ロッキード 事件。 ロッキード事件「葬られた真実」

ロッキード事件で田中角栄さんにどんな判決が出たのでしょう

ロッキード 事件

ロッキード社は1913年に創業された軍用機や航空機の開発製造を行うアメリカの大手航空機メーカーですが、1995年にマーティン・マリエッタ社と合併し現在はロッキード・マーティン社となっています。 宇宙ロケットやミサイルの開発も手掛ける巨大企業です。 ロッキード社時代の第二次世界大戦中は軍用機で急成長を遂げ、中東を始めヨーロッパ各地に取引先を持っていました。 日本は1950年代、F104戦闘機購入の契約を結んでいます。 その陰には秘密代理人として児玉誉士夫の暗躍があったとも言われています。 60年代に、開発に莫大な研究開発費をつぎ込んだ旅客機トライスターと対潜哨戒機P3Cの売り込みにはロッキード社の社運がかかっており、是が非でも成功させなくてはならないプロジェクトでした。 このことが後にロッキード事件を生む遠因となります。 全日空の若狭得治は懲役3年、執行猶予5年の判決を受け控訴、上告。 しかし、退けられ1992年9月が有罪確定しました。 同じく全日空の渡辺尚次は控訴せず、1982年1月に懲役1年2か月、執行猶予3年で刑が確定しました。 「ユニット高官」の佐藤孝行も懲役2年、執行猶予3年、追徴金200万円の判決を不服とし控訴、上告しますが1986年6月、上告取り下げにより有罪が確定しました。 丸紅の伊藤宏は懲役2年の判決を受けますが控訴します。 1987年7月、懲役2年、執行猶予4年に減刑され上告せず刑が確定しました。 榎本敏夫は懲役1年、執行猶予3年の判決を受けますが控訴、上告。 しかし、1995年2月、上告を棄却され罪が確定しました。 児玉誉士夫は1974年に脳梗塞で倒れた後自宅療養中で、証人として何も証言しないまま1984年、死去。 判決が言い渡されないまま公訴は棄却されました。 小佐野賢治は懲役1年の実刑判決を受けますが控訴、1984年の再審で懲役10か月、執行猶予3年に減刑されますがこれを不服として上告します。 しかし、1986年死去により公訴は棄却されました。 「ユニット高官」の橋本登美三郎は懲役2年6か月、執行猶予3年、追徴金500万円の判決を受けますが控訴、上告。 しかし、1990年死去により公訴棄却となりました。 丸紅の大久保利春は懲役2年、執行猶予4年の判決を不服とし控訴、上告しますが、1991年死去により公訴は棄却されました。 ロッキード事件が明るみに出たとき、ほとんどのマスコミはP3Cへの疑惑を書きたてましたが、いつの間にか争点はトライスターにすり替わり、田中角栄の事件への関与が取り沙汰されるようになると、世間の関心は元総理の汚職疑惑へと一気に移っていきました。 対象が軍用機となると、民間航空機にまつわる汚職事件どころではない大問題です。 関連している政治家が、田中角栄と数名の「灰色高官」だけのはずがありません。 しかも21億円という莫大なお金がフィクサー児玉誉士夫に渡ったきり、どこかへ消えています。 疑わしい点は多々ありましたがロッキード事件に関するアメリカの資料の中に、P3Cに関連するものはほとんどなく、日本の裁判でP3Cが追及されることはありませんでした。

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ロッキード事件で田中角栄さんにどんな判決が出たのでしょう

ロッキード 事件

『ロッキード事件』を知っていますか? 何となく名前は聞いたことあるけど、どんな事件か全くわからない人が多いのではないでしょうか。 『ロッキード事件』は 戦後最大の汚職事件と言われていましたが、とてもややこしくて、わかりにくい事件です。 そこで今回は、なるべくわかりやすく『ロッキード事件』について振り返ってみたいと思います。 まず最初に、事件をわかりやすくするために、重要人物の2人をまとめました。 高等小学校を卒業したあと、上京し猛勉強をして田中土建工業を設立して、その後自由民主党から衆議院に当選した。 昭和47年に自民党の総裁になり首相に就任した。 日中国交を回復するなど業績をあげたが、1993年(平成5年)75歳で亡くなりました。 18歳で国粋運動に参加してたびたび投獄されました。 第2次世界対戦中は、中国に行き軍部に協力して上海に海軍物資を調達するための児玉機関を設立した。 戦後にA級戦犯として収監されるが、その出獄後に巨額の資金を当時、鳩山一朗の自由党に提供して『政界の黒幕』と呼ばれるようになりました。 1984年(昭和59年)73歳で亡くなりました。 スポンサーリンク 『ロッキード事件』の概要 『ロッキード事件』には、上記の2人重要人物がいることがわかりました。 それをふまえて、概要をまとめました。 長文になってしまうため、なるべくわかりやすくするために、話を分けて説明していきます。 『ロッキード事件』のロッキードは会社の名前から付けられたようですね。 当時、ベトナム戦争の終結の影響などにより赤字経営になってしまっていたロッキード社は、破産寸前の状態に追い込まれていました。 その状態から抜け出すために、ロッキード社は飛行機を売って、経営状態を立て直すことが必要でした。 飛行機を日本に売りたくても、ロッキード社はアメリカの会社のため、橋渡しをして手助けしてくれる会社が必要でした。 その橋渡しをして手助けしていた会社が 丸紅という会社です。 丸紅はロッキード社に、飛行機を日本に売るために政治献金をすすめました。 その時に、田中角栄にロッキード社から預かった5億円を渡しました。 その後、全日空はロッキード社からトイスターという飛行機を購入しました。 いくらお金を貰ったからといえ、話が順調に進みすぎな気がしますよね! 全日空には、ロッキード社から飛行機を買う必要が見当たりません。 全日空がロッキード社から飛行機を購入したのにはちゃんとした理由がありました。 なんと全日空は、飛行機を購入する歳に2億円の手数料を貰って、その一部を何人かの政治家に配っていたのです。 それは、国際線に進出することを目指す全日空が優位になるために、航空政策に働きかけを期待してとのことです。 これはいわゆる、全日空の賭博ですよね。 しかし、ロッキード社が日本側に渡したとされるお金は 30億円以上とされています。 そして、あとの残りのおそよ21億円を受け取ったとされるのが、児玉誉士夫です。 児玉誉士夫は、政界だけでなく裏社会にまで顔が利くといわていた人物ですが、 ロッキード社は、なぜ児玉誉士夫に巨額のお金を渡したのでしょうか? ロッキード社は全日空にトライスラーを売り込みましたが、本当の目的はPC3ではないかと言われています。 PC3が何かというと、潜水艦を探査するための軍用機で別名、対潜哨戒機と呼ばれています。 当時の日本は、対潜哨戒機を国内で作ろうとしていました。 そのため、ロッキード社は日本に自力で対潜哨戒機を作られてしまったら、商品が売れなくなってしまうため、困ってしまうわけです。 しかし、日本は対潜哨戒機を国産で作るとなると、ものすごいお金がかかるそうで、それにロッキード社は目をつけて、アメリカから輸入することを勧めて欲しいと頼んだ人物が、児玉誉士夫と言われています。 軍用機を売りたいために、アメリカ側から日本側にお金が動いたと知られたら、アメリカ側の政府も立場が悪くなってしまいますよね。 そのため、アメリカ政府の力も加わって、PC3を売り込んだ事実は隠されたのではないかとされています。 『ロッキード事件』の翌年に、アメリカから日本がPC3を導入することが、正式に決まりました。 その後、日本がアメリカからPC3を購入した金額は総額1兆円を超えています。 日本がアメリカからの軍用機を購入すれば、アメリカはお金をかけることなく日本でも軍事力を上げることに繋がります。 ここまでが、『ロッキード事件』の大まかな概要です。 なるべくわかりやすくまとめましたが、いかがでしたでしょうか? そこで、事件の内容をさらに深めるために、ロッキー社のトライスラーとはどんな飛行機なのか気になったので、調べてみました。 スポンサーリンク ロッキード社のトライスラーって、どんな飛行機なの? まず、ロッキード社は軍用機でトップクラスの会社でした。 トライスラーは1970年11月に初飛行して、1972年4月に運航が開始された飛行機です。 正式名はL-1011トライスラーと言います。 ロッキード社は、大手の航空機製造会社ですが、初のジェット旅客機として開発されたもので、威信を威信をかけて開発されたものでした。 トライスラー内には、中二階の客室や貨物室構造にエレベーターが設置されたり、軍用機のトップクラスメーカーとしての力が発揮され、自動操縦装置に関しては、当時にしては前例がないほどの装備が施されていたそうです。 ロッキード社は、軍用機ではトップクラスでしたが、ジェット化の波に乗り遅れてしまったようで、民間機市場では地位は低下していたようです。 その上、ベトナム戦争の終結によって赤字経営になってしまい、トライスラーを販売して民間機市場での復活を狙っていました。 しかし、そう簡単にはいかず他社のジェット機メーカーとの販売競争に巻き込まれてしまって、日本でも日本航空が他社の飛行機の大量発注を決めたり、他国でも発注状況は伸び悩んでいました。 このような状況になっていたため、ロッキード社は各国の政治家や航空関係者に色々な働きかけを行っていて、それが『ロッキード事件』につながっていったようです。 スポンサーリンク 『ロッキード事件』のその後 戦後最大の汚職事件と言われた『ロッキード事件』は、 田中角栄や政治家、丸紅、全日空の幹部など16人が受託収賄や贈賄などの罪で起訴されました。 そして、田中角栄への5億円の資金提供に関係したとして、丸紅の檜山広元社長ら幹部3人は逮捕され、檜山広元社長は最高裁にて有罪が確定しました。 田中角栄は、一審、二審で懲役4年の実刑判決で有罪になったが、田中角栄が1993年に死亡したため、控訴棄却となりました。 com 戦後最大の汚職事件と言われた『ロッキード事件』のまとめはいかがでしたでしょうか? なるべくわかりやすくまとめましたが、事件の内容は伝わったでしょうか。 現在も、21億円のお金が渡った政府高官の解明はされていないそうです。 まだまだこの事件には解明されていないこともあり、闇は深そうです。 田中角栄は、当時官僚を使いこなすことが出来る天才と言われていました。 事件ばかりに目がいってしまいますが、田中角栄は当時、天才として絶大な人気があり、近年も田中角栄に関する本がベストセラーになるなどまだまだ人気があるようです。 私も今度本を読みたいと思いました。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました! スポンサーリンク•

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ロッキード事件とは 真相をわかりやすく3分で説明します

ロッキード 事件

1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。 この年、衆議院事務局に就職。 1965年、園田直衆議院副議長秘書、1973年、前尾繁三郎衆議院議長秘書、委員部総務課長、委員部部長などを経て、1992年退官し、同年の参議院議員選挙に出馬。 自由民主党、公明党の推薦を受け高知県選挙区で当選し、その後、自由民主党に入党。 1993年に新生党、1994年に新進党、1998年に自由党の結党に参加。 2003年、民主党に合流、参議院財政金融委員長に就任。 2004年、政界を引退。 議会政治の理論と国会法規の運用に精通する唯一の政治家 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 最近は検察を信用できなくなってますが、この事件あたりから検察の暴走というか、「絶対に有罪にするんだ」という変な使命感による暴走が始まったような気がしております。 さらに検察だけでなく、個人個人の思惑一杯の政治家が絡んで、最終的には「田中角栄」逮捕という共通目標だけが独り歩きしていく様が実にリアルに(全部実名です)描かれております。 中曽根さんはさもありなんという感じですが、三木さんには正直愛想つきましたわ。 クリーンなイメージだったですけどね、ここでは「あほ丸出し」のおっさんです。 「角さん」を庇っておれば後世での評価も変わったでしょうに。 どう考えても、金額的に賄賂の少額の田中角栄よりもっと調べる人物がいたように思いますが、そういう正義はないのですよね。 今続いている小沢さんの一件も同じような匂いがしてます。 孫崎享さんの『戦後史の正体』で挙げられていたので読んでみた。 ロッキード国会に関する読み物としては面白いかもしれないが、ロッキード事件を扱う著作としては実に杜撰な内容である。 田中角栄の5億円授受の真否に関して頬かむりをして、批判の矛先を三木首相や検察、マスコミなどに向けている。 この点、数多の角栄擁護本(『戦後史の正体』も同様)と何の変わりもない。 著者自身も220頁でコーチャンのことを「大量の賄賂をバラまくという違法行為を繰り返した外国人犯罪者」と指摘していることから、田中が収賄したと考えているのだろうが、このことについての田中への批判は皆無である。 また231頁では、1995年の丸紅ルートの最高裁判決が、コーチャンとクラッターの嘱託尋問調書の証拠能力を否定した事について、「最高裁自身が『刑事免責を前提とした嘱託尋問は間違っていた』と判断を下した」と間の抜けたことを書いている。 最高裁は証拠の評価をしたのであって、それは嘱託尋問の是非と全く別問題であり、「刑事免責を前提とした嘱託尋問は間違っていた」と判断した事実もない(法学に対する疎さもこうした角栄擁護論に共通する。 むしろ、嘱託尋問調書が無くても、贈賄側の檜山と収賄側の榎本が有罪となるほど、証拠が固まっているのである。 こうした粗雑な著作に影響を受けるようでは、孫崎さんの田中角栄に関する記述も粗放になるわけである。 ただ、ロッキード事件の本命は児玉ルートであり、その解明がなされなかったというのは、著者の指摘の通りである(だからといって田中の収賄が免責されるわけではないが。 ゆえに星を1つ加えておく。

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