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いとう さえ り

NTV「エンタの神様」ではウクレレを弾きながらの自虐的な漫談。 フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」では、80年代のアイドルの細かすぎて伝わらないモノマネ。 フジテレビ『爆笑レッドカーペット』では、南ちゃんのコスプレで自虐ネタを披露。 R-1ぐらんぷり2010では、初の決勝進出を果たす。 地上に出て左の角を左折して約100m、すき家を右折し2軒目の地下1階が劇場です。 書籍「あぁ、だから一人はいやなんだ。 」 寂しいだか、楽しいだか、よくわからないけど、 あさこ、毎日、一生懸命生きてます。 人気芸人の、笑って、共感して、思わず沁みるエッセイ集。 全力で働いて、遊んで、吞んで、笑って、泣いて……の日々。 ぎっくり腰で一人倒れていた寒くて痛い夜。 いつの間にか母と同じ飲み方の「日本酒ロック」。 緊張の、海外ロケでの一人トランジット。 酔ってヒールでこけて両膝から出血の地獄絵図。 全力の悪ふざけ、毎年恒例お誕生会ライブ。 女性芸人仲間の感動的な出産。 大泣きのサザン復活ライブ。 22歳から10年住んだアパートの大家さんを訪問。 20年ぶりに新調した喪服で出席したお葬式。 恒例の、オアシズ大久保さんのご家族との旅行。 etc. タイトル:「あぁ、だから一人はいやなんだ。 」 発売日:2017年6月19日(月) 出版社:幻冬舎 価格:定価 本体1,400円+税 書籍「居酒屋あさこ」待たせずおいしいおつまみレシピ72 いとうあさこ、初のレシピ集 女子本音トークのおつまみに、ぜひどうぞ 「外で一人飲みするのも苦手だったので自宅で飲むことにしました。 軽くおつまみを作りビールを注ぎ、Twitterで『居酒屋あさこオープン!』みたいな事をつぶやいたところ色んな方面から『行ってみたい!』と。 そんなちょっとしたきっかけから、Twitterでオープンのつぶやきを見た知り合いが先着1名(1組)やってくる『居酒屋あさこ』がはじまりました。 そうです。 仕事のこと、恋バナ、老後のこと!? 気の合う女友だちが集まって、お酒が進めば、会話も弾む。 そんな時は身近な食材でパパッと、まずはお通し。 お待たせしません。 女芸人・いとうあさこが、外出先でおいしかったものをアレンジし、 楽しい飲み仲間をもてなすメニューを考案。 自宅キッチン潜入から、常備食材の紹介、器の選び方、密着1週間まで、 作って楽しい、読んで楽しい一冊です。 ~私、生きてる! ~」 30代独身女の悲哀を自虐的なネタで笑いに変える女芸人・いとうあさこ。 裕福な家庭に生まれ、東京でも屈指の名門女子校に進学し、明るい未来が待っていたまずだったが…。 19歳で家出。 20代は「ヒモ男」たちに貢ぐため馬車馬のように働いた。 20代後半でやっと「天職」お笑いと出会い、そこから更に十数年…。 春が来ることがなかった30女は、不惑の年を迎えても、「若手芸人」として突き進む! 「同世代対談」では親友・大久保佳代子 オアシズ と、奇跡の清純派40歳・相田翔子との爆笑トークも収録! 第二章 お嬢様からの卒業 19歳で家出をして、仕事を始め、恋をして、そして貢ぐ…お年頃のあさこ。 第三章 新世界 お笑いの道に進み、「若手芸人」として活動する日々。 第四章 前へ前へ 30代を迎え、「負け犬」芸人として突き進む芸人・あさこ。 タイトル:「あさこ40歳。 ~私、生きてる! 観る人全てに勇気を与える自虐ネタ満載! 特典映像には、スタッフ全員の反対を押し切って撮影された30代最後のお宝ショットありのイメージビデオ「シーサイド・ラブ」を収録! イライラと笑いの共存がやみつきになる、いとうあさこ渾身の一作!! 【作品紹介】 鉄板の新体操ネタではおなじみのリボンに加え、ボール・フラフープ・中国ゴマ・シガーボックス・組体操まで取り入れたTVでは観られないフルバージョンを収録! 真実か? ウソか? 」「PON! 頭脳王2019」「衝撃のアノ人に会ってみた」「17回連続不合格!? SP」「新しい波24」「ウンナン出川バカリの超! 休み方改革」「キスマイ超BUSAIKU!?」「さんま&女芸人17人が人生向上のお泊まり会」「潜在能力テスト」「ワイドナショー」「世界の何だコレ!?ミステリー」「出川哲朗とバリバリウーマン! 」「いとうあさこの花鳥風月~最近、キラキラしている会~」「痛快TVスカッとジャパン」「梅沢富美男のズバッと聞きます!」「有吉弘行のダレトク! 」「ハナタカ!優越館」「ソノサキ」「ラスアイ、よろしく!」「林先生のなるほど! 社会見聞録」「名所から一番近い家」「すじがねファンです!」「帰れマンデー見っけ隊!! ~私、生きてる! ~」/ 講談社 「居酒屋あさこ: 待たせずおいしいおつまみレシピ72」/ 小学館 「あぁ、だから一人はいやなんだ。 2~若手芸人コンプリート・カタログ~」/徳間ジャパンコミュニケーションズ.

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いとうあさこの学歴|出身高校大学や中学校の偏差値|実家がお金持ちだった

いとう さえ り

1954年 誕生 伊藤 整(いとう ひとし) ・炭焼沢村 (現:) 死没 1969-11-15 (64歳没) ・ 職業 ・ 言語 国籍 最終学歴 (現・)中退 活動期間 - ジャンル ・・・ 文学活動 () 代表作 『』(1926年,詩集) 『小説の方法』(1948年,評論) 『』(1950年) 『』(1953年) 『日本文壇史』(1953-73年,評論,中絶) 『』(1956年) 『』(1958年) 『変容』(1968年) 主な受賞歴 (1963年) (1967年) (1969年) (1970年) デビュー作 『雪明りの路』(1926年) 子供 () () 伊藤 整(いとう せい、(38年) - (44年))は、の、、、。 本名は 伊藤 整(いとう ひとし)。 抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて・に重心を移し、らの影響を受けて「」を提言。 戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。 的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。 、、社団法人副会長、などを歴任した。 生涯 [ ] 詩人としての出発 [ ] 炭焼沢村(現)で教員の父伊藤昌整と母タマ(旧姓鳴海)の間に、姉一人と10人の弟妹の12人兄弟の長男として生まれた。 父は粟谷村(現)出身で、教導団出身の陸軍少尉だったが、出征後、の水路部測量員(灯台看守兵)に志願して北海道に渡った。 まもなく辞職して白神尋常高等小学校の教員となり、整が生まれた年に父は出征でで重傷を受けて帰国し、の官舎に移る。 1909年に父は(現小樽市)村役場書記となり、塩谷村へ移る。 旧制小樽中学(の前身)を経て(の前身)に学ぶ。 中学3年の時に、2年先輩の北見恂吉の影響で詩に関心を持ち 、級友と同人誌『踏絵』を発行。 小樽高商在学中の上級生にやがおり、一緒に劇に出演したこともある。 とも親交があった。 後、旧制小樽市立中学の英語教師に就任。 1923年に友人川崎昇と同人誌『青空』発行。 1926年に主宰の『椎の木』に手紙を出して同人となり、自費出版した詩集『雪明りの路』で百田宗治、に高く評価された。 小樽で教員を続けながら、1928年に河原直一郎、川崎昇と同人誌『信天翁』刊行。 に泊まり込んで下宿代を浮かせたり、夜間学校の教師の副職をするなどして、1300円の貯金を蓄え、2年後に教師を退職し上京し、北川冬彦、仲町貞子らと同居。 小説と評論 [ ] 1927年旧制(の前身)。 教授のゼミナールに所属し、を学ぶ。 またの紹介で入ったにいた、、らと知り合い親交を結び、瀬沼茂樹の主催していた『一橋文芸』に短編小説を寄稿し 、瀬沼とはその後も生涯にわたって親交を結んだ。 また河原、川崎と批評誌『文芸レビュー』刊行、処女小説「飛躍の型」を同誌に発表、続いて「鸚鵡」「パルナス座」「繭」などを発表。 1930年には小説「送還」「感情細胞の断面」を川端康成に推奨された他、評論「文学領域の移動」「ジェイムス・ジョイスのメトオド『意識の流れ』に就いて」などを『文芸レビュー』『』『新科学的』各誌に発表。 また小川貞子と結婚、『科学画報』に掲載した小説「潜在意識の注意」で初めて原稿料を手にし、ジョイス『』の翻訳を、と『詩・現実』に連載。 1931年にの翻訳に力点を置いた『新文学研究』を編集し金星堂から発行、東京商科大を退学し、『文芸レビュー』『風車』の同人と『新作家』を創刊。 1932年に処女評論集『新心理主義文学』で、ジェイムズ・ジョイスやらの影響による「新心理主義」を提言し、やなど当時の文壇にも影響を与え、自身も実験作『生物祭』『イカルス失墜』などを執筆。 これらの作品は批判にも晒されたが、は現代文学体の代表作として横光利一「」と並ぶものと評している。 1935年から1944年まで芸術科。 1935年にの『』を翻訳して刊行。 また書下し長編小説『青春』 1938 、『霧氷』『典子の生き方』 1939 、戦時下において私小説の手法を逆用して自己韜晦によって社会を風刺する 『得能五郎の生活と意見』 1940 などを発表。 1939年に、、、と「大陸開拓文芸懇話会」を発足し、の補助金を得て、に視察旅行を行い、これを基にした旅行記や短編小説「息吹き」執筆。 1940年にはの動きに応じて日本文学者会の発起人の一人となった。 1944年から1945年文化企画部長、1944年旧制光星中学校(現)英語科教師。 1945年に北海道の妻の実家に疎開、株式会社落部ベニヤ工場勤務。 戦後1946年に講師となるが、7月に上京、に土地を買って山小屋風の家を建てて住み、「鳴海仙吉の朝」などを発表。 1948年に鳴海仙吉ものを集めて長編『鳴海仙吉』として八雲書店に原稿を渡したが、印刷屋により差し押さえられて出版不能となり、新たな書き直しを行なって1950年に細川書店より刊行、インテリ層と文壇の実体についての自虐と風刺によりの作家ともみなされた。 伊藤整ブーム [ ] 1948年、1949年から1950年第一文学部講師、1949年専任講師()、日本ペンクラブ幹事。 1950年には『チャタレイ夫人の恋人』の完訳版をから刊行し、上下巻で20万部の売れ行きとなったが、わいせつ文書として押収され、とともに起訴された。 この頃から原稿や講演の注文が殺到し、長編小説『火の鳥』も好評で、『読売新聞』年末の「1953ベストスリー」の記事では、評者10人のうち9人に選ばれている。 1954年のベストセラーのうち、1位『女性に関する十二章』、3位『火の鳥』、5位『文学入門』を占め、評論『文学と人間』 などベストセラーとなり 、合わせて年間70万部を売り上げたという。 1953年の文壇高額所得番付でも8位となっている。 1954年にに転居。 1956年には『文学界』で『』を強く推して議論を巻き起こした。 1958年東京工業大学昇格、で行われた執行委員会で発表、その後の、のイギリス・ペンクラブ例会に出席、、、などを旅して、1959年帰国。 1960年から招聘されて及びで講義。 帰国後、による「純文学歴史説」や、、らのの流行に刺激され、「『純』文学は存在し得るか」を発表、「」を引き起こした。 晩年 [ ] 設立に尽力した(内) 1962年副会長、また、らと設立運動を始め、設立時の理事となり、初代高見順の後を受けて1965年から理事長。 1963年『日本文壇史』により受賞。 1964年東工大を退職、1967年受賞 、1968年会員。 1966年の北海道文学展や、1967年に設立にも協力。 1969年にで入院、手術し、の診断を受け再入院、11月15日、癌性腹膜炎のための附属病院で死去。 で告別式が行われ、戒名は海照院釈整願。 叙、叙授。 『変容』に続く作品として『日暮れ』の腹案が準備されていた。 没後1970年、『変容』により受賞、同年に北海道塩谷に伊藤整文学碑が建立され、碑には詩集『冬夜』の中の「海の棄児」が自筆で刻まれている。 1952年から連載していた『日本文壇史』はに引き継がれ、1976年に完結した(単行本は1953年から1978年にかけて全24巻。 伊藤分は18巻まで)。 1972年から1974年にかけてから『伊藤整全集』(全24巻)が刊行。 1990年にの発案により小樽市によりが制定された。 (都市工学、東京大学名誉教授、元早稲田大学教授、元慶應義塾大学教授)は長男。 (エッセイスト、英文学者、元教授)は次男で、整の評伝も刊行している。 東京工業大学での英語の授業を受けたは、後に「伊藤整論」を発表 し師事を得て、『氾濫』で扱われるについても、自身の専門とする立場からの助言を行なった。 他に弟子による回想は堀川潭『伊藤整氏との三十年』(新文化社、1980年)がある(実質は私家版)。 チャタレイ裁判 [ ] 詳細は「」を参照 6月、伊藤整がしたの『』が文書に当るとして摘発を受けた。 は1949年に発売された『石中先生行状記』を摘発したが世論の反発で起訴猶予となり、1950年1月には『』を発禁処分としたがに「アメリカで公刊を許されたものがなぜ発売禁止になるのか」と抗議されて撤回しており、『チャタレイ夫人の恋人』も発売後に摘発を危惧されていた。 その際発行人の小山書店代表のみならず、翻訳者の伊藤整も起訴された。 裁判では芸術性の高い文学作品を猥褻文書とすることの是非、翻訳者を罪に問うことの是非などが争われたが、、最高裁は伊藤、発行人共に有罪とした。 著者の『裁判』は、当事者の立場から、文学裁判を膨大かつ詳細な記録で問題提起した、ノンフィクションにして代表作のひとつである。 またはこの裁判が始まると融資が受けられなくなり、経営が行き詰って倒産することとなった。 この翻訳はに、戦後では珍しいを使って出版された。 同訳での他の文学全集もそれに拠っている。 なお完訳は1973年に、から訳が刊行され、75年の『世界文学全集』にも収録されたが、世間的には知られなかった。 に次男のが削除部分を補った完訳版を新潮文庫から出版し、出版時に多くのマスメディアが取り上げ、初の完訳という誤報を流した。 作品 [ ] 20世紀文学の手法 [ ] 『雪明りの路』は、1920年から小樽高等商業学校の校友會誌、同人誌『青空』『信天翁』『椎の木』に発表したものと、未発表作品を収めている。 当時『』から様々な詩集、『日本詩人』などの詩誌を愛読し、、や、『海潮音』、『月下の一群』などの訳詩集の影響を受け、、、などの英詩の原文をあたっていた。 作品は北海道の自然を背景とした、のであり、扉にはイエーツを引用しており、出版当時は「あなたは誰よりもよく深く詩の本質を理解している。 あなたは深い大きな共感、そのむしろ潜行的な力強い伝搬力を真底から把握している」と評し、瀬沼茂樹は「いかにも青春らしい思慕や、哀愁や、憧憬が、北海道の厳しい自然と綯いあわされて、きわめて上品で、特有な詩趣を実現していると思われる」と述べている。 『冬夜』は1925年から『椎の木』、及び伊藤とらによる第二次『椎の木』に発表された作品を収めて限定版として発行された。 1954年刊『伊藤整詩集』はこの2詩集と、1929-30年に発表された作品、及び1948年に発表された「鳴海仙吉の詩」を収めており、1958年新潮文庫版『伊藤整詩集』ではこれに、1957年に川崎昇夫人が没した際に書いた「川崎くら子夫人を葬る詩」を納めている。 これらの詩の何編かは、小説『鳴海仙吉』『幽鬼の村』に挿入されている。 『新心理主義文学』厚生閣 1932年 1929年からは『』に欧米の現代詩人の紹介を寄稿しており、1931年から34年にかけて『ユリシーズ』の翻訳を進めていた伊藤は、ジョイスやのの手法について論じた「新心理主義文学」を1932年3月に『』に発表。 これらの作品が「二十世紀はインテリゲンチアの知性の内向する時代、感性の捌口を持たぬ時代」を背景にしており、彼らが「新しい文学の様態を提出したのは、最早古き様態の文学に盛ることの出来ない新しい現実を彼らが発見した」と述べた。 この評論は『』を発行していた厚生閣書店から、編集の「現代の芸術と批評叢書」の一冊として、同4月にこれを含む『新心理主義文学』として刊行された。 またその理論を「飛躍の型」「感情細胞の断面」「幽鬼の街」「幽鬼の村」等の実作として試みたが、「エッセイや小説はあらゆる種類の非難と嘲笑と否定と罵言と、また僅少の好意ある忠告」を受けた。 は伊藤の「ジェイムス・ジョイスのメトオド『意識の流れ』に就いて」 1930 について評論「心理小説」で「極く普通の言ひ方で書かれた在来の小説が、本当に行き詰つてゐるのであるか、小説の極点は十九世紀で終わったと活動写真に色目を使ふのと、たまたま泣きつ面の前に新しいお手本がひろげられた気で、これだこれだと浮き腰になるのとどつちが一体利口なのであらうか」「作家にとつて生々しい問題は文芸史発達の上にはない。 己れの支へる文芸理論の深化にあるのだ。 」と評し、または「伊藤はジョイスが流行ればジョイスを真似、プルウストが流行ればプルウストを真似、『得能五郎の生活と意見』も何とかいう外国小説の真似だ」と批判した。 これに伊藤は1947年になってエッセイ「『トリストラム・シャンディイ』と『得能五郎』」にて「ジョイスとロレンスの代表作を初めて日本語に移したのは私である。 それは無意義であったろうか。 その影響なしに当代の日本文学は成立しているであろうか」と反駁している。 「」 1930年)、「水晶幻想」 1931年 なども、この新心理主義的技法を用いた作品と言われている。 「機械」は発表当時小林秀雄らによっても激賞されたが、伊藤はこれをプルーストの影響とした上で「堀()も私もやらうとしてまだ力が足りなかったうちに、この強引な先輩作家は、少なくとも日本文で可能な一つの型を作ってしまつた、という感じであった。 」と述べている。 評論と創作 [ ] 『小説の方法』 1948 は近代日本文学を西欧文学と比較しつつ、初めて論理的、体系的にとらえた文芸批評であり 、「自分が文学をどのようなものと考えるべきか、また自分の創作の態度をいかに定めるべきか、という問題を中心として、ヨーロッパの文学と日本の近代文学を比較しながら」書いたと、『文学入門』序文で述べている。 続いて書かれた『小説の認識』 1955 は『小説の方法』を発展させた、1949年から1953年に発表した文学論を集めたもので、当時のブームにより新書版で刊行された。 これには『物語戦後文学史』で「マルクス主義芸術論を破ったこと」「「人格美学」なるものに終焉を宣言したこと」「現代では、力を持つものは「組織」であり、個人の生命のはたらく場所、その自由は微小だ、という認識に到達したこと」の3点を挙げている。 ただしは、に代表される日本的人格美学の形式である私小説も、「芸」への「移転」によって「本格小説」となりうることを示しており、またマルクス主義文学も「イデオロギー抜きの思考方法」として肯定されていると論じ、「組織」の絶対性と相対性は「その後の社会学や政治学の発展、構造主義的方法の普及などにより、今日ではほとんど常識化」されていると述べている。 またの体験も元に、芸術は「生命の側に立ち、人間を抑圧する秩序に反抗するもの」という考えを示し、これを実作『火の鳥』で示してみせた。 『文学入門』 1954 は、この二冊の結論を「できるだけ分かりやすい形で、文学の形式、その感動の働き、その文体、他の芸術との比較、という諸点からこの本を書いた」「現在のところ、この本が、私の到達点である」と序文で述べたものになっている。 1958年から刊行された『全集』では全巻の解説を担当、自身の没後に『谷崎潤一郎の文学』として出版され、それまで無思想の作家とされていた谷崎への定説を覆してその思想を論じたとして、高い評価を受けた。 『得能五郎の生活と意見』は、1940年に発表された「鞭」「得能五郎の生活と意見」などをまとめて長編化したもので、時代の梗塞状況に対して、私的な自己主張のみに限定して語るという、私小説の方法を逆手にとって、それをパロディ化した自己戯画によって風刺する文体を用いた。 大和大学芸能科講師の主人公とともに、登場人物には当時の友人たち、福田清人、森本忠、蒲池歓一、、坂本越郎、春山行夫、、川崎昇らをモデルとしている。 発表当時は『空想家とシナリオ』や、『伸六行状記』に比較論評され、また小林秀雄からは「文士得能五郎の生活紛失附他人生活に關する散歩的意見」、その意見が「子供らしい」と評したが、伊藤はこの作品について「軽い気持ちで自分の興味の対象を日常から取り上げて描くという随筆的なもの」と語っている(『感動の再建』所収「小説の復活」)。 『得能物語』はこの下巻と言える作品で、「人間の鎖」 1941年8月 以降に発表された作品をまとめて1942年に長編として刊行された。 主人公はの『ルーマニア日記』やのを講義する中で、自身の私小説論も展開している。 また戦後発行の版では、1941年12月の開戦時の背景説明の追加や、の引用部分の要約などの改訂がなされた。 戦後の『鳴海仙吉』はこの方法により、また詩、小説、戯曲、評論などのジャンルを取り入れる、ジョイス『ユリシーズ』の技法を用いて、自分を含めた戦時中の知識人への批判、反省を主題にしつつ、内向的、倫理的な作品となっている。 主人公は非行動的な(ロシア文学の)的であるが、より卑小な人物像となり、笑いの要素が多くなったと自ら語っている。 その後のチャタレイ裁判について『伊藤氏の生活と意見』では芸術の正当性を述べるとともに、女性を含めた既成の性道徳への批判にも及んだ。 これを読んだ『婦人公論』編集者が、女性への批判や考えについての連載を依頼し、戯文調の、女性を嘲笑するかのような批判から、人生論、文学論にまで及ぶエッセイ『女性に関する十二章』は、中央公論社からデザインの新書版で単行本化され、3ヶ月連続ベストセラー1位となり、50万部を売り上げた。 ここで取り上げた女性論、人生論は、『氾濫』『発掘』『変容』の長編三部作で作品化された。 『氾濫』執筆と同時期に新聞連載された『誘惑』は、『氾濫』と同じように裕福な家庭の問題を扱いながら、破滅的な物語にはならず、連載にあたって「技術的には、オペレッタ風の、歌謡を織り込んだ小説にするつもりである」(作者のことば)と語ったように、明るく、喜劇風に描かれている。 また『感傷夫人』は『女性に関する十二章』によるブームに続いて初めて女性誌に連載した長編小説で、男女の三角関係を現代的視点で描いたものだが、筋をそれ以上に紛糾させるような通俗的興味を狙う方法を取らず、また愛情の純粋な形を問いながら、思想的結末、小説的結末をつけずに、「人間の内心のつぶやき」を「作者が創始したといってもよい心理的な追及の仕方」によって詳細に書き込まれたものになっている。 『鳴海仙吉』は『小説の方法』と問いと答えの関係となっていると自身で述べていたように、伊藤の小説は自分の文学理論を実作に適用しただけとの見方をされることが多いが、は「理論の単純な実作への適用ではなく、その基調をなすのは、彼の『詩』であるようです」と評している。 または「『氾濫』は『雪明りの路』を残酷に踏み躙っているように見えるが、それは彼が今でも『雪明りの路』を歩いているのだという自信があるからではないか」と発言している。 は昭和初期の文学の流れを、第一に私小説に代表される伝統的リアリズム、第二にプロレタリア文学に代表されるマルクス主義文学、第三に20世紀の海外の新文学の刺激を受けたモダニズム文学の三派鼎立という図式であらわし、伊藤整の影響を大きく評価するとともに、マルクス主義運動に対する根深いコンプレックスを指摘している。 自伝的小説として、少年期を題材にした『少年』、小樽時代から上京までの青年期を題材にした『若い詩人の肖像』、また同じ舞台によるフィクション『青春』『幽鬼の街』があり、戦後に書いた『鳴海仙吉』も、自己暴露、自己分析的作品と言える。 連載途中で未完となった『年々の花』は、日露戦争に参加した父昌整を一人の明治人として描こうとした作品で、1941年から構想し、やにも取材を重ねた上で執筆に取り掛かっていたものだった。 『日本文壇史』は、『』編集者に「近代日本の「文壇外史」とでもいふべきもの」をと依頼されて、断ったものの再三の要請で承諾して1952年から連載を始めた。 2年連載後に単行本第1巻刊行時には、「明治初年から『書生気質』まで」の300枚を書き加えた。 詩集 [ ]• 『雪明りの路』椎の木社、1926年(木馬社、1952年)• 『冬夜』近代書房[発売インテリゲンチヤ社]、1937年(細川書店、1947年)• 『伊藤整詩集』光文社、1954年(新潮文庫、1958年) 小説 [ ]• 『生物祭』、1932年(短編集)のち講談社文芸文庫• 『イカルス失墜』椎の木社、1933年(短編集)のち新潮文庫• 『石狩』版画荘、1937年(短編集)• 『馬喰の果』新潮社、1937年(短編集)のち文庫• 『石を投げる女』竹村書房、1938年(短編集)• 『青春』河出書房、1938年(書下し) のち角川文庫、新潮文庫• 『街と村』、1939年(短編集) のち講談社文芸文庫• 『霧氷』、1940年(『長篇文庫』1944年) のち角川文庫• 『典子の生きかた』河出書房、1940年(書下し) のち角川文庫• 『吉祥天女』金星堂、1940年(短編集)• 『祝福』、1940年(短編集)• 『得能五郎の生活と意見』河出書房、1941年 のち新潮文庫(短編「鞭」「得能五郎の生活と意見」などを改稿長篇化したもの)• 『得能物語』河出書房、1942年 のち新潮文庫(短編「人間の顔」「安宅」などを改稿長篇化したもの)• 『故郷』協力出版社、1942年(短編集)• 『父の記憶』利根書房、1942年(短編集)• 『童子の像』錦城出版社、1943年(書下し)• 『雪国の太郎』帝国教育会出版部、1943年• 『三人の少女』淡海堂、1944年(少女小説)• 『微笑』南北書園、1947年(短編集)• 『鳴海仙吉』細川書店、1950年 のち新潮文庫、岩波文庫• 『花ひらく』、1953年(『朝日新聞』1953年5-7月) のち角川文庫• 『』、1953年 のち新潮文庫、角川文庫• 『海の見える町』新潮社 1954年(短編集)• 『感傷夫人』 1956年(『婦人公論』1954年1月-1955年12月) のち角川文庫• 『町 生きる怖れ』角川文庫、1956年• 『少年』筑摩書房、1956年• 『若い詩人の肖像』新潮社、1956年(「海の見える町」(『新潮』1954年3月)、「若い詩人の肖像」(『中央公論』1955年9-12月)、「雪の来るとき」(『中央公論』1954年5月)、「父の死まで」(『世界』1956年1月)等を加筆集成) のち新潮文庫、講談社文芸文庫• 『誘惑』、1957年(『朝日新聞』1957年1-6月) のち角川文庫• 『氾濫』新潮社、1958年(『新潮』1956年11月-1958年7月) のち新潮文庫• 『泉』中央公論社、1959年(『朝日新聞』1959年4-10月) のち角川文庫• 『虹』中央公論社、1962年(『婦人公論』1960年1月-1961年4月)• 『同行者』新潮社、1969年(『週刊新潮』1968年1-12月)• 『変容』、1968年(『世界』1967年1月-1968年5月) のち岩波文庫• 『花と匂い』新潮社、1970年(『サンケイ新聞』1967年2-12月)• 『年々の花』中央公論社、1970年(『小説中央公論』1962-63年、未完)• 『発掘』新潮社、1970年(『新潮』1962年3月-1964年10月) 評論・随筆等 [ ]• 『新心理主義文学』厚生閣書店、1932年• 『小説の運命』竹村書房、1937年• 『芸術の思想』砂子屋書房、1938年• 『一葉文学読本』第一書房 1938年• 『現代の文学』河出書房、1939年• 『四季 随筆集』赤塚書房、1939年• 『私の小説研究』厚生閣、1939年• 『文学と生活』昭和書房、1941年• 『満洲の朝』育生社弘道閣、1941年(旅行記)• 『文芸と生活・感動の再建』四海書房 1941年• 『小説の世界』報国社、1942年• 『戦争の文学』全國書房、1944年• 『小説の問題』大地書房、1947年• 『文学の道』南北書園、1948年(『私の小説研究』加筆改題)• 『小説の方法』河出書房、1948年、のち河出文庫(旧)、新潮文庫、筑摩叢書、(新版校訂)• 『伊藤整文学論選集』実業之日本社、1949年• 『我が文学生活』細川書店、1950年• 『性と文学』細川書店、1951年• 『裁判』、1952年、のち旺文社文庫、晶文社(各・上下)• 『伊藤整氏の生活と意見』河出書房、1953年(『新潮』1951年5月-1952年12月)のち角川文庫• 『日本史』18巻目まで、大日本雄弁会講談社/、1953-1973年(『群像』1952年1月-)、度々新装版刊、(改訂版)• 『文学入門』光文社カッパブックス、1954年、のち光文社文庫、講談社文芸文庫(改訂新版)• 『』中央公論社、1954年(『婦人公論』1953年1-12月)のち角川文庫、• 『我が文学生活』全6巻 講談社、1954-1964年• 『文学と人間』角川新書、1954年• 『小説の認識』河出書房(新書)、1955年、のち新潮文庫、岩波文庫(新版校訂)• 『芸術は何のためにあるか』中央公論社、1957年• 『近代日本の文学史』光文社カッパブックス、1958年(夏葉社 新版校訂・2012年)• 『作家論』筑摩書房、1961年 のち角川文庫• 『ヨーロッパの旅とアメリカの生活』新潮社、1961年• 『求道者と認識者』新潮社、1962年• 『愛と性について』1970年、大和書房• 『知恵の木の実』「人と思想」文藝春秋、1970年(『婦人公論』1967年2-12月)• 『の文学』中央公論社、1970年、新書版「全集」の解説• 『小説の方法・小説の認識』「名著シリーズ」講談社、1970年、新版1972年• 『近代日本人の発想の諸形式』岩波文庫、1981年。 編・解説• 『太平洋戦争日記』全3巻 新潮社、1983年 主な編著 [ ]• 『文章読本』(河出書房(新書)、1954年)• 『ジョイス研究』(、1955年、新版1967年)• 『夏目漱石研究』(新潮社、1958年)• 『20世紀英米文学案内9 ジョイス』(研究社出版、1969年) 翻訳 [ ]• 『ユリシイズ』・共訳 第一書房、1931-1934• ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』(削除版)健文社、1935• 『狭き門 全集』金星堂、1935• 『贋金づくり ジイド全集』葛川篤共訳 金星堂、1935• ロレンス『恋愛論』健文社、1936• ロレンス『恋する女』共訳、三笠書房、1936• 『ロレンス文学論』永松定共訳、昭森社、1937• 『世界文豪読本 ロレンス篇』第一書房、1937年• 『ロシア文学講話』改造社、1938-1939• 『ユリシーズ』河出書房、1938年• 『運命の橋』新潮社、1940 のち文庫• 『汚れなき時代』三笠書房、1941• レイモント『農民 第三部』第一書房、1941• ローレンス『メキシコの朝』 育生社弘道閣、1942• クロポトキン『ロシヤ文学の理想と現実』共訳、改造社 1947• 『小公女』鎌倉書房、1949 のち新潮文庫• 『チャタレイ夫人の恋人 ロレンス選集』小山書店、1950 のち新潮文庫• 『事件の核心』新潮社、1951 のち文庫• 『メリーメン・黒い矢』せいかつ百科刊行会、1955年• ロレンスの手紙』永松定共訳 弥生書房 1956-1957年• ロレンス『息子と恋人』河出書房新社、1960年• 『若草物語』講談社、1962 作品集 [ ]• 『伊藤整作品集』全5巻 河出書房、1953年• 『伊藤整全集』全14巻 河出書房、1955-1956年• 『伊藤整作品集』光文社、全10巻、1957-1959年• 『現代知性全集5 伊藤整集』日本書房、1958年• 『現代人生論全集9 伊藤整集』雪華社、1966年(復刻「私の人生論8 伊藤整」日本ブックエース、2010年)• 『伊藤整全集』全24巻 新潮社、1972-1974年• 『未刊行著作集12 伊藤整』白地社、1994年• 『街と村・生物祭・イカルス失墜』講談社文芸文庫、1993年 注 [ ] []• 瀬沼茂樹「文学思想の懐胎」(『新潮日本文学31 伊藤整集』新潮社 1970年)• 『瀬沼茂樹文庫目録』日本近代文学館 1997年• 吉本隆明『言語にとって美とはなにか』• 奥野健男『日本文学史 近代から現代へ』中央公論社、1970年• 「文学的自伝」(『』1941年9月、『伊藤整全集 15』新潮社 1974年)• 高見順『昭和文学盛衰史』講談社 1965年• ウェブ電藝• 「伊藤整ブームと『日本文壇史』の方法」(『日本文壇史 2』講談社学術文庫 1995年)• 大村彦次郎『文壇挽歌物語』ちくま文庫 2011年• 『朝日新聞』1967年4月7日(発行)朝刊、14頁。 木原直彦「様々お世話になった人-伊藤整と北海道」 『日本文壇史 12 自然主義の最盛期』講談社文芸文庫 1996年)• 『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)36頁• 「著者に代わって読者へ 回転書棚の軋み」」(『日本文壇史18 明治末期の文壇』講談社文芸文庫 1997年)• 後に評伝、奥野健男『伊藤整』(潮出版社、1980年)を刊行した。 奥野健男「解説」(『近代日本人の発想の諸形式』岩波文庫、1981年)• 『伊藤整詩集』新潮文庫、1958年(瀬沼茂樹解説)• 、編『日本近代文学評論選』岩波文庫 2004年• (『新潮日本文学31 伊藤整集』新潮社 1970年)• 曾根博義「解説」(『小説の認識』岩波文庫 2006年)• (『小説の方法』筑摩叢書 1989年)• 「作家案内 伊藤整 伊藤整と三島由紀夫」(『日本文壇史 1』講談社学術文庫 1994年)• 瀬沼茂樹(『得能五郎の生活と意見』新潮文庫 1954年)• 瀬沼茂樹(『得能物語』新潮文庫 1954年)• 「得能五郎と鳴海仙吉」• 奥野健男「解説」(『女性に関する十二章』中公文庫、1974年)• 奥野健男(『誘惑』角川文庫 1962年)• 瀬沼茂樹「解説」(『感傷夫人』新潮文庫 1959年)• 中村光夫『日本の現代小説』• 曾根博義「伊藤整の評論-伊藤整の周辺 6 」(『日本文壇史18 明治末期の文壇』講談社文芸文庫 1997年)• 「伊藤整『日本文壇史』の特質」(『日本文壇史1 開花期の人々』講談社文芸文庫 1994年) 参考文献 [ ]• 年譜(『日本の文学59 伊藤整』中央公論社 1965年)• 年譜(『新潮日本文学31 伊藤整集』新潮社 1970年) 外部リンク [ ]• - (2019年3月31日アーカイブ分)• 1943:• 1948:• 1951:• 1953:• 1954:• 1955:• 1956: ・• 1957:• 1958: ・ ・• 1959: ・• 1960: ・・• 1961: ・・・• 1962: ・・• 1963: ・• 1964:• 1965: ・• 1966: ・• 1967: ・• 1968:• 1969:• 1970:• 1971:• 1972:• 1973:• 1974:• 1975:• 1976:• 1977:• 1978:• 1979:• 1980:• 1981:• 1982:• 1984:• 1985:• 1986:• 1987:• 1988:• 1989:• 1990:• 1991:• 1992:• 1993:• 1994:• 1995:• 1997:• 2000:• 2001:• 2003:• 2004:• 2005:• 2006:• 2007:• 2008:• 2011:• 2013:• 2016:• 2017:• 2018:• 2020:• 1942:• 1943:• 1950:• 1951: ・• 1952: ・• 1953:• 1954:• 1956:• 1957: ・• 1958:• 1959: ・・• 1960: ・• 1961: ・• 1962:• 1963: ・• 1964: ・• 1965:• 1966: ・• 1967:• 1968: ・• 1969: ・• 1970: ・• 1971:• 1972:• 1973:• 1976:• 1977:• 1979:• 1980:• 1981:• 1982:• 1984:• 1985:• 1986:• 1988:• 1990:• 1991:• 1992:• 1993:• 1994:• 1995:• 1996:• 1997:• 1998:• 1999:• 2000:• 2001:• 2002:• 2003:• 2004:• 2005:• 2006:• 2007:• 2008:• 2009:• 2010:• 2012:• 2013:• 2015:• 2017:• 2018:• 1943:• 1950:• 1952:• 1953:• 1954:• 1955:• 1957:• 1958:• 1961:• 1963: ・• 1966: ・• 1968:• 1970:• 1971:• 1972:• 1973:• 1974:• 1975:• 1977:• 1979:• 1980:• 1981:• 1982:• 1985:• 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いとう さえ り

略歴 [ ] 2003年にドラマ『』で芸能界デビュー。 当時わずか9歳で演技未経験ながら、身体が少女に若返ってしまった女性研究員という難役をこなし、話題を集めた。 にはドラマ『』『』に出演。 以降活躍の場を広げ、には監督による青春映画『』に出演。 人物 [ ]• の持ち主。 実兄は所属の「」のツッコミ・伊藤俊介。 2014年に自身ので日本と韓国のであることを公表している。 趣味は(ドラマ『』劇中では「」()と「DO THE MOTION」()をカラオケで歌っている)。 特技はで、にはALL Japan Dance Contestの東京予選、およびサンリオダンスコンテストのキッズ部門でそれぞれ優勝するなどの記録を持つ。 「GTO」で共演した 、同じく共演した とは親しい友人関係。 映画および舞台『幕が上がる』で共演したももいろクローバーZのメンバー・と一緒に食事に行くなどプライベートで交流があり、玉井ので「ももクロの隠れメンバー茶色担当ちゃいり」と紹介された。 出演 [ ] テレビドラマ [ ]• (2003年7月7日 - 9月8日、) - ナツキ 役• (2005年1月11日 - 3月21日、) - 若槻モモ 役• (2005年7月2日 - 9月17日、) - 田中桃 役• 第1話「箱入り娘のクリスマス」(2005年、) - レン 役• テレビアニメ放送15周年記念ドラマ「」(2006年、) - 白河さん 役• こちら新宿駆けこみ寺〜泣き笑い玄さん奮闘記〜(2006年、)• コシノ家の闘う女たち 肝っ玉お母ちゃんとパワフル三姉妹(2006年、)• (2006年、) - 遠足の少女 役• 「」(2006年、) - 市丸晴子 役• (2006年、)• (2007年、) - 貞子をいじめる 役• (2007年、) - 山西麻衣 役• 第7話(2007年、)• (2007年、) - 佐藤美香 役• 開局55年記念番組「」(2008年、日本テレビ) - 中村悦子 役• (2008年、) - 大崎沙莉 役• (2009年、フジテレビ)• (2011年1月17日 - 3月28日、) - 宇野沙莉 役• 2ndシーズン 第1話(2011年、) - ギャル 役• (2012年、・) - 浦田千枝子 役• (2012年5月9日、) - バスの乗客 役• 人生は「サイテーおやじ」から教わった(2013年、) - 西原理恵子の友人 役• スペシャルドラマ (2013年、) - 井上カオリ 役• (2013年、) - ユウコ 役• (2014年、) - 楠見加奈子 役• (2015年、)- 愛川奏 役• 「るみちゃんの事象」第2話(2015年、) - 涼子先輩 役• (2015年、) - 主演・葉山小百合 役• (2016年、) - 垣内結菜 役• (2016年、) - 主演・伊藤沙莉(本人) 役• (2016年、) - 山瀬栞 役• 『』(2017年、) - 土井崎茜 役• 『」』(2017年、WOWOW) - 鞠谷明日実 役• 第30話 - 最終話(2017年、) - 安部さおり(安部米子) 役• ひよっこ2(2019年3月25日 - 28日)• (2017年10月14日、) - エリ 役• スピンオフドラマ「」(2017年10月17日 - 11月14日、)• (2018年1月2日、) - 梅谷桃世 役• (2018年1月18日 - 3月22日、) - 五十嵐琴音 役• (2018年4月7日 - 5月26日、・) - 山田千夏 役• (2018年7月15日 - 9月16日、) - 刈谷幸子 役• (2018年7月27日 - 10月12日、) - 水野晴子 役• マザーズ2018 僕には、3人の母がいる(2018年11月10日、) - 村上友 役• ちょいドラ2019「ダークマターな女」(2019年1月12日、) - 主演・宇宙飛行士 役• 「濡羽色(ぬればいろ)の恋」(2019年6月14日、) - 謎の黒ずくめの女 役• 第1話(2019年7月13日、) - ヤンキー女 役• (2019年7月26日 - 9月27日、) - 佐々木真夕 役• (2020年1月16日 - 2月13日、) - ヒロイン・ハル 役• 「」(2020年3月21日、) - 土方はる子 役• (2019年8月8日全話配信、) - 小瀬田順子 役 DVD [ ]• DVDシネマ「恋愛白書」(2004年) - 須山絵里子 役• 『怪談 弐 職場怪談 』続・病院怪談(2006年)• 「箱入り娘のクリスマス」(2006年) - レン 役• (THE3名様・スピンオフ企画)」(2008年) 映画 [ ]• (2006年)• 兎のダンス(2007年)• (2007年)• Lost Harmony(2011年) - 西原瑠璃子 役• (2012年) - 永井あゆみ 役• (2013年)• (2013年)• 恋につきもの 「いばらのばら」(2014年) - 琉花 役• (2014年)• (2015年)- 高田梨奈 役• 「MY NICKNAME is BUTATCHI」(2016年) - 主演・野村杏奈 役• KABUKI DROP(2016年)• (2017年) - フミ 役• (2017年) - 主演・愛衣 役• (2017年) - 山瀬栞 役• 「ハンマー(48億のブルース)」(2017年) - 愛川湊 役• (2018年) - 石田さとみ 役• (2018年)• 榎田貿易堂(2018年) - 真木千秋 役 監督:飯塚健• (2018年) - 島春代 役• 「projection」(2019年)• (2019年10月11日公開) - スナックのチーママ 役• (2019年11月8日公開) - 山本りほ 役• (2020年7月17日公開予定) - 青山 役 テレビアニメ [ ]• (2020年1月6日 - 3月23日、NHK総合) - 主演・浅草みどり 役 吹き替え [ ]• (2019年7月26日公開) - デイジー 役 ドキュメンタリー・教養 [ ]• 「反骨の考古学者 ROKUJI」(2019年7月6日、NHK Eテレ) - 森本ミツギ 役(ドラマ部分)• ()(2020年4月6日 - 4月27日) - 朗読・「」• 「さよなら、私のデパート。 」(2020年6月15日、日本テレビ) - 語り バラエティ [ ]• (2005年 - 2006年、) 情報番組 [ ]• ()- ゲストコメンテーター(不定期出演) PV [ ]• 「Sky」(2004年)• 「」(2014年)• 「」(2015年)• 「恋と嘘」(2017年)• 「背中合わせ feat. 安果音」(2017年) CM [ ]• 「英会話スクール 〜ダンス篇〜」(2003年)• 「日清ラ王 袋麺」(2017年)• 「Vitality」『廊下で1UP』篇(2018年)• 「いい部屋ネット」『わたしのいい部屋、みつけた!』篇(2019年)• 「大人のクリームパイ」『大人とはなんぞや』篇(2020年)• プラス(2020年)• 「メゾン・メルカリ」(2020年) 舞台 [ ]• 2010夏 第3話『本当の恋の見つけ方』• (2015年5月1日 - 24日、) - 高田梨奈 役• (2015年8月 - 9月、)• ALL Japan Dance Contest(東京予選優勝、2003年)• ダンスコンテスト(キッズ部門優勝、2003年)• 13thシングル「」バックダンサー(2003年)• オープニングダンサー (2004年)• the fake show(2018年 - 2019年) 作品 [ ] 楽曲参加 [ ]• 餓鬼連合( with 伊藤沙莉)「Miss PenPen」(2017年6月29日配信、JCC) - ラッパー 受賞歴 [ ]• 第10回 最優秀新進女優賞(『榎田貿易堂』『』『』『』)• 第40回 助演女優賞(『寝ても覚めても』『榎田貿易堂』)• 第57回 個人賞(『映像研には手を出すな!』『これは経費で落ちません!』『ペンション・恋は桃色』『全裸監督』『反骨の考古学者 ROKUJI』) 脚注 [ ] []• 原田美紗 2018年5月30日. 2018年9月9日閲覧。 中山雄一朗 2018年11月21日. シネマトゥデイ. 2018年11月23日閲覧。 ORCON STYLE. 2016年2月14日閲覧。 伊藤, 沙莉 2017年10月27日. インタビュアー:てれびのスキマ. 2018年9月9日閲覧。 2018年11月12日. 2018年12月7日閲覧。 livedoorニュース 2015年10月22日. 2015年10月22日閲覧。 TBS. 2018年6月27日閲覧。 コミックナタリー. 2018年7月21日. 2018年7月21日閲覧。 クランクイン! 2018年12月7日. 2018年12月8日閲覧。 NHK. 2020年4月8日閲覧。 会見動画. 2019年7月5日. 2019年7月6日閲覧。 映画ナタリー 2020年1月2日. 2020年1月11日閲覧。 リアルサウンド 株式会社blueprint. 2019年12月25日. 2020年4月8日閲覧。 2016年3月14日閲覧。 ORICON STYLE. 2016年4月27日. 2016年4月27日閲覧。 劇団EXILE松組. 2016年10月20日閲覧。 映画ナタリー. 2016年4月18日. 2016年4月19日閲覧。 第27回 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭(2017年)出品作品。 のみ、2月3日より先行公開。 com. 2016年8月25日. 2016年8月25日閲覧。 cinemacafe. net. 2019年9月27日閲覧。 MANTAN. 2020年2月14日. 2020年2月14日閲覧。 映画ナタリー 2019年10月25日. 2019年10月25日閲覧。 映画ナタリー 2019年6月6日. 2019年6月6日閲覧。 2019年7月8日閲覧。 2020年6月16日閲覧。 プレスリリース , , 2018年10月25日 , 2018年12月8日閲覧。 プレスリリース , 大東建託, 2019年4月1日 , 2019年8月11日閲覧。 プレスリリース , 日本マクドナルド株式会社, 2020年1月7日 , 2020年1月9日閲覧。 プレスリリース , 日本マクドナルド株式会社, 2020年6月2日 , 2020年6月16日閲覧。 com 2015年7月6日. 2015年7月7日閲覧。 アルファエージェンシー 2018年8月31日. Twitter. 2019年2月6日閲覧。 ORICON NEWS. 2017年6月29日. 2018年9月9日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク. 2017年6月29日. 2018年9月9日閲覧。 第28回映画祭TAMA CINEMA FORUM. 2018年. 2018年10月5日閲覧。 2018年12月7日閲覧。 外部リンク [ ]• - アルファエージェンシー• itosairi -•

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