ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド 感想。 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」感想と解説(ネタバレあり) タランティーノの集大成!!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのあらすじ・ネタバレと感想!デカプリオとブラピの競演がすごい!

ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド 感想

もくじ• 評価:50点 おはようございます、チェ・ブンブンです。 昨日、みんな大好きタラちゃんの新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観てきました。 ここ数作のタラちゃんの映画は毎回、思いの外テンションが上がらず、才能が枯れちゃったのかなと感じるのですが、それでもタラちゃんの祭魂と映画好きなら誰でも受け入れる愛に満ちた作風に満足していました。 ただ、今回は残念ながらそこまで乗れませんでした。 とはいっても、非常に考察しがいがある作品だったので、今日はそんな『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について ネタバレありで考察していきます。 レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットという2大スターを初共演させ、落ち目の俳優とそのスタントマンの2人の友情と絆を軸に、1969年ハリウッド黄金時代の光と闇を描いた。 テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。 目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、対照的にいつも自分らしさを失わないクリフだったが、2人は固い友情で結ばれていた。 そんなある日、リックの暮らす家の隣に、時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してくる。 今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。 やがて1969年8月9日、彼らの人生を巻き込み映画史を塗り替える事件が発生する。 」と思った。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の場合、レオナルド・ディカプリオ演じる落ち目の役者リック・ダルトン、ブラッド・ピット演じる彼の専属スタント・ダブルことクリフ・ブース、そしてマーゴット・ロビー演じるシャロン・テートの物語がまさしくグラセフ方式で次々と切り替わっていきます。 そしてタランティーノのことなので、タラタラした会話中心。 つまりミッションをこなすことを忘れてそれぞれが街を徘徊する物語となっているのです。 どうです? 守りに入り過ぎなタランティーノ さて、軽いジャブはこれくらいにして、映画について話しましょう。 本作は、タランティーノがタランティーノ映画を撮った作品と言える。 つまり、彼が今まで20年近いキャリアの中で積み上げて技術を惜しみなく使っているのです。 ただ、それが過去の栄光にしがみつくリック・ダルトンそのものになっているのです。 タランティーノは、70年代のB級映画的ポンコツ演出を意図的に使うことで映画に独特な味をつけるテクニックを持っている。 当然ながら、それは使われているのですが、これが単なる編集ミスに見えてしまう問題がある。 例えば、ブルース・リーとクリフ・ブースが戦う場面。 ガヤが5人ぐらいいたのに、3回戦になると跡形もなくいなくなっている場面。 二人が全く、ガヤを気にしていないため、ただの編集ミスに見えてしまうのだ。 本作はタランティーノ映画なので、 やれ『サンセット大通り』が! 『大脱走』が! とオマージュや引用元ばかり気になってしまうのですが、そういったお話は他の人に任せたいと思う。 寧ろ、そういったオマージュ要素を抜いた時に何が見えてくるのかについてお話ししたい。 貴方は妙に思いませんでしたか? スタントマンであるクリフ・ブースが映画のほとんどで突っ立っているだけのマネキンに過ぎない事実に。 彼はリック・ダルトンの専属スタントマンとして活動している。 しかし肝心なリックは落ち目で、全然仕事を持ってきてくれない。 その癖プライドが異常に高く、高慢な態度をとっている。 通常であれば、二人は喧嘩して仲違いするものなのですが、クリフはニカッと笑っているだけ。 リックが仕事している間は、車で街をぶらつき、ヒッピー女にメロメロになったり、ブルース・リーに喧嘩を仕掛けられたりするのだが、常に表情は変わらずニカッとしている。 そして物語が終盤に差し掛かると、リックがマカロニ・ウエスタンで出世し、クリフは用無しになる。 そして二人がハリウッドで再会し、最後の日々を送ろうとする時にマンソン・ファミリーが襲来し、避雷針としてクリフが輝くところで映画は終わってしまう。 この異様なキャラクター、クリフには2つの働きがあると考えられる。 1つ目は、『』的自問自答の構図だ。 本作において、落ち目な俳優の自分を肯定してくれる存在、心の拠り所としてスタントマンが配置されている。 そして彼が自分の殻を破り、嫌いだったマカロニ・ウエスタンに出ることで守りに入っていた自分とおさらばする物語であると考えると、マネキンにしか見えない彼の役割が腑に落ちてくる。 自己を分裂させ自己分析させる演出としてスタントマンを配置するのはハイセンスな技巧と言える。 2つ目は、 スタントマン賛歌だ。 タランティーノは、スタントマンが好きなことで有名で、『キル・ビル』製作時にユマ・サーマンのスタントとして起用したゾーイ・ベルはミューズとして毎作出演している。 そして本作は、遂にスタントマンが主役の作品だ。 映画の脇役でしかないと軽視されがちなスタントマンがシャロン・テート事件という惨劇を未然に防ぐという御伽噺の感動を増幅させるために、ひたすらに映画の隅っこで暮らしている人としてのスタントマンを描いていたのではないだろうか。 ただ、そう考えた際にもやはり脆い部分がある。 1つ目の、分身としてのスタントマン描写。 いくら、落ち目の役者を肯定するにしても最後に時間の尺がなくなったのか 「イタリアで出世したからスタントマンは用無しよ」と成功と同時に存在を消そうとするのはあまりに乱暴だと感じた。 リック・ダルトンが全く、スタントマンを気にしていないということは、映画界に対する皮肉になっているようにも取れなくはないが、あれだけじっくりじっくり会話を積み上げていったのに、最後の最後で適当に石を積み上げると、違和感が生じてしまう。 2つ目のスタントマン賛歌は、肝心なラストの戦闘シーンが映えないという最大の問題によってメッセージが弱くなってしまったと思う。 毎回、タランティーノは壮絶な復讐シーンがクライマックスにあり、その面白さでもって観客を興奮の渦に包む。 ただ、今回PG12指定留まりだけにヌルいのです。 マンソン・ファミリーが襲いかかってきて、それに対してクリフは猛反撃する。 敵の顔面をグチャグチャになるまで潰すのだが、シーンが暗くてアクションが見え辛いのだ。 しかも、肝心なトドメをリックが持っていってしまうことで、折角陰日向にいる者が唯一輝ける瞬間を描いているのに、それが横取りされて全然スタントマンが輝いて見えないのだ。 ここは、リックが火炎放射器で応戦し、最初は優勢だったのだが、反撃されて死の淵に立たされた時に、クリフが助ける。 お互いに、血だらけになりながら敵を倒し、シャロン・テートに感謝されるところでThe Endとなる展開にした方がよかったのではないだろうか。 最後に 文句ばかりになってしまいましたが、本作は楽しい映画であることは間違いありません。 タランティーノを初期から追いかけているだけに、マカロニウエスタンをディスす下から、コルブッチ愛を語るまでの変遷の面白さやドライブインシアターで流れる映画の音が『グラインドハウス』の予告編というイースターエッグは堪らないものがありました。 また某映画評論家が古き良き60年代があると、際どい発言をしたのもよく分かる。 60年代というのは映画がテレビに奪われ、またヘイズ・コードの影響でアメリカ映画が窮屈だった時代なのですが、タランティーノはテレビ映画にすら愛をこめているので確かにあの時代はよかったと錯覚したくなってしまう。 それだけに、タランティーノの映画に対する熱い気持ちを受け取ったら、楽しくないわけがない。 でも、この作品で引退するのはどこか悲しい。 折角なら、最後は 『スター・トレック』を撮って有終の美を飾ってほしいなと思いました。

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのほいほいの映画レビュー・感想・評価

ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド 感想

もくじ• 「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」あらすじ。 実際の事件が元ネタだった! 英題 「 Once upon a time in Hullywood」は 1970年手前に実際に起きた カルト事件に基づき製作される話題の作品。 ハリウッド女優の シャロン・テートが、映画監督の ロマン・ボランスキーと結婚した翌年の1 969年に狂気のカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーによってお腹の子供と一緒に殺められた事件を題材にしています。 しかそなんとこの犯行は、 人違いだったのです。 シャロンテートが住んでいた家の前住人がチャールズ・マンソンを音楽でメジャーデビューさせることができず、これを信者が逆恨みしたことで自宅に侵入、そこにいたシャロンテートを人違いで殺してしまったということが事実のようです。 そのあと犯人たちは終身刑を言い渡され、獄中死しています。 その事件が題材の映画なんだ!じゃあレオ様とブラピは何役なの?? 本作では、 レオナルド・ディカプリオは1950年代に西部劇で活躍した俳優 リック・ダルトンを演じます。 いわゆる落ち目になりつつもこだわりとプライドのある俳優で、主演ドラマがキャンセルになった後もテレビドラマにゲスト出演を続けています。 そのリックダルトンの相棒であり、親友が ブラッド・ピッド演じる クリフ・ブース。 飲酒運転で免許を失ったリックの代わりに、クリフが運転手を務めています。 リック・ダルトンはシャロン・テートの住まいの隣人、お隣さんなのです。 なので直接的に1969年の事件を描いているのでは無く、 それによりインスパアされた「当時のハリウッド」をありありと再現し、 それぞれの登場人物の生き様や 命の輝きが存分に描かれた作品となっています。 リック・ダルトンは自身の映画キャリアを掛けて起死回生に努めます。 また、クリフ・ブースもヒッピーの少女を親しくなったことから 壮絶な運命に巻き込まれていきます。 考察・ラストでレオ(リック・ダルトン)はどうなったのか? 映画を見ているとこの隣人宅に招待されたあと、 リックがまたどうにかなってしまうのではないかとハラハラしましたが、 隣人宅に招き入れられ、楽しい夜を過ごしたようです。 リック・ダルトンの隣に若き成功者であるロマン・ボランスキーと女優のシャロン・テートが引っ越してきたとき、リック・ダルトンは自身のキャリアが終盤であると落ち込んでいました。 作中でもリック・ダルトンが自身の俳優としての落ち目の情けなさに 涙したり怒りを顕にするシーンがありましたね。 最初はお互いに挨拶はおろか、すれ違うことも無かったのです。 そこから物語は進み、運命を切り開いたリック・ダルトンは (人殺しという衝撃なこともやってのけ) ハリウッドの時の人である隣人 と会話をし、家に招待されるのです。 つまりこれは、 リック・ダルトンに成功者としての扉が再び開いた と解釈できるのと思います。 リック・ダルトンが再びハリウッドに返り咲いたことを 隠喩しています。 解釈2・当時のハリウッド、アメリカをありありと描いた 作品内ではとにかく、当時のアメリカの様子がありありと 描き出されています。 人物、酒、タバコ、車、ヒッピー、ファッション… すべてがエネルギッシュで躍動的。 この時代の「ハリウッド」という 特殊な世界、特殊な文化がすべてのシーンで色濃く描写されています。 またタランティーノ監督自らが4歳の頃にロサンゼルスに 移り住んでいたそうで、 そのリアリティがより伝わってきますよね! 解釈3・シャロン・テートへの誤解の払拭と追悼のメッセージが込められている 実際には 妊娠8ヶ月でありながら、 命を奪われたシャロン・テート。 当時、 「人違い」で事件にあってしまったシャロン・テートでしたが、 マスコミにはシャロン・テート自身も麻薬に関わっていたなど、 彼女にも非があったかのような報道がされていたそうです。 しかし、タランティーノ監督は独自の調査で、 それは 間違った報道であったと確信するのです。 作中での マーゴット・ロビーが演じる シャロン・テートは 生き生きと前向きでキュート。 快活で誰にでも好かれるような女性として描かれていました。 実際には命を奪われてしまった彼女が本作では、 無事に幸せな人生を送っていおり、 子供も産む未来が暗示されています。 さらに犯人たちとされるヒッピーのカルト信者は レオとブラピにこれでもかというほど、 残酷にこっぴどくやられてしまします。 これはタランティーノ監督のシャロン・テートへの誤解の払拭と 追悼の意を込めたメッセージであると受け取れますね。 まとめ いかがでしたでしょうか? 上記のポスターでも中央でシャロン・テートが幸せそうに踊っている様子が描かれており、これはハリウッドに闇を落とした事件をタランティーノ監督なりの方法で 鎮魂し、愛を送った御伽話だと言えます。 タランティーノ監督の素晴らしさ、鬼才ぶりを改めて 堪能できる作品でした。 バイオレンスな描写はタランティーノ節として 健在ですが、 監督の写し描きたいモノが 美しいパワーを放っており爽快にすら感じましてね! 最後までお読みくださりありがとうございました!.

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ワンスアポンアタイムインハリウッドは悪趣味!感想とネタバレ

ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド 感想

もくじ• 評価:50点 おはようございます、チェ・ブンブンです。 昨日、みんな大好きタラちゃんの新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観てきました。 ここ数作のタラちゃんの映画は毎回、思いの外テンションが上がらず、才能が枯れちゃったのかなと感じるのですが、それでもタラちゃんの祭魂と映画好きなら誰でも受け入れる愛に満ちた作風に満足していました。 ただ、今回は残念ながらそこまで乗れませんでした。 とはいっても、非常に考察しがいがある作品だったので、今日はそんな『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について ネタバレありで考察していきます。 レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットという2大スターを初共演させ、落ち目の俳優とそのスタントマンの2人の友情と絆を軸に、1969年ハリウッド黄金時代の光と闇を描いた。 テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。 目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、対照的にいつも自分らしさを失わないクリフだったが、2人は固い友情で結ばれていた。 そんなある日、リックの暮らす家の隣に、時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してくる。 今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。 やがて1969年8月9日、彼らの人生を巻き込み映画史を塗り替える事件が発生する。 」と思った。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の場合、レオナルド・ディカプリオ演じる落ち目の役者リック・ダルトン、ブラッド・ピット演じる彼の専属スタント・ダブルことクリフ・ブース、そしてマーゴット・ロビー演じるシャロン・テートの物語がまさしくグラセフ方式で次々と切り替わっていきます。 そしてタランティーノのことなので、タラタラした会話中心。 つまりミッションをこなすことを忘れてそれぞれが街を徘徊する物語となっているのです。 どうです? 守りに入り過ぎなタランティーノ さて、軽いジャブはこれくらいにして、映画について話しましょう。 本作は、タランティーノがタランティーノ映画を撮った作品と言える。 つまり、彼が今まで20年近いキャリアの中で積み上げて技術を惜しみなく使っているのです。 ただ、それが過去の栄光にしがみつくリック・ダルトンそのものになっているのです。 タランティーノは、70年代のB級映画的ポンコツ演出を意図的に使うことで映画に独特な味をつけるテクニックを持っている。 当然ながら、それは使われているのですが、これが単なる編集ミスに見えてしまう問題がある。 例えば、ブルース・リーとクリフ・ブースが戦う場面。 ガヤが5人ぐらいいたのに、3回戦になると跡形もなくいなくなっている場面。 二人が全く、ガヤを気にしていないため、ただの編集ミスに見えてしまうのだ。 本作はタランティーノ映画なので、 やれ『サンセット大通り』が! 『大脱走』が! とオマージュや引用元ばかり気になってしまうのですが、そういったお話は他の人に任せたいと思う。 寧ろ、そういったオマージュ要素を抜いた時に何が見えてくるのかについてお話ししたい。 貴方は妙に思いませんでしたか? スタントマンであるクリフ・ブースが映画のほとんどで突っ立っているだけのマネキンに過ぎない事実に。 彼はリック・ダルトンの専属スタントマンとして活動している。 しかし肝心なリックは落ち目で、全然仕事を持ってきてくれない。 その癖プライドが異常に高く、高慢な態度をとっている。 通常であれば、二人は喧嘩して仲違いするものなのですが、クリフはニカッと笑っているだけ。 リックが仕事している間は、車で街をぶらつき、ヒッピー女にメロメロになったり、ブルース・リーに喧嘩を仕掛けられたりするのだが、常に表情は変わらずニカッとしている。 そして物語が終盤に差し掛かると、リックがマカロニ・ウエスタンで出世し、クリフは用無しになる。 そして二人がハリウッドで再会し、最後の日々を送ろうとする時にマンソン・ファミリーが襲来し、避雷針としてクリフが輝くところで映画は終わってしまう。 この異様なキャラクター、クリフには2つの働きがあると考えられる。 1つ目は、『』的自問自答の構図だ。 本作において、落ち目な俳優の自分を肯定してくれる存在、心の拠り所としてスタントマンが配置されている。 そして彼が自分の殻を破り、嫌いだったマカロニ・ウエスタンに出ることで守りに入っていた自分とおさらばする物語であると考えると、マネキンにしか見えない彼の役割が腑に落ちてくる。 自己を分裂させ自己分析させる演出としてスタントマンを配置するのはハイセンスな技巧と言える。 2つ目は、 スタントマン賛歌だ。 タランティーノは、スタントマンが好きなことで有名で、『キル・ビル』製作時にユマ・サーマンのスタントとして起用したゾーイ・ベルはミューズとして毎作出演している。 そして本作は、遂にスタントマンが主役の作品だ。 映画の脇役でしかないと軽視されがちなスタントマンがシャロン・テート事件という惨劇を未然に防ぐという御伽噺の感動を増幅させるために、ひたすらに映画の隅っこで暮らしている人としてのスタントマンを描いていたのではないだろうか。 ただ、そう考えた際にもやはり脆い部分がある。 1つ目の、分身としてのスタントマン描写。 いくら、落ち目の役者を肯定するにしても最後に時間の尺がなくなったのか 「イタリアで出世したからスタントマンは用無しよ」と成功と同時に存在を消そうとするのはあまりに乱暴だと感じた。 リック・ダルトンが全く、スタントマンを気にしていないということは、映画界に対する皮肉になっているようにも取れなくはないが、あれだけじっくりじっくり会話を積み上げていったのに、最後の最後で適当に石を積み上げると、違和感が生じてしまう。 2つ目のスタントマン賛歌は、肝心なラストの戦闘シーンが映えないという最大の問題によってメッセージが弱くなってしまったと思う。 毎回、タランティーノは壮絶な復讐シーンがクライマックスにあり、その面白さでもって観客を興奮の渦に包む。 ただ、今回PG12指定留まりだけにヌルいのです。 マンソン・ファミリーが襲いかかってきて、それに対してクリフは猛反撃する。 敵の顔面をグチャグチャになるまで潰すのだが、シーンが暗くてアクションが見え辛いのだ。 しかも、肝心なトドメをリックが持っていってしまうことで、折角陰日向にいる者が唯一輝ける瞬間を描いているのに、それが横取りされて全然スタントマンが輝いて見えないのだ。 ここは、リックが火炎放射器で応戦し、最初は優勢だったのだが、反撃されて死の淵に立たされた時に、クリフが助ける。 お互いに、血だらけになりながら敵を倒し、シャロン・テートに感謝されるところでThe Endとなる展開にした方がよかったのではないだろうか。 最後に 文句ばかりになってしまいましたが、本作は楽しい映画であることは間違いありません。 タランティーノを初期から追いかけているだけに、マカロニウエスタンをディスす下から、コルブッチ愛を語るまでの変遷の面白さやドライブインシアターで流れる映画の音が『グラインドハウス』の予告編というイースターエッグは堪らないものがありました。 また某映画評論家が古き良き60年代があると、際どい発言をしたのもよく分かる。 60年代というのは映画がテレビに奪われ、またヘイズ・コードの影響でアメリカ映画が窮屈だった時代なのですが、タランティーノはテレビ映画にすら愛をこめているので確かにあの時代はよかったと錯覚したくなってしまう。 それだけに、タランティーノの映画に対する熱い気持ちを受け取ったら、楽しくないわけがない。 でも、この作品で引退するのはどこか悲しい。 折角なら、最後は 『スター・トレック』を撮って有終の美を飾ってほしいなと思いました。

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