国破れて山河あり 意味。 「国破れて山河あり」の意味と使い方とは?英語と漢文も紹介!

【夏草や兵どもが夢の跡】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

国破れて山河あり 意味

五・七・五のわずか十七音に詠み手の心情や風景を詠みこむ「俳句」。 この十七音を極め、民衆文芸だった俳諧を芸術の域にまで高めたのが、かの有名な俳人「松尾芭蕉」です。 芭蕉が残した名句は数多くありますが、今回はその中でも有名な 【 夏草や兵どもが夢の跡】という句をご紹介します。 \今日は / 松尾芭蕉が奥の細道へ出発した日とか。 夏草や 兵どもが 夢の跡 出発の1ヵ月半ほど後、芭蕉が平泉で詠んだ句です。 芭蕉が訪ねたのと同じ季節の風を感じにいらしてみてはいかがでしょうか。 — いわてまるごと売込み隊【公式】 iwatemarugoto 芭蕉はどのような心情でこの句を詠んだのか、また詠みこめられた情景とはどのようなものだったのでしょうか? 本記事では、 【夏草や兵どもが夢の跡】の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。 夏草や 兵どもが 夢の跡 (読み方:なつくさや つわものどもが ゆめのあと) この句の作者は 「松尾芭蕉(まつお ばしょう)」です。 芭蕉は、江戸時代前期に活躍した俳諧師です。 「俳聖」として日本だけでなく、世界的にもその名が知られています。 美しい日本の風景に侘びやさびを詠みこむ作風は「蕉風」とも呼ばれ、独自の世界を切り開いていきました。 また芭蕉は人生を旅そのものととらえ、江戸から東北・北陸など日本各地をまわり、俳句を詠みながら旅をしました。 紀行文学の最高傑作とも称される『奥の細道』など、 5つの旅行記を残しています。 季語 この句に含まれている季語は 「夏草」で、季節は 「夏」を表します。 夏草とは特定の植物を指すわけではなく、 夏に生い茂る青草全般を意味します。 炎天下の中でも枯れることなく、抜いても抜いても生えてくる雑草からは生命力の怒涛を感じさせます。 意味 こちらの句を 現代語訳すると・・・ 「今や夏草が生い茂るばかりだが、ここはかつては武士達が栄誉を求めて奮戦した跡地である。 昔のことはひと時の夢となってしまったなあ」 句中の「兵ども」とは、源義経やその家来、平泉で栄華を誇った藤原氏一族を指します。 また、「夢の跡」は、全てが過ぎ去ってしまい、 今はもう何もない様子。 人生の儚さが秘められている言葉になります。 この句が詠まれた背景 芭蕉が 46歳の頃の作で、 岩手県平泉町で1689年5月13日(新暦6月29日)に詠まれました。 この平泉は平安時代に奥州藤原氏が繁栄を築いた地として知られています。 兄の源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せますが、秀衡の死後、当主の泰衡に攻められてしまいます。 居城を構えていた平泉の高館(たかだち)が義経最期の場所となりました。 それから約500年の月日が経ち、芭蕉がこの高館にのぼりあたりを見渡すと、かつての 藤原家の栄華の痕跡はあとかたもありませんでした。 ただ夏草が青々と生い茂る風景を目の当たりにして、 「全ては短い夢のようだ」と人の世の儚さを詠んでいます。 芭蕉は源平の盛衰について描かれた『平家物語』についても造詣が深く、悲劇の若武者・義経に対しても同情の念をもっていたことでしょう。 また、芭蕉は中国古来の詩人・杜甫(とほ)を尊敬しており、人間的にも芸術的にも大きな影響を受けていました。 この句の 前書きにも、杜甫の「春望」の一節を記されています。 「夏草や兵どもが夢の跡」の表現技法 「夏草や」の切れ字「や」による初句切れ 切れ字とは「かな」「けり」「や」などの語で、句の切れ目に用いられ 作者の感動の中心を表します。 「や」は「詠嘆・感動」を意味し、最初の言葉を強調したいときに使われることが多い切れ字です。 この句でも最初の五音、つまり初句で切れているので 「初句切れ」となります。 「夏草」に「や」の切れ字を用いることで「夏草であることだ・・・」と詠嘆が表現されています。 かつて栄華を極めた人々の生活や死闘を重ねた武士たちの夢が、跡形もなく消え去ってしまったことへの空しさが込められています。 「夢の跡」の体言止め 体言止めとは、文の末尾を体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。 文を断ち切ることで言葉が強調され、その後に続く 余情・余韻を残すことができます。 この句でも「夢の跡」と体言止めが使われており、 読み手にその後に続くイメージを膨らませる効果をもっています。 この余韻から栄華や功名を求めて戦った時間が、今となっては一炊の夢のように儚い時間だと感じられます。 「夏草」と「兵ども」の対比 対比とは二つ以上のものを並べ合わせ、それらの共通点や相違点を比べる表現技法です。 それぞれの特性を強調し、 インパクトを強める効果があります。 この句では「夏草」と「兵どもが夢の跡」を対比的に用いられています。 つまり、 自然の雄大さと人の世の儚さを並べることで、無常観を表現しているのです。 一面に生い茂る夏草の静けさやのどかさと、戦場にひびく雄たけびや極限の緊張感が見事な対比をなしています。 「夏草や兵どもが夢の跡」の鑑賞文 芭蕉は平泉の城跡に立ち、藤原三代の栄華と源義経の最期に思いを馳せたことでしょう。 前書きの「春望」の一節を踏まえると、 よりいっそう夢幻感をかきたてられます。 芭蕉は「人々の行いや想いは時の流れとともに消えてしまうが、自然は関係なく営みを繰り返し続けていく」としみじみ思いこの句を詠んでいます。 しかし人間の思うことやなすことが儚く消えるからといって、悲観的に捉えているわけではありませんでした。 芭蕉は、たとえ夢のように儚い世でも、 精一杯生きようとする人々の美しさを描いています。 この句からは栄華を極め、無残にも果てた者たちを偲び、供養や鎮魂とも取れる心情が感じ取れます。 作者「松尾芭蕉」の生涯を簡単にご紹介! (松尾芭蕉 出典:Wikipedia) 松尾芭蕉( 1644~ 1694年)は伊賀国(現在の三重県)に生まれました。 本名は松尾宗房(むねふさ)で、芭蕉は「俳号(俳句を作る人が名乗る名前)」になります。 農民の生まれだとされていますが、幼少期のことは明らかになっていません。 10代後半の頃から京都の北村季吟に弟子入りし、俳諧の世界に足を踏み入れます。 俳人として一生を過ごすことを決意した芭蕉は、 28歳になる頃には北村季吟より卒業を意味する俳諧作法書「俳諧埋木」を伝授されます。 若手俳人として頭角をあらわした芭蕉は、江戸へと下りさらに修行を積みました。 芭蕉といえば「旅」のイメージが強いかもしれませんが、実は日本各地を訪れるようになったのは 40歳を過ぎてからでした。 45歳の頃、弟子の河合會良とともに、「奥の細道」の旅に出ます。 約 150日間をかけて東北・北陸を巡り、全行程で約 2400kmもの距離を歩いたと言われています。 山道も多かったであろう道を、初老の男性が歩いたのだとするとよほど元気だったのでしょう。 尋常ともいえる体力や、芭蕉の出身地が伊賀であることから、実は忍者だったのではないかという説まで生まれました。 大阪へ向かう最中に体調を崩した芭蕉は、そのまま 51歳の生涯を閉じました。 亡くなる 4日前には、病の床で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という辞世の句を残しています。 松尾芭蕉のそのほかの俳句 (「奥の細道」結びの地 出典:).

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「国破れて山河あり」に込められた意味は?引用された詩の作者は誰?

国破れて山河あり 意味

「国破れて山河あり」の意味と現代語訳 「国破れて山河あり」の読み方と意味 「国破れて山河あり」の読み方は「くにやぶれて・さんがあり」で、「国は滅んでかつての面影は失われてしまったが、故郷のうつくしい景色は在りつづける」という意味です。 「騒動のあとの空虚感に浸っている」や、「栄枯盛衰の人の世と、悠久の大自然を対比して物悲しくなる」といった心境を表現するときに用いられます。 「国破れて」の意味 「国破れて山河あり」の「国破れる」とは「国が滅びる」という意味で、ここでは「国は滅んでも」となります。 「敗れる(やぶれる)」と混同されることがありますが、国が戦争に負けるということではなく、国としての機構が破壊されて無くなってしまうということです。 「破」と「敗」では読み方は同じでも意味が違うため、表記する際には注意しましょう。 「山河あり」の意味 「国破れて」に続く「山河あり」は「山や河がある」ということで、いつの世も変わらずにある悠久の自然をあらわしています。 「国破れて山河あり」の使い方 「国破れて山河あり」は都が破壊され国が滅ぶという悲しい故事を由来とするため、人間社会の儚さや人生の悲しみ、国の将来に対する憂いといったネガティブな感情をともなう場面で使われることが多く、それだけに適切な使い方を押さえておきたいものです。 次に、具体的な使い方を例文で紹介します。 「国破れて山河あり」の例文• 今の国政を見ていると「国破れて山河あり」の一節が脳裏に浮かんで心が落ち着かない。 全力を尽くしましたが実力不足で夢かなわず、いまは「国破れて山河あり」といった心境です。 戦後多くの日本人が目にしたのは、まさしく「国破れて山河あり」の光景だった。 英語は「ドナル・ドキーン」訳が有名 「国破れて山河あり」を英語にすると、「The nation is ruined, but mountains and rivers remain. (国は没落するが、山河は依然としてありつづける)」となり、「春望」は「Spring View」です。 「おくの細道」を翻訳した日本文学者のドナルド・キーン氏は、「国破れて山河あり」の引用部分を「Countries may fall, but their rivers and mountains remain. 」と英訳しています。 「国破れて山河あり」の出典や原文 出典は杜甫の漢文「春望」 「国破れて山河あり」は、詩聖と呼ばれる中国唐代の詩人・杜甫(とほ)が詠んだ五言律詩「春望(しゅんぼう)」の一節です。 杜甫は当時の日本でも人気のあった詩人で、江戸時代の俳人・松尾芭蕉も「おくの細道」の中で引用していることから、現代の日本人にとっても馴染み深いフレーズとなっています。 「春望」の背景は「安史の乱」 「国破れて山河あり」の歴史的な背景は、「安禄山(あんろくざん)の反乱(安史の乱)」です。 世界三大美女として名高い楊貴妃にも関係の深い大規模な反乱は755年から8年間続き、唐の都として長く平安だった長安は陥落しました。 当時官職にあった作者の杜甫は、城内で軟禁された757年に「春望」を詠んでおり、全文は「国は滅んでも故郷に春は巡ってくるが、心の拠り所を失った今はうつくしい花を見ても涙が止まらない」と戦乱の世を悲しむ内容になっています。 中国語の原文は「國破山河在」 中国語による原文は「國破山河在」となり、全文は以下のとおりです。 前半部分は荒廃した城内と変化しない自然との対比が主題となっており、後半は「戦火は3か月も続き、家族からの手紙は宝物のようだ」「心労で髪は薄くなり、かんざしを差すこともできない」と身の上の不幸を嘆いています。 国破山河在:国 やぶれて山河あり 城春草木深:城 はるにして草木ふかし 感時花濺涙:時に感じては花にも涙をそそぎ 恨別鳥驚心:別れをおしんでは鳥にも心を驚かす 烽火連三月:ほうかさんげつに連なり 家書抵萬金:かしょばんきんにあたる 白頭掻更短:はくとう掻けばさらに短く 渾欲不勝簪」:すべてしんに耐えざらんと欲す まとめ 「国破れて山河あり」は、「おくの細道」で引用されたほど当時の日本でも人気の高かった「春望」の一節で、作者は李白や白楽天と並び「詩聖」とも称される唐代の詩人・杜甫です。 戦乱の世に国は滅び城は破壊されても、自然は悠久でいつまでも残り続けるところに深い感慨を覚えて詠ったものです。 現在では唐の末路になぞらえて自国の将来を憂えたり、奮闘むなしく夢破れたあとの心境を表現することわざとして使われます。

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今日のことわざ『国破れて山河あり』

国破れて山河あり 意味

国破れて山河在りの意味とは 国破れて山河在りの意味ですが、まず「国破れて」とはかつての中国の都であった長安が破壊されてしまったことを表しています。 つまり、都が戦乱によって滅ぼされてしまったが、山や川などの自然は変わらない姿でそこに存在しているということです。 そこから、世の流れの転変と、ありのまま存在し続ける自然とを対比して、感慨深く言う言葉として用いられています。 国破れて山河在りの由来 国破れて山河在りは、中国唐代の詩人である杜甫(とほ)によって読まれた漢詩「春望」の冒頭部の一節です。 原文では「国破山河在」と表記します。 「春望」は「国破山河在」の後には「城春草木深」(城春にして草木深し)と続き、全部で四十字で構成された漢詩になっています。 国破れて山河在りの文章・例文 例文1. こんなのどかな村なのに、昔はここで戦争があったなんて信じられない。 国破れて山河在りだなぁ 例文2. 山のところどころにかつての城跡が見られる。 国破れて山河在り、か 例文3. トロイの遺跡には、国破れて山河在りをよく表す残骸が多い 例文4. 国破れて山河在りのごとく、もし戦争が起こったらこの街も百年後には草木が生い茂っていることだろう 例文5. 戦いに敗れても、この都はあり続けるだろう。 国破れて山河在りとはならないはずだ 国破れて山河在りは、歴史的な建築物や遺跡を訪れた際によく口にする、または耳にすることが多いフレーズです。 国破れて山河在りの類義語 同じ意味というわけではありませんが、都が滅ぶという部分に関しては「」と共通する部分があります。 「栄枯」は草木が茂ることと枯れること、「盛衰」は国が栄えたり衰えたりすることで、自然も人や国も栄えるときもあれば衰退するときもあることを意味しています。 国破れて山河在りは国は滅んでも自然はありのままという対比を表しているので、その点では少し意味は異なっています。 国破れて山河在りまとめ 国破れて山河在」の意味は上記のとおりですが、あくまで戦乱や戦争等によって国や都が滅ぶことを指しており、自然災害による衰退の場合はこの言葉を使うのは適切ではありません。 なお、「国破れて山河在り」のフレーズは松尾芭蕉の「奥のほそ道」でも引用されています。 興味のある方は是非調べてみてください。

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