得票数で()に逆転されたため、ファン投票による選出には至らなかった が、ノミネート外選手としては異例の17万4,556票を獲得。 結局、チームメイトの・と共に、監督推薦選手として出場した。 なお、翌2017年のファン投票では、阪神球団からのノミネート選手として一塁手部門に名を連ねた。 しかし、得票数で4位にとどまったこと などから、2年連続の出場に至らなかった。 2018年以降は再びノミネートの対象から外れているが、第2戦を甲子園球場で開催した2019年には、ファン投票を通じて再び出場権を得た。 大腸がんの手術から短期間で一軍公式戦への出場にこぎ着けたことなどを背景に、前年から復活した「プラスワン投票」(セ・パ両リーグの未選出選手からファン投票を通じて出場選手を両リーグで1名ずつ追加する制度)で、セ・リーグの得票数1位になったことによる。 さらに、第1戦の代打本塁打によって、敢闘選手賞を受賞。 2試合を通してファンに夢と感動を届けた選手に贈られると、オールスターゲームの期間中に上で最も注目された選手に贈られるも受賞した。 ちなみに2019年には、梅野も阪神球団からのノミネートを経て、セ・リーグ捕手部門のファン投票1位選手として出場。 第2戦では、「8番・捕手」としてスタメンに起用されると、2回裏の第1打席でソロ本塁打を放った。 話題になったプレー [ ] 捕手としてスタメンで出場した2016年5月11日の対巨人戦(甲子園)では、3回表2死2塁でのがの安打を処理すると、本塁の前に立っていた原口に向けてワンバウンドで返球した。 この返球がショートバウンドで三塁側に逸れたことから、原口は左足を本塁方向に広げながら本塁をまたぐ格好で捕球すると、二塁から本塁へ走り込んできたに対して本塁の手前でタッチプレーを敢行。 このプレーに対して、球審のは、小林にタッチアウトを宣告した。 しかし、審判団の判断でビデオ判定を実施した結果、審判団は(この年からで導入されたばかりの)コリジョンルールを適用。 「原口による一連の動作は、コリジョンルールで禁止している(小林の)走路妨害に該当する」として、小林のセーフと得点を認める一方で、原口に警告を与えた。 セントラル・リーグの公式戦で、コリジョンルールの適用によって球審のジャッジが覆った事例は、この時が初めてである。 責任審判の二塁塁審は、嶋田のジャッジをビデオ判定で変更した理由を、「コリジョンルールの下では、走者が塁上にいる場合に、捕手は本塁上であらかじめ走者の走路を空けておかなければならない。 (リプレー映像で検証した限りでは)原口は、大和からの返球を待っている時点で(小林の)走路上に立っていた」と説明。 原口自身は試合後に、「自分の感覚では、(大和からの返球を)しっかり捕ってから、身体を後方に流しながら(小林への)タッチに行った。 (今後はコリジョンルールに)対応していきたい」と述べた。 2018年5月15日の対DeNA戦(甲子園)では、0 - 0のスコアで迎えた6回裏2死満塁で代打に起用。 「三塁側のファウルゾーンにハーフライナーで飛んだ打球が、スライス回転さながらに大きく曲がったあげく、左翼前のフェアゾーンへ落ちる」という珍しい軌道の二塁打 で、後にの専門家が分析したところによれば、「バットが折れたことによってが発生したために、サッカーのや卓球の無回転サーブと同じ原理で、打球が無回転の状態で外野まで飛んだ」とされる。 大腸がんの公表 [ ] 大腸がんを患っていることを公表した2019年1月24日には、この日から公開を始めたtwitter上の公式アカウントで、直筆の文章が記された画像を通じて以下のメッセージを最初のとして発信している。 「いつも応援して頂きありがとうございます。 皆様にご報告があります、昨年末、人間ドックを受診したところ、ガンと診断されました。 しかし、今は、プロ野球選手という立場でこの病気になった事を自分の使命だとも思えます。 同じガン患者の方々、またそのご家族の方々にとって少しでも夢や希望となるよう精一杯、治療に励みたいと思っています。 今後の予定としては近日中に手術を受け、そのあとリハビリに励んで早期の実戦復帰を目指します。 僕には、大切な家族や応援してくださるファンの方々、ともに闘う仲間がいます。 常に前だけを向いて進んでいきます。 どうか、これからも応援の程宜しくお願い申し上げます」。 この告白によって、原口や阪神のファンはもとより、球界やメディア関係者からも原口を応援するメッセージが数多く寄せられた。 阪神から2008年に広島へ移籍した後に、胃がんの発見(2016年末)・手術(2017年1月)を経て広島で一軍復帰を目指していたは、「(原口の公表には)びっくりしましたが、僕が(実戦に復帰)できているんだから彼もできる」という表現でエールを送った。 自身が一軍への復帰を果たした一方で、赤松が現役からの引退を発表した2019年9月7日には、このエールに対する謝意を込めて「赤松さんが元気に野球をやられているのを見て、すごく励みになった。 (おかげで)自分(の気持ちが)がもう1回前向きになれたので、これからも僕が頑張ることが(赤松への)恩返しになる」というコメントを出している。 大腸がんの手術から一軍へ復帰するまでの経緯 [ ] 原口は、上記のツイートを発信した直後(2019年1月末)に大腸がんの手術を受けると、同年3月7日から二軍でトレーニングを再開した。 5月6日から、ウエスタン・リーグの公式戦で実戦に復帰。 代打として最初に出場した対中日戦では、記録は右飛ながら、フルスイングで鳴尾浜球場のフェンス際に大きな飛球を放った。 さらに、チームがこの試合でサヨナラ勝利を収めたことから、試合後のマイクパフォーマンスでは観衆に向けて「野球はやっぱり楽しい」とのコメントを残した。 翌7日の同カードでは、「5番・指名打者」としてのスタメン起用で復帰後初安打をマーク。 5月10日の対オリックス戦で復帰後初マスク 、15日の対ソフトバンク戦で復帰後初のスタメンマスク 、17日の対広島戦で赤松との同時出場 、19日の同カードで「5番・一塁手」として復帰後初のフル出場 などを経験した後に、大腸がんの公表から131日目に当たる6月4日付で一軍へ復帰した。 復帰当日の対ロッテ戦では、代打で適時打を放ったことに加えて、チームが大勝したことからヒーローインタビューにも登場。 「『一軍は素晴らしい舞台だな』と改めて思った」 「これからが(自分にとって)野球人生のリスタート」 などと語った。 その一方で、復帰に合わせて公表された手記では、「どれだけ長い時間眠っても眠気やが止まらない」といった身体の違和感に2017年の6月頃からずっと悩まされていたことを初めて告白。 自身の希望で2018年末に受診した人間ドックで身体に異常が見られたことから、2019年の1月に大腸の内視鏡検査を受けたところ、がん細胞がすぐに見付かったことも明かしている。 さらに、2019年シーズン終了後の11月24日に、自身の希望で記者会見を実施。 大腸がんが判明した時点でステージ3Bにまで進行していたものの、医師の判断によって手術が終了するまで告知を見送られていたことや、抗がん作用のある錠剤で手術後半年以上にわたって服薬治療を続けていたことや、手術後も半年に1回の定期検診を通じて5年間の経過観察を要する状況であることなどを初めて公表した。 ちなみに、がんの宣告を受けたのは1月8日 で、オールスターゲーム・プラスワン投票結果の発表当日(7月9日)まで治療が続いたという。 また、母校の埼玉県寄居町立城南中学校では、大腸がんの判明から実戦復帰を果たすまでの経緯や野球人生をまとめた冊子を独自に作成。 12月22日に原口の講演会を校内で開催する前に、全学年全クラスでの教材に用いていた。 がんの早期発見・治療に向けた啓発とチャリティー活動 [ ] 26歳という若い年齢で大腸がんを発症したプロ野球選手の使命として、手術・退院後の2019年3月4日には、がんの早期発見・早期治療の重要性を啓発する活動に取り組むことを表明。 入院中に関係者から見舞い品として贈られたと同じ製品を、大腸がん啓発チャリティーグッズ「グッチブレス」として発売したうえで、利益の全額を日本国内のがん患者支援団体へ寄付することも発表した。 活動の名称は「Move On! ~トモニミライへ~」で、「グッチブレス」のデザインにも採用。 マネジメントを委託しているS. Cからは、売上金の一部を上記の団体に寄付する目的で、「Move On! 」「必死のグッチ」というロゴ入りグッズも順次販売されている。 2019年11月21日には、神戸市内の小児がんケア施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を訪問するとともに、上記のグッズの収益金に自身のポケットマネーを加えた寄付金を初めて贈呈。 この訪問がきっかけで、大腸がん判明からの詳しい経緯を公表すること(前述)を決めたという。 2020年には、大腸がんの手術後に療養で滞在していたで、春季キャンプ前の1月18日に「チャリティーラン」を開催。 上記のグッズの利益とは別に、レギュラーシーズンの一軍公式戦で記録した安打と打点の総数に1万円を乗じた額の寄付金を、シーズン終了後に福祉関連の施設へ提供することも計画している。 2020年3月からは、「の取材ノート」(がんと闘う著名人と櫻井による対談で構成されるのテレビCMシリーズ)に出演。 同社の公式サイトにも、が公表されている。 詳細情報 [ ] 年度別打撃成績 [ ] 107 364 318 38 95 16 0 11 144 46 1 2 2 3 26 0 15 52 8. 299. 376. 453. 829 73 216 186 16 42 12 0 6 72 25 0 0 1 2 22 0 5 36 10. 226. 321. 387. 708 82 124 111 8 35 2 0 2 43 19 0 0 0 0 8 1 5 27 1. 315. 387. 387. 774 43 94 87 8 24 4 0 1 31 11 0 0 0 2 4 0 1 23 3. 276. 309. 356. 665 通算:4年 305 798 702 70 196 34 0 20 290 101 1 2 3 7 60 1 26 138 22. 279. 355. 413. 768• 2019年度シーズン終了時 年度別守備成績 [ ] 年 度 球 団 試 合 企 図 数 許 盗 塁 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 2016 阪神 87 568 49 3 5. 995 7 73 56 17. 233 9 84 11 1 4. 990 2017 1 1 0 0 0 1. 000 0 0 0 0. 000 53 360 36 4 32. 990 2018 32 103 10 0 1 1. 000 1 16 13 3. 188 3 6 0 0 0 1. 000 2019 17 70 11 0 1 1. 000 1 10 7 3. 300 5 48 3 1 4. 981 通算 137 742 70 3 7. 996 9 99 76 23. 232 67 498 50 6 40. 989• 2019年度シーズン終了時 表彰 [ ]• MVP大賞:1回 (2016年)• 敢闘選手賞:1回(第1戦)• オールスターゲーム マイナビ賞:1回(2019年)• オールスターゲーム 賞:1回(2019年)• :1回 (2019年6月)• 連盟特別表彰:1回 (特別賞:2019年) 記録 [ ] 初記録• 初出場・初打席:2016年4月27日、対5回戦()、5回裏にの代打で出場、から中飛• 初安打:同上、8回裏に田口麗斗から左前安打• 初打点:2016年4月28日、対読売ジャイアンツ6回戦(阪神甲子園球場)、9回裏にから中犠飛• 初先発出場:2016年4月29日、対6回戦(阪神甲子園球場)、7番・捕手で先発出場• 初本塁打:2016年5月4日、対8回戦()、4回表にから左越3ラン• 初盗塁:2016年9月7日、対読売ジャイアンツ21回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に二盗(投手:田口麗斗、捕手:) その他の記録• 出場:2回 (、) 背番号 [ ]• 52 (2010年 - 2012年)• 124 (2013年 - 2016年4月26日)• 94 (2016年4月27日 - ) 登場曲 [ ]• 「」 - (2010年 - 2015年)• 「Another Heart Calls featuring The Pierces 」 - (2016年 - 2017年)• 「The Half」 - (2018年 - ) 関連情報 [ ] 出演作品 [ ] 映画 [ ]• 「阪神タイガースTHE MOVIE 猛虎神話集」(2020年2月、)• 阪神タイガース創設85周年記念企画の一環で制作されたで、球団史を彩る「代打の神様」を扱ったパートに、公開時点での現役選手を代表してインタビュー出演。 2019年の対日本ハム戦に代打でサヨナラ安打を放ったシーン(前述)の映像も使われている。 テレビCM [ ]• 「櫻井翔の取材ノート」(2020年3月 - )• とで()と共演 脚注 [ ] []• 日刊スポーツ. 2020年1月2日閲覧。 スポーツニッポン. 2019年12月27日. 2019年12月27日閲覧。 日刊スポーツ 2012年7月4日. 2013年11月7日閲覧。 阪神タイガース公式サイト 2012年11月13日. 2012年11月30日閲覧。 サンケイスポーツ. 2013年4月13日. 2013年10月13日閲覧。 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年11月1日閲覧。 阪神球団公式サイト 2013年12月11日閲覧。 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月1日閲覧。 阪神タイガース公式サイト 2014年11月13日閲覧。 阪神タイガース公式サイト 2015年11月11日閲覧。 阪神タイガース. 2016年4月27日. 2016年4月27日閲覧。 スポーツニッポン. 2016年4月28日. 2016年4月29日閲覧。 日刊ゲンダイ. 2015年4月28日. 2016年5月28日閲覧。 サンケイスポーツ 2016年4月29日閲覧。 デイリースポーツ 2016年5月4日• サンケイスポーツ. 2016年6月7日. 2016年11月28日閲覧。 スポーツ報知. 2015年5月11日. 2016年5月28日閲覧。 デイリースポーツ. 2016年5月11日. 2016年5月28日閲覧。 日刊スポーツ. 2016年5月12日. 2016年7月6日閲覧。 阪神タイガース. 2016年7月4日. 2016年7月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2016年7月5日. 2016年7月5日閲覧。 スポーツニッポン. 2016年8月30日. 2017年3月2日閲覧。 デイリースポーツオンライン 2016年11月30日. 2016年12月3日閲覧。 日刊スポーツ 2017年3月2日. 2017年3月2日閲覧。 日刊スポーツ 2017年3月2日. 2017年3月2日閲覧。 デイリースポーツ 2017年4月6日. 2017年4月6日閲覧。 スポーツニッポン 2017年4月7日. 2017年4月7日閲覧。 スポーツニッポン 2017年5月12日. 2017年5月14日閲覧。 日刊スポーツ 2017年5月10日. 2017年5月11日閲覧。 サンケイスポーツ 2017年8月26日. 2017年8月31日閲覧。 日刊スポーツ 2017年10月30日. 2017年8月31日閲覧。 日刊スポーツ 2017年11月2日. 2017年11月2日閲覧。 デイリースポーツ 2017年11月28日. 2017年12月9日閲覧。 日刊スポーツ 2018年4月21日. 2018年11月8日閲覧。 日刊スポーツ 2018年9月7日. 2018年11月7日閲覧。 産経新聞 2018年9月21日. 2018年11月7日閲覧。 日刊スポーツ 2018年10月5日. 2018年11月7日閲覧。 日刊スポーツ 2018年10月14日. 2018年11月7日閲覧。 日刊スポーツ 2019年1月24日. 2019年1月24日閲覧。 阪神タイガース 2019年1月24日. 2019年1月24日閲覧。 スポーツニッポン 2019年1月31日. 2019年1月31日閲覧。 日刊スポーツ 2019年2月7日. 2019年2月6日閲覧。 日刊スポーツ 2019年5月8日. 2019年5月8日閲覧。 日刊スポーツ 2019年6月5日. 2019年6月2日閲覧。 日刊スポーツ 2019年6月5日. 2019年6月4日閲覧。 Sponichi Annex. 2019年6月9日. 2019年6月9日閲覧。 ZAKZAK. 2019年6月13日. 2019年7月11日閲覧。 日刊スポーツ. 2019年6月8日. 2019年7月11日閲覧。 日刊スポーツ. 2019年7月12日. 2019年7月23日閲覧。 日刊スポーツ. 2019年7月13日. 2019年7月23日閲覧。 スポーツニッポン. 2019年8月4日. 2019年8月5日閲覧。 スポーツニッポン. 2019年11月11日. 2019年11月11日閲覧。 日刊スポーツ. 2020年1月25日. 2020年2月1日閲覧。 日刊スポーツ. 2020年6月25日. 2020年6月29日閲覧。 サンケイスポーツ. 2020年6月21日. 2020年6月29日閲覧。 スポーツニッポン、2009年11月1日。 デイリースポーツ. 2015年11月18日. 2015年11月25日閲覧。 サンケイスポーツ. 2016年5月22日. 2016年5月28日閲覧。 Yahoo! 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~トモニミライへ~」関連のページを併設。

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