うさ はかせ。 デグーケージのレイアウト

他好きされた場合、冷却期間で復縁する流れ

うさ はかせ

大学で古い時代の地質の調査をしていて、その後、大学院の博士課程で東大の地震研究所にいた時に、火山関係の先生たちと交流するようになってからですね。 その先生たちに噴火の現場に連れて行ってもらっているうちに、自然と興味が湧きました。 生きている地球の姿を直接見られますし、古い地層がどうやってできたのか、その理解も深まりますからね。 ダイナミックな地球のことを調べるのは、おもしろいですよ。 当時、日本の歴史時代の噴火記録をきちんと調べて火山学的に読み解く研究がかなり遅れていたので、私が代表のひとりとなって学会の中に研究グループを立ち上げました。 その際、私は地元史料にアクセスしやすい富士山について調べることになったわけです。 富士山は歴史時代に2回、大きな噴火をしています。 貞観噴火(864年)と宝永噴火(1707年)です。 それに関する記述のある古い記録をすべてひと通り調べた上で、地形や地質についても不足していた部分を補ったりして精度を高めながら、噴火の全体像を明らかにしました。 貞観噴火は、実は宝永噴火より噴出したマグマの量が2倍多い、とても大きな噴火だったということがわかり、共同研究していた人たちと一緒にびっくりしました。 また宝永噴火については、西は伊勢から東は千葉の佐原までの広い範囲に信頼性の高い記録が残っており、江戸時代の人々がいかにきちんと噴火を観察・記述していたかを知って、とても感心しました。 おかげで16日間続いた宝永噴火がどういう噴火で、何が起きたか、どんな影響があったかが克明にわかり、噴火時の被害想定やハザードマップ作成に活かすことができました。 地球の歴史は46億年ですから、地質学的に富士山は、まだ誕生から10万年しか経ってない、できたての火山です。 しかしそのわずか10万年の間にすでに500立方キロメートルという途方もない量のマグマを地上に出している。 そんな火山は地球上にそんなに多くありません。 しかもきれいな円錐の火山に成長した。 地球上の特異点、と言っていいですね。 富士山は、休み休み噴火しながら円錐形の巨大な山体を育てていく成層火山なわけですが、円錐は崩れることもありますから、かなりの条件が整わないと、富士山のようにきれいで巨大な円錐はできない。 山頂火口から大量の溶岩を流したこと、その溶岩の粘り気がちょうど良かったこと、山頂火口の位置が安定していたこと、土台の標高がもともと高かったこと、頻繁に噴火して浸食で生まれた傷をすぐに修復してきたこと、そしてその何度目かの修復を終えた絶妙のタイミングで私たちが文明を築いたことなど、いくつかの幸運が重なったため、と考えています。 つまり、あの姿を今、私たちが目にできていること自体が奇跡なのです。 今、火山としての富士山はどういう状態なのでしょう。 富士山は300年あまり、記録に残るような噴火はしていませんが、確かに東日本大震災の4日後の3月15日に富士山の真下で起きた地震(マグニチュード6. 4)にはびっくりしました。 実際、宝永噴火は宝永東海地震の49日後に始まったので、少なくとも数ヶ月間は警戒する必要があると思って見ていましたが、特段の異常はなく、もう当面の危機は過ぎたと思っています。 昔と違って今はきちんと観測の網がかかっているので、規模の大きなマグマ活動の異変が起きれば事前にそれを知ることができると思います。 いずれにしても、登山する人は最低限としてヘルメットを持参してほしいですね。 噴火しない場合でも、地震で落石が起きたら大変危険ですから。 本来富士山は複合遺産になるべきもので、文化遺産としてだけ指定されたのは不幸なことだったと私は思っています。 富士山の素晴らしい自然を、もっと大切にしてほしい、というのが私の願いです。 文化遺産になったおかげで富士山の景観は大事にされてきていますが、景観だけにとどまらない山麓の貴重な自然をきちんと守る意識が生まれてほしいと思います。 例えば、白糸の滝も自然の奇跡的なバランスによって誕生した滝ですから、文化遺産としてだけじゃなくて生きている自然として、滝が枯れないように、上流の水脈や水源も含めてシステムとして保全してほしいと思います。 溶岩が流れて到達している場所はすべて麓でしょうね。 西は富士川を超えた辺り、山梨の方だと都留、大月の先まで、静岡だと三島の南まで。 土石流が流れた先まで考えると、小田原や相模川沿いも含むことになるでしょうね。 いずれにしても、地下水も含めて富士山から流れ出したものが到達している場所は富士山の麓であり、富士山の影響下にあると考えた方がいいと思います。 そうですね。 火山とともに生きてきた文化、産業、特産物があるということも含めて火山の産物である、ということを理解して暮らしてほしいと思います。 富士山を火山として深く理解できれば、防災に必要な知識は自然と得られていくでしょうしね。 自分が生まれた場所、今、自分が身を置いている場所を地球の成り立ちや歴史の中で捉えるとものの見え方、感じ方が変わりそうな気がしてきました。 まさにそうだと思いますし、それはジオパークの思想にも通じますね。 例えば、富士宮という町が生まれて発展したのは、火山の噴火と活断層の力が協力しあったからです。 昔は、流れた溶岩が裾を引いて富士川まで到達していましたが、富士川河口断層帯が動いて富士山と富士川の間に丘(星山)を作り、その丘が土手になってその後の富士山の溶岩を全部堰き止め、湧水あふれる平らな土地を作った。 そこに作物が育ち、人が住めるようになった場所が富士宮です。 そういう場所が富士山の周辺にいくつかありますので、そうした大地の恵みを実感して暮らすとよいですよ。 富士山は、かなり遠くからも見えるし、写真でも絵画でも、どこに入っていても絵になります。 何か別のものに注目していても背景に富士山があるという写真を、私は必ず撮ります。 人や社会の営みを絡めることで富士山はより魅力的に見えますからね。 北斎が富嶽三十六景を描いた気持ちが、よくわかります。 冬のお天気がいい日は見えてましたね。 遠く、山の向こうに、ですけど。 親に連れられて御前崎に行く時とか新幹線で近くを通ると、その大きさにびっくりしていました。 近づけば大きく見えるのは当たり前ですけどね(笑)。 中学生の時です。 静岡県内は多いですよ、学校の行事で富士登山というのが。 ただ、その時は残念ながら途中で嵐になって、九合目の手前で諦めました。 初めて登頂したのは高校1年の時ですね。 確かボーイスカウトでキャンプに行った時です。 きつかったけど体力があったから、五合目から山頂まで3時間半という、今から考えるとすごいスピードで登った記憶があります。 その次に登頂したのはずいぶんあとの2000年くらい。 火山の研究者になってからです。 それまでも麓にはよく調査に行っていました。 山頂近くは荒れ地になっていて火山灰とかがあまり残っていませんが、麓には調べることが多いのでね。 その時も天気がいまひとつでしたが、翌年に再度登頂したらとても天気が良くて、すごく感激しました。 ただし、周りの景色じゃなくて、山頂火口を見て感激して涙ぐんでいた、という(笑)。 初めて見た富士山の火口の内面には山頂噴火の歴史が刻まれていたわけです。 そこに見える地層の積み重なりから、ああなってこうなって、というのがいろいろわかる。 それは感慨深かったですね。 火山学者ですから、やはり雪をかぶってない時の方が、地形や地層がよく見えていいですね。 どこから、というのは難しいですよ。 特定の方角からしか見られないものが多いので。 でも宝永噴火をとくに研究してきた人間としては、やっぱり宝永火口があって、その上に山頂があるという富士山が一番好きですね(笑)。 富士山の内部構造がしっかりと見える大沢崩れもダイナミックだし、富士山が古い土台の上に載っているのがわかる山中湖側から見るのもおもしろいですけどね。 完全な円錐形じゃないところですね。 あちこち飛び出たり凹んだりしているのは、それぞれに意味がある。 そこに噴火や崩壊の歴史が刻まれているわけなので、あれはなんだろう、何故こうなったんだろうと思って見てほしいですね。 それを続けていると、だんだん見方がわかってきますよ。 宝永山はわかるけれど、そのそばに大きな火口が空いていることに気づかない人が多いと思いますが、あれは300年ちょっと前の噴火でできた宝永火口だということを、新幹線から富士山が見えた時には思い出してほしいですね(笑)。 小山真人 こやままさと 1959年2月生まれ 浜松市出身 静岡大学理学部卒業、静岡大学大学院理学研究科修士課程、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。 理学博士(地質学)。 静岡大学防災総合センター副センター長、同大学地域創造学環ならびに教育学部教授のかたわら、伊豆半島ジオパーク推進協議会顧問も務める。 過去には静岡大学教育学部附属浜松小学校長を務めたことも。 趣味は旅行。 最近、ドローンを使った写真撮影も趣味に加わった。 2015年にはNHKの「ブラタモリ」で富士山を案内した。

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[B!] 15.10.04Nスペ巨大災害MEGA DISASTER Ⅱ…第3集火山列島…うさはかせ静岡大教授ほか実況「これからはブラタモリの時代だよ」

うさ はかせ

他に好きな人が出来た。 と言われてしまい、失恋してしまった。 この場合、冷却期間をどれくらい置けば復縁までつなげていくことができるか。 について、博士に解説してもらいました。 「はあ、参ったなあ。 」 「どうしたの?はかせ。 」 「うさ美に他に好きな男が出来たみたいなんだ。 」 「えっ。 うさ美ってはかせの彼女の?まあ、しょうがないよ。 次行こう。 」 「きみ、自分の時は復縁したい!したい!ってうるさく言うのに、他人に対してはむちゃくちゃドライだね。 」 「えっ。 はかせ、復縁したいの?」 「ま、まあね。 」 「えー、復縁って大変だよ?覚悟が必要だよ?」 「分かっとるわ!んなもん!」 「ふっふっふ。 いつもの仕返し。 倍返しだ!」 「まあ、見てなって。 君との格の違いを見せてあげるよ。 」 他好きの場合、冷却期間前にやっておきたいこと。 他好きの場合、相手が罪悪感を感じているか感じていないかの2種類があります。 まあ、普通であれば、罪悪感を感じるものです。 他の相手を好きになって、申し訳ないってね。 罪悪感を感じている相手に対して、「酷い!」とか「最悪!」というように、責める人は多いと思いますし、彼女や彼氏に、その権利はあると思います。 でも、責めたってしょうがないんですよね。 実際、付き合っている。 という事実だけでは、心なんてコントロール出来ませんし、縛ることは出来ないわけですから。 たまに、「お前が他の相手を好きになったせいで、私はこんなに傷ついた。 病んでしまった。 」というように、あなたのせいで私はこんなに苦しんでいる。 どう責任をとってくれるの? というような論点で相手を責めたり、相手に執着する人が居ますが、 うーん、たまに「俺のせいでこんなに苦しめてしまった。 俺は間違ってた。 お前が好きだ。 」なんていう感じの反応をする優しいというかお花畑な人もいますが、大体は「ストーカー」扱いされてしまって、終了です。 これは、復縁を目指すなら、絶対にやるべきではないです。 むしろこの逆で、自分が辛いことや、傷ついたことも主張しつつ、最終的には相手を許し、理解し、温和に別れるということをするべきです。 いい人になりすぎる必要はないです。 しっかりと自分の主張はするべきですが、それがしつこいと相手は壁を作ってしまいますから、壁を作られないギリギリの所まで、自分の意見を言い、最終的には相手の気持ちを汲んで、別れを受け入れましょう。 この時に、聞きたくもないとは思いますが、好きになった人の話を聞いたりしていたほうが良いです。 なぜなら、その後の連絡の際のネタになりますし、その新しい彼女に対する不満を話してくれやすくなるからです。 新しく好きになった人の話なんて聞きたくない。 という姿勢だと、相手はその話をしてくれなくなっちゃいますから。 逆に、相手がぜんぜん罪悪感を感じていない場合はどうすればいいか。 あなたのこういうところが嫌だったから、私は他の人を好きになったの。 あなたが悪いんだよ。 みたいな論調で、逆ギレしちゃう人、案外多いんですよね。 ここだけの話、女性に多いです。 こういう場合は、縋ったって相手の怒りや不信感が大きくなるだけなので、冷静にサバサバした態度で、対応するのが無難です。 他好きの場合の冷却期間はどれくらい必要か? この場合、冷却期間と明確に置く必要はないです。 最も良いのは、連絡を取ろうと思えば取れるけど、用事がなければ連絡はしない。 くらいの関係性で良いです。 で、こういった期間は、とりあえず3ヶ月程度を目安にしましょう。 ラブラブな期間はだいたい3ヶ月くらいまでです。 3ヶ月を過ぎれば相手の嫌なところも徐々に見え出しますから、隙が生まれる可能性が高まります。 もちろん、相性が良い場合は、時間が経てば経つほどどんどんラブラブになっていく。 なんて事もあり得ますが、 しかし、 付き合っているパートナーがいるのに、他の人の事を好きになる人ですから、ぶっちゃけて言えば移り気な人です。 優柔不断な人。 恋愛に刺激を求めるタイプです。 ですから、ラブラブな期間が長く続かない可能性が比較的高いのです。 3ヶ月程度は、そっとしておいて、事務的な連絡等で、近況報告ついでに、今のパートナーとはうまくいってるー?くらいのジャブ的な感じで、状況を聞いてみると良いでしょう。 この時に正直に話してもらうために、別れ際に、その新しい相手の情報を聞いておいたほうが良いです。 博士はどうなったのか 「はかせ。 その後、うさ美とはどう?」 「ああ。 そんな事もあったね…。 」 「え!?」 「なんで、僕よりあの男がいいのか。 って聞いたらさ…」 「うん。 」 「全て。 って言われちゃって、もう僕自信無くしちゃって。 」 「そ、そっか…。 はかせ、大丈夫だよ。 博士にもいいところ沢山あるよ」 「そ、そうかな!例えば…?」 「うーん、そうだなあ、うーん、そう言われるとなかなか…」 「…」.

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月野うさはかせ images.djdownload.comèvre(@usa_hakase)/2018年10月10日

うさ はかせ

概要 [ ] 卒業、静岡大学理学部、静岡大学大学院理学研究科修士課程、大学院理学系研究科博士課程修了。 (東京大学 - 地質学)。 普及行事委員、日本災害情報学会学会誌編集委員、歴史地震研究会広報委員、富士山火山砂防計画検討委員会委員、史編集委員などを務めている。 また、地元静岡県のやに詳しく、の設立に尽力し最高顧問を務めた。 2015年には、NHKの番組「」で三度の放送に亘って富士山を案内し、その後ある時期までは同番組で最も登場した案内人でもあった。 著書 [ ] 単著 [ ]• 『ヨーロッパ火山紀行』 1997年• 『富士を知る』 2002年• 『富士山ふん火のひみつ』 文渓堂 2003年• 『富士山大噴火が迫っている! - 最新科学が明かす噴火シナリオと災害規模』 2009年• 『富士山噴火とハザードマップ - 宝永噴火の16日間』 2009年• 『火山がつくった伊東の風景』 伊豆新聞本社 2009年• 『伊豆の大地の物語』 静岡新聞社 2010年• 『火山がつくった天城の風景』 伊豆新聞本社 2010年• 『火山がつくった西伊豆の風景』 伊豆新聞本社 2012年• 『富士山--大自然への道案内』 岩波書店 2013年• 『火山がつくった中伊豆の風景』伊豆新聞本社 2013年• 『火山がつくった奥伊豆の風景』 伊豆新聞本社 2014年• 『Geohistory of the Izu Peninsula』 静岡新聞社 2015年• 『ドローンで迫る 伊豆半島の衝突』 岩波書店 2017年 共著 [ ]• 『活火山富士 - 大自然の恵みと災害』(読売新聞特別取材班との共著) 2003年 監修 [ ]• 『SECTOR COLLAPSE - 富士山崩壊』 2008年 主要論文 [ ]• 小山真人、「」 『地学雑誌』 1991年 100巻 4号 p. 628-641, :• 小山真人、「」 『地学雑誌』 1994年 103巻 5号 p. 576-590, :• 小山真人、「」 『地学雑誌』 1995年 104巻 1号 p. 45-68, :• 小山真人、「」『火山』 1998年 43巻 5号 p. 323-347, :• 小山真人、「」 『第四紀研究』 1999年 38巻 6号 p. 435-446, :• 小山真人、「」 『地学雑誌』 1999年 108巻 4号 p. 346-369, :• 小山真人、「」 『地学雑誌』 2002年 111巻 2号 P. 222-232, : 共著・分担執筆• 藤岡換太郎, 西村昭, 小山真人、「」 『地学雑誌』 1991年 100巻 4号 P. 455-457, :• , 小山真人、「」 『火山』 1992年 37巻 4号 p. 167-181, :• 小山真人, 早川由紀夫、「」 『地学雑誌』 1996年 105巻 2号 p. 133-162, :• 早川由紀夫, 小山真人、「 『地学雑誌』 1997年 106巻 1号 P. 102-104, :• 早川由紀夫, 小山真人、「」 『火山』 1998年 43巻 5号 p. 403-407, :• 小山真人, 佐竹健治, 、「 『地学雑誌』 1999年 108巻 4号 P. 345, :• 小山真人, 早川由紀夫、「 『地学雑誌』 1999年 108巻 4号 P. 489-494, :• 林豊, 小山真人、「宝永4年富士山噴火に先立って発生した地震の規模の推定」 『歴史地震』 2002年 18号 p. 127-132,• 角谷ひとみ, 井上公夫, 小山真人 ほか、「富士山宝永噴火 1707 後の土砂災害」 『歴史地震』 2002年 18号 p. 133-147,• 早川由紀夫, 小山真人, 前嶋美紀、「 『月刊地球』27 11 、p. 848-852. の早川由紀夫よるアーカイブ• 早川由紀夫, 萩原佐知子, 野村正弘, 小山真人、「」 『地図』 2015年 53巻 1号 p.

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