伊弉冉尊。 伊弉諾神宮

Q.火之迦具土神(ヒノカグツチ)とは?

伊弉冉尊

『イザナギ』日本神話の神様|伊邪那岐命・伊弉諾尊• イザナギノミコト (伊邪那岐命・伊弉諾尊) 古事記に出てくる日本神話の神様『イザナギ』について、わかりやすく解説します。 イザナギ イザナギについて イザナギは日本のお父さんとも言える男の神様です。 妹神のイザナミと一緒に日本の島々と神々を産みました。 え!?妹っ!?近親相姦っっ!? ってなるかもですが、日本のはじまりの時にその辺からナリナリ生まれて来た神様なので、同じお父さんとお母さんを持つわけではなく、神話ならではの兄妹夫婦です。 イザナギとイザナミは『別天つ神』の後に生まれて来た『神世七代』と呼ばれる12柱の神様の中で一番末っ子で、天界(高天原)から地上(葦原の中つ国)に降りて国を作ることになりました。 エッチをして子供を産めば国ができるんじゃないかと考えた二人は、日本で初めての夫婦になります。 ちゃっかり日本初の結婚式まで挙げていたりします。 色々あって、イザナミとは死別してしまうのですが、今でも夫婦神として多賀神社などたくさんの神社に2柱一緒に祀られています。 名前の意味や由来について 古事記では『 伊邪那岐命』、日本書紀では『 伊弉諾尊』と表記されています。 読み方は『 イザナギノミコト』または『 イザナキノミコト』。 男神、夫とも記されます。 古事記では、イザナギが黄泉の国から帰った後、神様レベルがアップしたことを表すために伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)とも記されています。 イザナギとイザナミがセットになると、『互いに誘い合う神様』という意味になります。 イザナギが出てくる神話 古事記 天と地が別れるといろんな神様が生まれてくる。 イザナギとイザナミは神世七代の末っ子。 別天つ神の命令(無茶ブリ)でイザナギとイザナミは国を作ることに。 別天つ神に渡された矛を海に刺してクルクルしたら島ができる。 日本初の島。 イザナギがいきなり「男子の出っ張ってるところと、女子のヘコんでるところをジョイントすれば国ができるんでない??」と誘ってくる。 人々が国に住めるように島々を生み、人々の暮らしを守るために神々を産む。 とにかくバンバン産む。 イザナミが火の神を産むと、陰部を大火傷して死んでしまう。 イザナギが怒りからその神を切り刻むと、製鉄の神々と山の神々が生まれて来た。 死んでしまったイザナミにどうしても会いたくて、死者の住む黄泉の国へ行くことに。 カクカクシカジカあって、それまで不死だった人に寿命ができ、1日1000人死に、1日1500人が産まれることになった。 黄泉の穢れを清めるために日向へ。 川で身を清めるとたくさんの神々が生まれる。 アマテラス、ツクヨミ、スサノオが有名。 アマテラス、ツクヨミ、スサノオにそれぞれ得意分野を活かして国を治めるように頼んだイザナギだが、スサノオが反抗期に。 全然言うことを聞かないので、スサノオを追放して自分は隠居生活することに。 日本書紀 鶺鴒(セキレイ) 国を産むためにエッチをしようと思い立ったイザナギとイザナミ。 しかし、やり方がわからずに困っていると、どこからかセキレイが飛んできた。 そのセキレイが尻尾を上下に振っている姿を見て二神は、エッチの方法を知る。 このことから、セキレイは「教え鳥」や「恋教え鳥」と呼ばれるようになった。 この神話から昔は婚礼の儀式の時には『鶺鴒台』と言う、つがいのセキレイの床飾りを供えていた。 (余談だけど、一血卍傑の鶺鴒台の元ネタもこれ。 ) 三貴神の誕生 日本書紀ではイザナミがアマテラス、ツクヨミ、スサノオも産む。 これは、彼女の死の原因となったヒノカグツチを産んだのが、三貴神の後だったから。 その他、日本書紀の一書(あるふみ=別説のこと) ・イザナギが左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を取った時にアマテラス、右手で白銅鏡を取った時にツクヨミが生まれた。 首を後に回して見た時にスサノオが生まれた。 ・黄泉の国から逃げたイザナギは、黄泉平坂でイザナミと言い争い、ククリヒメに仲介をして貰う。 ・神の仕事を全て終えて、あの世に行こうとしていたイザナギは、幽宮を淡路の地に造り、静かに永く隠れた。 その淡路の地は、淡路島の伊弉諾神社だという説も。 ・仕事を終え、徳もおおきかったので、天に帰って報告をし、日の少宮(わかみや)に留まり住んだ。 イザナギの伝承の地 天椅立 日本三景で有名な『天橋立』とイザナギの神話が「丹波国風土記」に残っています。 イザナギは『天』に通うために『椅』(ハシゴ)を作って空に『立』てた。 しかし、ちょっと目を離して休んでいる間にその椅が倒れてしまう。 その倒れた椅が、あの「天椅立」になったとか。 今では『椅』が『橋』に変わり「天橋立」と呼ばれています。 倒れないと思っていた椅が倒れてしまい『くしび』に思ったイザナギはその浜を「久志備浜」と名付けた。 不思議なこと。 ) 阿波岐原(あわぎはら) イザナギが禊を行ったとされる場所。 宮崎県の江田神社の近くにある「御池・みそぎが池」ではないかと伝えられています。 比婆山 イザナギが妻のイザナミが葬られたとされる場所。 ・鳥取県と島根県の県境の山とする説 ・広島県と島根県の県境の山とする説 があります。 吾妻山 イザナギが比婆山に向かって「ああ、吾が妻よ」と山頂に立って呼びかけたことから名前が付いたと伝えられる「吾妻山」があります。

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磤馭慮嶋(オノゴロ島)|伊弉諾尊と伊弉冉尊の聖婚の地!日本神話的磤馭慮嶋を分かりやすくまとめ!

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伊射奈美神社(イザナミジンジャ) 国生み神話の女神をまつる神社です。 イザナミを社名とする式内社は、阿波国のみです。 この神社は以前は吉野川に浮かぶ中鳥島というところにあり、千数百年もの間、度重なる洪水にもここだけが被害にあわなかったと伝えられている。 所在地 〒771-2107 徳島県美馬市美馬町中鳥338 古事記に伊邪奈美命(いざなみのみこと)は「出雲国と伯伎国(ははぎのくに)との堺との比婆山に葬りき」と書かれているから,伊邪奈美命(いざなみのみこと)は,亡くなると山に葬られた。 そして夫の伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)は,葬られた伊邪奈美命(いざなみのみこと)に会うために比婆山へ行った。 阿波古事記研究会によれば 『古事記』の物語は,徳島県内の地名に当てはまる所が多く,上記の物語は,徳島県の山川町から阿南市見能林町までの地域を舞台として繰り広げられた物語と考えられる。 平安時代に書かれた『延喜式(えんぎしき)神名帳』(九二七年)には,全国に一社のみ,伊射奈美(いざなみ)神社が記録され,徳島県美馬市以外にはない。 黄泉(よみ)の物語は,この式内社 伊射奈美(いざなみ)神社がある穴吹町舞中島から始まり,高越山(こうつざん)を経て「カズラを投げたら実が生った」と書かれる上勝町には,雄中面(おなかづら)・生実(いくみ)の地名があり,相生町竹ケ谷の旧八面(きゅうやつら)神社には,「櫛(くし)から竹の子が生えた」と書かれる竹を型取った燈籠(とうろう)がある。 「桃を投げた」と書かれる丹生谷(にゅうだに)地域には,百合(もあい)・桃の木坂・桃付等の地名があり,神社には桃を型取った木彫りや瓦がある。 また,相生町には,昔からヨミ坂と呼ばれる坂もある。 黄泉(よみ)の坂を逃げ帰った伊邪那岐命が,四国最東端の阿南市見能林町(打樋(うてび)川)で禊(みそ)ぎ祓(はら)いをすると,天照大御神と月読命と須佐之男命が生まれた。 以上のことから,この大岩群は『古事記』等に書かれる「千引(ちびき)の岩(いわ)」にあてはまる。 wakwak. html 式内社 伊射奈美神社 旧村社 鷹の羽違い 徳島県美馬市穴吹町にある。 穴吹駅の西1Kmほどの舞中島に鎮座。 祭 神 伊射奈美命 武甕槌命 経津主命 猿田彦命 明治四十三年(一九一〇)に舞中島の武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀した 由緒沿革 延暦七年(七八八)に国司の奉幣があったと伝えられている(以上徳島県神社誌) 当神社は岡本監輔著「名神序頌」によれば貞観中 (八五九~八七七)に創建されたと記され また三大実録に貞観十年(八六八)三月十二日 阿波国正六位伊奘再神に従五位下を授くと載すとある 延長五年(九二七)式内伊射奈美神社に比定された 幕藩時代に十二社大権現と称し明治十二年(一八七九)に 十二所神社と称したが昭和になって伊射奈美神社と改めた 応永三年(一三九六)、天文元年(一五三二)など棟札が 収蔵されており応永三年の棟札は穴吹町最古の棟札である なお尾山十二所神社は当社の奥社である(穴吹町誌) -社前案内石碑より抜粋- 式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社 旧無格社 御祭神 伊弉諾命 伊弉冉命 國常立命 大山祇命 月讀命 金山彦命 徳島県美馬市穴吹町にある。 穴吹駅の南西500m、尾山と呼ばれる山の上に鎮座。 丸に卍の紋 当社の創建は不詳。 『阿波志』によると、式内・伊射奈美神社の論社。 同じく論社である伊射奈美神社が穴吹町舞中島にあり、かっては、当社と同じ十二所神社と称していた。 現在、当社は舞中島鎮座の伊射奈美神社の奥宮となっている。 鏡神社 伊弉冉尊を祀る元和元年柳川家の傍の古墳を 発掘、宝鏡銀輪五百箇御統瓊曲玉焼物四外 五色の土剣外一二件が出土十二所神社へ納めた。 岡本監輔は名神序領に「蓋し太古の人冉尊ここ に出るを記し特にこれを祀り以て追慕の念を寓せし也」 阿波市 勝命神社 かつみょう 阿波市 阿波町勝命北に鎮座 御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと) 「阿波誌」に「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。 菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とあります。 白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。 白山神社の総本社である白山比咩神社(石川県白山市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。 菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房 1041-1111 が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている。 日本書紀 一書に 及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。 時泉守道者白云、有言矣。 曰、吾与汝已生国矣。 奈何更求生乎。 吾則当留此国、不可共去。 是時、菊理媛神亦有白事。 伊奘諾尊聞而善之。 乃散去矣。 その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。 このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。 『私はあなたと、すでに国を生みました。 なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。 私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。 このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。 伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。 そして、その場を去られた。 wikipediaより この神社は文化年代に菊理社と称えていたが、天保期の文書に、菊理または九栗と記され嘉永年間より古称に復して九栗と呼ぶようになったという。 「徳島県神社誌」 大和の率川阿波神社 率川神社(子守明神) 御祭神 玉 櫛 姫 命 右殿(御母神) 媛蹈鞴五十鈴姫命 中央(御子神) 狭 井 大 神 左殿(御父神) 御例祭 六月一七日午前十時 三枝祭(ゆりまつり) 当神社は、推古天皇元年(五九三年)に 大神君白堤がお祀り申上げた奈良市に 於ける最古の神社であります。 三枝祭とは白酒、黒酒の酒樽に、本社 三輪山でとれた笹百合の花(古名さいくさ)を 飾ってお祭りするところから起こった名前。 文武天皇、大宝年間(七〇一年)から伝わる 古式の神事で、お供えの百合の花は 疫病除けとして参拝者きそって乞い受 けるものであります。 尚当社は古来(子守明神さん)安産、育児の 神として篤い信仰をあつめております。 阿波神社(えびすさん) 御祭神 事代主神(奈良最古のえびすさん) 御例祭 六月一七日 初 戎 正月五日 式内社 大和國添上郡 率川坐大神御子神社三座 大神神社摂社 御祭神 姫蹈鞴五十鈴姫命 玉櫛姫命 御母神 狹井大神 御父神 境内 式内社 大和國添上郡 率川阿波神社 率川阿波神社 事代主神 奈良市内にある。 近鉄奈良駅から南に向う道。 案内も出ている。 三棟並んだ本殿が美しい。 通称は、子守明神。 古くは、率川宮、春日之伊邪河宮、率川社、率川大神御子守神社、子守社とも称し 明治までは、春日大社の摂社だったが、 明治八年、当社の所属をめぐり、春日大社と大神神社の間で論争が生じ 明治十二年、正式に大神神社の摂社となった。 式内社・率川坐大神御子神社三座に比定されている古社で、 中殿に姫蹈鞴五十鈴姫命、右殿に玉櫛姫命、左殿に狹井大神を祀る。 ただし、以前の祭神は異なっており、 一御殿(東端)に率川明神、二御殿(中央)に子守明神、三御殿(西端)に住吉明神、 あるいは、第一に開化天皇、第二に子守神、第三に住吉神。 明治の初めの頃は、稚日本根子彦大日日命、伊邪那岐命、住吉大神であった。 当社で購入した御守りに三杉紋が刺繍されていたので神紋は杉紋だと思う。

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第五段 一書(3)~(5)|天吉葛・金山彦・花窟神社

伊弉冉尊

イザナギノミコト 伊弉諾尊 |イザナミと共に国土を生む イザナギノミコト 伊弉諾尊 はと共に本州を含む日本の島々・神々を生む神様です。 神話の中で、• 生死の概念を生む• 禊祓という神道の重要な儀式やその他結婚式等儀礼を始めて行う• 天皇家の祖であるアマテラスオオミカミ 天照大御神 や神話の中で重要な役割のスサノオノミコト 素戔嗚尊 を生む 等々とても重要な役割をする神様でもあります。 愛するがゆえに苦しむ神様のイザナギノミコト 伊弉諾尊 について今回は詳しく見ていきましょう。 イザナミノミコトの漢字表記の由来と別名・読み方 イザナギノミコトを漢字で表記すると、• 特に太字の上2つの漢字での表記が多いです。 イザナギノミコトという名前は、 「イザナ」は「誘う いざなう 」を意味し、 「ギ もしくはキ 」は「男性」を意味するので、 「誘う男の神様」を意味します。 イザナミは「誘う女の神様」という意味なので、お互いに惹き合う神様を表現しているのです。 また、イザナギノミコト 伊弉諾尊 は別名で、• 熊野速玉大神 クマノハヤタマオオカミ• 多賀明神 多賀明神 等といった名前も持っています。 熊野速玉大神は熊野速玉神社に祀られるご祭神で、熊野権現という熊野信仰の神様の一柱です。 イザナギノミコト 伊弉諾尊 と熊野速玉大神は同一であるとされています。 イザナギノミコト 伊弉諾尊 のご利益・御神徳• 商売繁盛• 家内安全• 縁結び• 夫婦円満• 子授かり・安産・子育て• 子孫繁栄• 出世開運• 無病息災• 病気平癒• 厄除け• 延命長寿• 国家安泰 イザナギノミコト 伊弉諾尊 のご神格• 生命の祖神• 結婚の神• 人類起源の神 イザナギノミコト 伊弉諾尊 が祀られる神社 イザナギノミコト 伊弉諾尊 の祀られる神社は多くの場合、イザナギ・イザナミの夫婦神がともに祭神となっているというものが多いです。 特に有名な神社をご紹介します。 伊弉諾神宮 兵庫県淡路市 イザナギノミコト 伊弉諾尊 が・・の三貴神を生み、それぞれの神に高天原 天上界 ・夜之食国 夜 ・海原 海 を委任したのち、幽宮 かくりのみや という宮殿を建てて隠居します。 この幽宮を建てた場所を古事記では「淡海 おうみ の多賀」、日本書紀では「淡路之州 あわじのしま 」と表記しています。 この表記から淡路島の多賀の地にある伊弉諾神宮はイザナギノミコト 伊弉諾尊 が隠居をした地として、有名な神社となります。 伊弉諾神宮には、夫婦円満になるという、「夫婦大楠」という双つの楠が一つの大きな楠になったパワースポットとして人気の場所があります。 淡路島にはイザナギノミコト 伊弉諾尊 の伝承の地が多くありますが、伊弉諾神宮は特に有名な場所ですのでぜひ一度行ってみることをおすすめします。 ちなみに、最近人気の御朱印集めでも伊弉諾神宮は人気です。 イザナギノミコト 伊弉諾尊 の幽宮という字が入るという独特の御朱印です。 多賀大社 滋賀県犬上群多賀町 滋賀県の多賀大社も、イザナギノミコト 伊弉諾尊 の幽宮があったとされる、多賀の地にある神社です。 古事記では「淡海 おうみ の多賀」と表記しているのを、近江 おうみ という音から滋賀であるとする説もあります。 全国的に多賀大社は分祀社も多く、古くからイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀る神社として有名です。 多賀大社の近隣にも、三本杉というイザナギノミコト 伊弉諾尊 の説話の残るご神木があります。 江田神社 宮崎県宮崎氏阿波岐原町 イザナギノミコト 伊弉諾尊 が黄泉の国から帰ってきて穢れを払うため、禊祓を行った場所という伝承の残る地です。 この地にある、「みそぎ池」は・・と言った有名なの冒頭に出てくる「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原 檍腹 に禊ぎ祓えたまいし・・・」というイザナギノミコト 伊弉諾尊 が禊祓を行った描写のまま、禊祓をされた場所だと伝承が残っています。 最近ではパワースポットやヒーリングスポットとも呼ばれ人気の様です。 実際、神話に出てくる土地はその神話の物語のままのパワーを持つ場所だと言われています。 後程見る、黄泉平坂は悪霊が多くいる心霊スポットとしても有名です。 逆に江田神社とみそぎ池は穢れを祓う力を持つとても良い場所なのかもしれません。 この他にも、イザナギノミコト 伊弉諾尊 が祀られる神社あります。 おのころ島神社 兵庫県南あわじ市 伊邪那岐と伊邪那美が始めて降り立った島• 皇大神宮 伊勢神宮の内宮 別宮 月読宮 伊佐奈岐宮• 三峰神社 埼玉県秩父市• 熊野神社• 熊野速玉大社• 筑波山神社 茨城県つくば市 イザナギノミコト 伊弉諾尊 の神話の中の物語 イザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 の2柱の織り成す物語。 そして、日本の国・皇祖神の成り立ちと言った古事記・日本書紀等日本神話の中の最も重要な場面の一つを見ていきましょう。 イザナギノミコト 伊弉諾尊 の家系図・関連する神 イザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 の家系図を書くと、2柱の間の35柱の神とイザナギノミコト 伊弉諾尊 が生んだ14柱の神と少々多いので、有名な神様をまとめます。 ヒノカグツチ 火之迦具土神 子• また、家系図に入りませんが、物語の中で特に深く関わる神様として、• アメノミナカヌシ 天之御中主神• カミムスビ 神産巣日神 これらの神様がいます。 それでは詳しく見ていきましょう。 イザナギとイザナミの誕生 イザナギノミコト 伊弉諾尊 は古事記と日本書紀、それぞれで誕生が違う描写をされています。 一般的に知られる成り立ちは、古事記のもので、 天地開闢というシーンです。 この世にまだ何も存在しない世界に、造化三神という性別のない神様 独神 が生まれます。 そして、同じように2柱が突如生まれます。 そして、この5柱の神様の後、7代の神様が生まれます。 7代とは、2柱の独神と、5組10柱の男女神 2柱で1柱と考える が生まれる神代七世というシーンになります。 この神代七世の最後の男女ペアの神様として生まれるのがイザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 です。 別 天 津 神 造化 三神 アメノミナカヌシノカミ 天之御中主神 独神 タカミムスビノカミ 高御産巣日神 独神 カミムスビノカミ 神産巣日神 独神 ウマシアシカビヒコデ 宇摩志阿斯訶備比古遅神 独神 アメノトコタチノカミ 天之常立神 独神 神 代 七 世 クニノトコタチノカミ 国之常立神 独神 トヨクモノノカミ 豊雲野神 独神 ウヒヂニノカミ スイヂニノカミ 男女ペア ツノグヒノカミ イクグヒノカミ 男女ペア オホトノジノカミ オホトノベノカミ 男女ペア オモダルノカミ アヤカシコネノカミ 男女ペア イザナミノカミ イザナミノカミ 男女ペア イザナギノミコト 伊弉諾尊 はイザナミノミコト 伊邪那美命 の兄という立場で何もないところから、成り立ちます。 ちなみに、日本書紀では、造化三神はいなく、国之常立神の孫として生まれる、アヤカシコネノカミの子として生まれるという表記も存在します。 イザナギとイザナミで国産み・神産み 古事記の伝承では、イザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は造化三神のアメノミナカヌシにまだ何も存在していない地上の世界の葦原中津国に国を造ってくるようにと名を受けます。 アメノヌボコという鉾を受け取り、イザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は天上界の高天原 たかまがはら と葦原中津国をつなぐ天浮橋から海を突きます。 このころはまだ地上の世界は海だけの世界で、水の上には油のような何かがクラゲのようにぷかぷかと浮いていたようです。 この海に突き刺した鉾を抜くと、その鉾から滴った水滴が島になります。 この島を自ずとできた島という意味で「オノゴロ島」と名付け、イザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は地上に降り立つのでした。 この世で初めての結婚式 天の御柱の儀式 イザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 はオノゴロ島へ降り立ち、国産みと神産みをするための相談をします。 それぞれの神は生まれたときは自然と体が成り上がったのですが、それぞれ体に、足りない部分 女性器 と余っている部分 男性器 があるということを知ります。 そして、この足りない部分を足りている部分で埋めましょう!という話になります。 この話し合いの後、イザナミノミコト 伊邪那美命 は「天の御柱を回って出会って『みとのまぐわい』をしましょう」という提案をします。 天の御柱とは、オノゴロ島にイザナギノミコト 伊弉諾尊 が造った神殿にある、天にも届くような大きな柱です。 この周りをイザナギノミコト 伊弉諾尊 とイザナミノミコト 伊邪那美命 が同時に反対方向に向かって進みであったときに言葉を掛け合うというのがこの世で初めて行われた結婚式だとされます。 「みとのまぐわい」とは性交のことを意味し、イザナミノミコト 伊邪那美命 の提案は結婚をして、国産み・神産みの準備をしましょうということです。 伝承の地「オノゴロ島」 イザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 が始めて地上世界に作った島であるオノゴロ島は日本各地に伝承のある島です。 その中でも、特に有力とされるのが、オノゴロ島神社のある淡路島の近くの沼島と、淡路島の近くの絵島という島です。 国産み・神産み イザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は結婚式である天の御柱の儀式を次のように行いました。 イザナミノミコト 伊邪那美命 とイザナギノミコト 伊邪那岐命 が反対周りに柱を周り、二人が出会ったところで、イザナミノミコト 伊邪那美命 から「まぁなんて素敵な男性」と声をかけ、イザナギはそれに答えて「まぁなんて素敵な女性」と声をかけました。 この儀式が済み、2柱は「みとのまぐわい」をし、子供を産みます。 この子供は手足のない蛭のような見た目をしていました。 そのため、ヒルコ神 水蛭子神 と呼び、葦の船に乗せ海に流してしまいました。 ちなみにこの流されたヒルコ神様は西宮神社のご祭神「」として祀られるようになります。 さらに、2柱目の子も不具の子で「アワシマ」と呼び、海に流してしまいます。 イザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は困り果て、造化三神に相談をします。 この原因を占いで見てみると、原因はイザナミノミコト 伊邪那美命 が天の御柱で声をかけてしまったことでした。 そのため、もう一度行い、今度はイザナギノミコト 伊邪那岐命 から声をかけます。 すると、次にできた子は元気な淡道之穂之狭別島 淡路島 でした! この後も、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして大倭豊秋津島 本州 を産みます。 この8つの島を大八島国と呼びました。 その後も順調にイザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は神々を生み続けます。 伝承の地「淡路島」 日本で初めて生まれた国である淡路島 淡路島はイザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 の伝承の地が数多くある島です。 ヒルコ神 蛭子神 を流した神社、その他様々な地があります。 伝承の地「天橋立」 天橋立には様々な神話の物語がありますが、国造りをしている時に、イザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 の時代のものとされます。 ある物語ではイザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 が天に帰ろうとして、天にも届く梯子を作ったところ、ふとした瞬間にそれが倒れて天橋立になったとされ、 またある物語では人間が通ろうとして崩れて天橋立になった、などなど。 イザナミの死・イザナギの悲しみ怒り 順調にイザナギノミコト 伊邪那岐命 とイザナミノミコト 伊邪那美命 は神産みをつづけ、山、海、風、土、木と言った神様を産みます。 しかし、火の神を生んだ時に、イザナミノミコト 伊邪那美命 が女性器を大やけどし、それが原因で亡くなってしまいます。 イザナギノミコト 伊邪那岐命 はイザナミノミコト 伊邪那美命 の死を大いに悲しみます。 そして、イザナミノミコト 伊邪那美命 の死の原因となった火の神を殺します。 しかし、イザナミノミコト 伊邪那美命 は戻ることはありません。 大変悲しみながらも、その亡骸をイザナギノミコト 伊邪那岐命 は比婆山という場所に葬ります。 伝承の地「比婆山 ひばさん 」 イザナギノミコト 伊邪那岐命 がイザナミノミコト 伊邪那美命 を葬ったとする場所には複数の候補があります。 その一つが古事記にある「出雲国と伯耆国の境にある比婆山」です。 この伝承が残る比婆山は島根県と広島県にあります。 しかし、明治時代に、イザナギノミコトのお墓として宮内庁に認められた場所は比婆山ではありません。 どこが本当の御陵なのか、神話の世界は謎のままです。 宮内庁の認定するイザナミのお墓はここ 伝承の地「花窟神社」 また、古事記では比婆山にイザナギノミコト 伊邪那岐命 がイザナミノミコト 伊邪那美命 を葬るという表記がありますが、日本書紀では、「紀伊国 熊野の有馬村」という場所に葬ると表記があります。 この場所は現在の三重県にある花窟神社になっていて、イザナギノミコト 伊邪那岐命 がイザナミノミコト 伊邪那美命 を葬ったという場所には45メートルにもなる大きな岩があります。 驚くほどの巨石で、神秘を感じる場所です。 伝承の地「吾妻山」 イザナギノミコト 伊邪那岐命 がイザナミノミコト 伊邪那美命 を比婆山に葬った後、比婆山に向かって、「ああ、吾が 我が 妻よ!」と呼びかけたという伝説のある山です。 現在は広島県の比婆道後帝釈国定公園にある吾妻山で、とても自然豊かな場所です。 イザナミを甦らせようとイザナギが黄泉の国へ さて物語は続き、イザナギノミコト 伊邪那岐命 はイザナミノミコト 伊邪那美命 の死を受け入れられず、どうにかして、甦らせられないかと考えます。 そして、黄泉の国という死者の国に行きイザナミノミコトを連れ帰ればよいと考え、黄泉の国へと向かいます。 高天原 別天津神やが住む天上界• 葦原中津国 人間やが住む地上世界• 黄泉の国 底の国とも言う死者の世界 このような分類になっていました。 黄泉の国のイザナミノミコト 伊邪那美命 がいる神殿の前に立ち、「まだ地上世界は完成していない!一緒に帰って一緒に豊かな国を作ろう!」とイザナギノミコト 伊邪那岐命 は声をかけます。 イザナミノミコト 伊邪那美命 はその言葉を喜びますが、 「すでに黄泉の国の食べ物のヨモツヘグイを食べてしまって帰ることができない」と伝えます。 黄泉の国の掟では、ヨモツヘグイを食べてしまうと、この世界の住人となり、蘇ることはできないとされています。 しかし、イザナギノミコト 伊邪那岐命 は諦めず、熱意を込めて帰ろうと伝え、ついにイザナミノミコト 伊邪那美命 も地上の世界に帰れないか黄泉の国の神に確認してみると言いました。 確認してくる間、絶対に二柱の間にある扉を開けてはならないという約束をして、イザナミノミコト 伊邪那美命 は黄泉の国の神の許へ行きます。 そしてイザナギノミコト 伊邪那岐命 は待ち続けるのですが、待っても待っても中々帰ってこないので、心配になりイザナミノミコト 伊邪那美命 に確認をしようと約束を破り神殿の扉を開けてしまいます。 すると、そこにはウジ虫がわき、体に雷神をまとった変わり果てたイザナミノミコト 伊邪那美命 の姿がありました。 イザナギノミコト 伊邪那岐命 はこの変わり果てた姿に恐れをなして逃げ出します。 このことにイザナミノミコト 伊邪那美命 は気づき、自分の醜い姿を約束を破ったために見て逃げ出したイザナギノミコト 伊邪那岐命 に激怒します。 イザナミノミコト 伊邪那美命 は黄泉醜女 ヨモツシコメ にイザナギノミコト 伊邪那岐命 を追いかけさせます。 それでも、逃げる夫に今度は黄泉軍 よもついくさ という1500人の軍隊を差出ます。 さらに逃げる夫に今度は八柱の雷神を遣わします。 尚も逃げるイザナギノミコト 伊邪那岐命 はやっとの思いで、死者の世界と地上の世界の境にある黄泉平坂の麓にたどり着き、魔除けの効果のある桃を投げ追ってを蹴散らします。 すると今度は、イザナミノミコト 伊邪那美命 がイザナギを黄泉の国に連れ戻すため自ら飛んできます。 そして、イザナギノミコト 伊邪那岐命 は黄泉の国の入り口を千人引きの大きな岩 千人が力を合わせてやっと動く大岩 でふさぎます。 イザナギノミコト 伊邪那岐命 はイザナミノミコト 伊邪那美命 にこの岩を挟んで「ことどを渡し」ます。 ことどを渡すとは離縁の言葉を告げるということです。 イザナミノミコト 伊邪那美命 はこの言葉を聞いて、次のように言いました。 「愛おしい私の夫よ!あなたがこのようなひどい仕打ちをするのなら、私はあなたの地上の世界の人達を毎日1000人ずつ絞め殺してあげましょう!」と イザナギノミコト 伊邪那岐命 はこの言葉に 「愛おし我が妻よ。 あなたがそうするなら私は一日に1500もの産屋をこの世界に建てましょう」と答えます。 こうしてこの世界に人の寿命ができるのでした。 伝承の地「黄泉平坂 よもつひらさか ・揖夜神社」 イザナギノミコト 伊邪那岐命 がイザナミノミコト 伊邪那美命 を求め死者の国へ向かった時に通る入り口である、「黄泉平坂 よもつひらさか 」は島根県に今も残っています。 黄泉平坂には今も、イザナギノミコト 伊邪那岐命 が黄泉の国の入り口を閉ざした千人引きの大岩もあり心霊スポットとしても有名です。 イザナギノミコト 伊弉諾尊 の禊祓 無事に黄泉の国から帰ってきたイザナギノミコト 伊邪那岐命 は自分の体が、死者の世界にいたことで穢れていると感じます。 そこで、その穢れを祓う、禊祓という儀式を行います。 イザナギからアマテラスオオミカミを含む三貴神が生まれる この禊祓を行っている時に、イザナギノミコト 伊邪那岐命 から14柱もの神様が生まれます。 住吉三神という底筒男命、中筒男命、表筒男命という神様や海の神を生み、最後に特に高貴な3柱の神を産みます。 それが三貴神である、 、、です。 イザナギノミコト 伊邪那岐命 はこの三貴神に、それぞれ高天原、夜之食国、海を任せ幽宮 かくりみや を造り隠居をします。 こうして神話の物語は新たな局面を迎えます。 日本書紀では三貴神はイザナギとイザナミの子として描かれる 古事記の表記では、黄泉の国から帰ってきたイザナギノミコト 伊邪那岐命 の禊祓の時に三貴神は生まれますが、日本書紀ではイザナギとイザナミの間に生まれます。 さらに、日本書紀でははとスサノオノミコト 素戔嗚尊 の間の子として生まれます。 伝承の地「阿波岐原」 前述しましたが、三貴神を生む重要な場面である禊祓をした地として、宮城県の阿波岐原は有名です。 イザナギノミコト 伊邪那岐命 が禊祓をしたというみそぎ池も残っているとても神聖な土地です。 伝承の地「伊弉諾神宮・多賀大社」 三貴神を生んだ後、イザナギノミコト 伊邪那岐命 は隠居をします。 幽宮を造り、そこで余生を過ごすのですが、その伝承の地として、淡路島の多賀の地と滋賀県 近江 の多賀の地があります。 どちらもイザナギノミコト 伊邪那岐命 の幽宮の地として神社を創建しています。

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