あらたまっ けん ゆう コロナ。 ■「頼山陽の手紙」①

封書の切手

あらたまっ けん ゆう コロナ

俳優・山田孝之さん 36 と新田真剣佑さん(あらた・まっけんゆう 本名=前田真剣佑 23歳)が、新型コロナウイルス感染拡大によって来県自粛の呼び掛けが行われている沖縄へ行き、真剣佑さんは美女と密着デートしていたことを週刊誌『週刊文春』のWeb版『文春オンライン』が報じ、ネット上では炎上状態になっています。 週刊文春によれば、 山田孝之さんは懇意にしているファッションブランドのX社長とその友人たちとともに、5月2週目から沖縄に滞在していたそうで、X社長の友人の中にはモデル・タレントの丹羽仁希さん(にわ・にき 別名=Niki 23歳)の姿もあったといいます。 離れの部屋が余っているということで、真剣佑さんと女性は離れに2人きりで過ごしていました。 山田さんの家族は、別の一軒家に宿泊していましたが、このヴィラにも遊びに来ていました」とアパレル業界関係者が証言しています。 5月11日21時ごろにヴィラから、新田真剣佑さんと女優・満島ひかりさん似の美女が手を繋ぎながら姿を現し、呼んでいたタクシーに乗り込むと地元で有名な沖縄料理店へと向かったといい、店に居合わせた客は2人の様子について、 「お酒は頼んでいませんでしたが、2人ともテンションが高く、楽しそうにお話しされていました。 途中、黒い野良猫が店の中に入ってきて、それを見た2人はキャッキャッと楽しそうに写真を撮ったりして、付き合い始めのカップルのように見えました。 2人はずっと寄り添うように、ベッタリくっついていましたよ」と明かしています。 団体客の中に山田孝之さんがいたんです。 『この時期だから……』って日付は書いてくれませんでしたが、快くサインを書いてくれましたよ」と語っています。 こうした姿をキャッチした文春オンラインの取材班は、それぞれの所属事務所に事実確認を求めたところ、山田孝之さん所属の『スターダストプロモーション』は、 「 質問いただいた内容は事実です。 この状況の中、今回のような軽率な行動に対し、本人にも厳重に注意いたします」と回答し、沖縄旅行は事実と認めています。 また、新田真剣佑さん所属の『トップコート』も、 「 沖縄滞在について事実との確認が取れました。 このような軽率な行動に対し、厳重注意をいたしました」としています。 丹羽仁希さん所属の『エイベックス・マネジメント』も、 「 本人に確認したところ、5月11日から13日まで沖縄に行き、その際にクルーズに乗船したのは事実でした。 この状況の中、非常に軽率な行動であり、本人には厳重注意をいたしました」と回答したとのことです。 また、丹羽仁希さんは自身のツイッターを更新し、 「 一部報道にありましたが、緊急事態宣言の中、私の軽率な行動により関係各所の皆様に多大なご迷惑をおかけし大変申し訳ございませんでした。 またファンの皆様並びに多くの方々に不快な思いをさせてしまいました事、心から反省しお詫びいたします。 今後この様な事がないよう責任ある行動をいたします。 」との謝罪コメントを投稿しています。 時期的に石田よりアウト• 隠し子コンビ• 山田孝之は調子乗りすぎ• 個人的には好きだったのに• これ文春も沖縄乗り込んでるやろ テレワークで取材したんか?• 取材した人は沖縄在住の人ですか?• 観光客が少ない?いない?から、騒がれないから今だ!と思ったのか?2人とも好きでも嫌いでもないが、見方が変わった。 事務所もしっかりするべきだし、奥さんもなにも言わないのか?言えないのか? 芸能人で偉くなるとみんな注意する人がいなくなり最後はなにかやらかす、本当は本人がしっかりするべきことなのだが残念だ。 素敵な俳優さんなので、大きなやらかしがこの先起こらないことを祈る• 石田さんの一件があったばかりで、今みんなで頑張って自粛してる最中に行っちゃったのね。 みんな色々我慢してるのに。 好感が持てる俳優さんだったから、なんか山田さんには本当にすごく残念。 見る目が変わって引いてしまった• 石田純一さんが、あれだけ叩かれているのに…。 いくら実力があっても、人として親として最低な行為。 サインの日付を書かなかったって事は自覚が有ったって事、余計に太刀が悪い…最悪だ山田孝之。 こうやって遊び回るアホのせいで活動停止期間が伸びる可能性があるという点で実害がある話だからね。 ただの浮世離れで済まされる話ではない などと批判の声が上がっており、炎上状態になっています。 山田孝之さんや新田真剣佑さん等は緊急事態宣言や来県自粛の呼び掛けを無視し、沖縄で遊んでいたというのは問題があり、4月には新型コロナウイルス感染の俳優・タレントの石田純一さんが仕事を理由に沖縄へ渡り、ゴルフなどをしていたことで猛バッシングを浴びることになりましたが、それでも沖縄へ行ったというのは理解し難いものがありますね。 山田孝之さんについては4月上旬にも、友人ら数人で東京・銀座を訪れて高級寿司店で食事していたこと、この日は女性3~4人を呼び合コンをする予定だったとが『フライデー』に報じられており、この時もネット上では非難の声が上がっていました。 それから1ヶ月後には家族を連れて沖縄へ行ったというのは驚きで、自分が新型コロナウイルスに感染し、ウイルスをバラ撒いて感染者を増加させるリスクがあるにも関わらず、こうした行動を取ってしまうというのは大きな問題で、各事務所は厳重注意を行ったとのことですが、これによって仕事に悪影響が及んでも仕方がないでしょうね。

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日本語崩壊・・・ほんと最近の言葉って気になります。 お名前に<様>つけてどーするんだよって突っ込みたくなります。 本人は丁寧に言ってるつもりでも、謙譲語と尊敬語がごっちゃになったり、聞いていて嘆かわしいと思うこともしばしば・・・ あと、ボキャブラリーが少ないのか、最近の若いタレントが頻繁に「ほんとですかあ〜」って返事をするのもすごく耳障りです。 例えば、司会者に容姿を褒められた時に「ほんとですかあ〜」、グルメレポートでこれ美味しいよって言われても「ほんとですかあ〜」・・・ほかに表現ないのか!ってイラッとします。 本人はともかくスタッフで注意する人はいないのか!!ってね。 ユーザーID: 4295813031• 仕方ないことだと では「ご立腹ごもっともです。 」タイトルに使ったこの言い回しはどうですか? この短いフレーズには「ご(御)」が2回も出てきてちょっと丁寧すぎる気がします。 「立腹ごもっともです。 」あるいは「ご立腹もっともです。 」の方がすっきりしているし、日本語としても正しいでしょう。 しかしメーカーのサービスセンターのクレーム受付担当者が、烈火のごとく怒っている顧客に対して電話口で謝るとしたら、「ご立腹ごもっともです。 」と言う方が自然です。 更に「裁判に!」とまでエスカレートした顧客に対しては「ご立腹の段、誠にごもっとも様でございます。 」とまで言うかもしれません。 ここで「立腹ごもっともです」と言えば、更にご立腹するでしょう。 日本語は難しいです。 丁寧語や尊敬語等は場面場面で、丁寧さの必要な度合いが違ってきます。 特に例に挙げた営業の場面や顧客の対する場面では、企業の売上げや利益、場合によっては会社の存亡にまで関わる場合もあります。 「お名前様」は確かに丁寧過剰さですが、ここは営業トークの場面です。 他店との競争での差別化のための一種の接待用語でしょうね。 過剰に反応する程ではないと思います。 ユーザーID: 1176451814• あります! 全国放送のテレビニュースで、「今日も平年を下回る寒さ」っていうのを何度も聴きました。 寒さが下回る、ならば暖かいのか?いや寒いと言いたいらしい。 それなら「平年を下回る気温」でしょう。 論理を無視した表現を平気で言う、感覚で伝わればそれで良しとして深く考えていない。 トピ主さんの聞いた「お名前様」というのは幸いにしてまだ聞いたことはないのですが、敬語の論理というのが全く理解できてないとそういう信じられない表現になってしまうのでしょう。 おかしな日本語表現が多くなってきた原因は、論理性の軽視と日本語体験の希薄化にあると思います。 小学生から英語教えるなんて愚行は止めて母国語をしっかりやりなさい、と言いたい。 ユーザーID: 9676328058• 良く使いますが… 最近小町でしばしば見かけるようになった、「ご教授ください」が気になります。 他にはやたらと遣われている「発覚」も気になっています。 web国語辞典で確認すると、 はっかく 0 【発覚】 (名)スル 隠していた罪・たくらみなどが人に知られること。 「入籍」や「おめでた」に「発覚」を平気で遣う、マスコミの言語感覚が理解できません。 ユーザーID: 2944377649• 時に見掛ける「夫さん」「彼氏さん」・・・。 何でも「さん」を付ければいいというものではないのですが。 実は後者については適当な表現を思い付かないのですが,前者の場合,少なくとも以前であれば誰も躊躇うことなく「御主人」と言うところですね。 それが「夫が主で妻が従とはけしからぬ」のような考え方が台頭して,さりとてどう表現すればよいのか判然とせず,という背景があるのでしょうが,いくら何でも思慮に欠け過ぎると思っております。 他に「俺」の乱用(目上の相手と話す時や公式の場で使うのは不適当と思われる)でしょうか。 或いは,あの「吾亦紅」の歌詞で非常に耳障りに感じるのですが,(母)親に向かって普通「あなた」と呼びかけるか,という思いもあります。 ユーザーID: 6875606942• そうすると、そういう記入欄に記入する名前のことを「お名前様」といっているだけで、「どちら様」というべきところを「お名前様」といっているのではないですね。 新しいシステムの中で、新しい言葉を使っているだけではないですか。 レストランで「お名前は?」と聞くのも変ですし。 言語はおおまかにいって、語彙と文法からなっています。 状況の変化に対応してなじみのない語彙が使われたからといって、日本語がくずれることはありません。 ユーザーID: 8934068305• 日本語を壊す西洋言語学者 「母語」という表現を聞かれたことがおありでしょうか。 これは欧米系の言語学者或いは文学者の「母『国』語というのはおかしい。 言語の習得に『国』は関係ない。 現に,例えば英語では"mother tongue"であって,"country"などは何処にも出てこない」という主張に依拠したものです。 私も,それを聞かされた直後は「その通りだ」と思った次第です(若気の至り)。 しかし,よくよく考えてみれば,これこそ西洋被れの典型でしょう。 西洋の言葉に表れない概念だからといって日本語にあって悪いという法は何処にもないのです。 第一,そういう向きの言い分が正当であるならば「母舌」としなければ道理に合わない話です(英語では上記の通りであって"mother language"とは言わない)。 更におかしいのは,そうしたお歴々は,母「国」語はおかしいと声高に言いながら,外国語,の方は平気で使っている,ということです。 "foreign language","langue etrangere","Fremdsprache",…の何処に「国」が出てくるのか説明して貰いたいものです。 ユーザーID: 6875606942• 全然、大丈夫って? わたしは「全然」という言葉の使い方が気になってます 「全然、大丈夫」「全然、オッケー」とか言うのを聞きますが 「全然」って否定のときに使う言葉ですよね 「全然だめだった」とか「全然できなかった」という風に使うべきで 可能なことに「全然」と言う言葉はおかしい あとアナウンサーが「やらさしていただきます」と言ってるのを 聞いたことがありますが「やる」と「させる」が同じ意味で 二重になってないですか 単に「させていただきます」の方がすっきりすると思いました 言葉が変わっていくのは仕方ないことなんでしょうね 例えば、先日節分がありました。 節分とは今では二十四節気の立春の前日のことを意味しています。 が、もともとは季節の変わり目をさす言葉で、節分は年4回あったそうです でも、私は日本語について興味があるので このトピ、お気に入りです もっといろんな例が知りたいです って便乗して ごめんなさい ユーザーID: 2920369922• 横レス失礼 ぺけポン様 確かに現時点では「全然+否定形」が主流で、肯定が来るのは間違いのように見えます。 しかしそれは使用頻度が違うからです。 もともと、日本語では「全然」は「まったく」と同義に使用していたのです。 英語で言えば「absolutely」とか「very」のようにです。 例としては森鴎外や夏目漱石の小説、また坪内逍遥や正宗白鳥の例もあります。 今、記憶している例を一つだけ挙げます。 漱石の「坊ちゃん」で松山赴任後の主人公が生徒たちの悪戯に辟易して言うせりふで、確か「一体、生徒が全然悪いです」という一節があります。 このように明治期から恐らく昭和初期までは 全然は、否定肯定にかかわらず使用されていました。 しかし戦後になって、肯定には続けない習慣が出てきました。 そしてそちらの方が多数派になったのです。 だから誤りとはいえないのです。 習慣が変化したと言う方がいいでしょう。 プロのアナウンサーが使用しないのも、誤りだからではなく多数派に合わせていると解釈すべきでしょうね。 肯定を使いたがる少数派も受け入れてあげましょう。 彼等には明治の文豪達が味方についてますから。 ユーザーID: 1176451814• 通りすがりの旅人様 最近、ネットで「あはは・・・」というのを頻繁に見かけます。 文法のまちがい、などではありませんが、 やたらあちこちで見かけるので気になっています。 中にはハンドルネームが「あはは・・」なんていうのもありました。 流行ってるのでしょうか? 使い方としては、面白くて「あはは・・・」なのではなくて 思い込みの激しい文章や、勘違いした文章などに対する返事として 「あはは・・・」と書かれているようです。 他に「うふふ」も「うひゃひゃ」もあるのに、皆さん決まって「あはは」なのはなぜなんでしょう。 うんざりしてしまいます。 追伸 マリモン様、方言について教えてくださってありがとうございます。 ほんとうに、言葉っておもしろいです〜 ユーザーID: 2920369922• バブルへGO!! 昨年、「バブルへGO!! 」という日本映画が公開されました。 簡単にいうと広末涼子が2007年からバブル期の1990年に タイムトラベルをして、その時代の阿部寛と一緒に活躍を するという内容でした。 そして映画の中の台詞のやりとりで大笑いしました。 1.阿部寛が「ティラミス」をわざわざ食べに連れて行ってあげた場面で。 阿部:「どうだ、食べたことないだろ?」 広末:「ティラミスでしょ」と言いながら、パクつく。 広末:「(この味)やばいよ、やばいよぉ」 阿部:「どうした? なんか、変なのか?」 私自身も若者が肯定的意味合いで「やばい」と使っているのを初めて 聞いたときは面食らいました。 2.別の場面で。 広末:「これって、あり得なくない」 阿部:「あり得るんだか、あり得ないなんだか、どっちなんだ!」 いやぁ、このときの阿部チャンの気持ちわかります。 ユーザーID: 0117788376• その影響で私は大学で国文科に在籍していたほどで、昨今のおかしな日本語には首を傾げる事が多々あります。 ここ最近私は芸能人だけではなく、夫の間違った言葉遣いやおかしな日本語の言い回しがとても気になります。 例えば「ら抜き言葉」。 「食べれる」「見れる」・・・。 夫は平気でこれらを使います。 我が家には幼い子供がおり、夫の真似をして間違った日本語や言葉を覚えて欲しくないので、夫が「ら抜き言葉」を使った時は必ず注意しています。 「食べれる」とか「見れる」とか、私には違和感がありすぎてどうしても気になります。 また、夫は何でも「やばい」を使います。 「このお笑い芸人やばい(『面白い』の意味)」「この料理やばい(『美味しい』の意味)」など。 夫が「やばい」と言った時は必ず「何がやばいの?『やばい』じゃ全然意味が伝わってこないよ」と言っています。 とにかく語彙が貧困なので、我が夫ながらガッカリしてしまう時もあります。 いちいちうるさい妻だと思われているかもしれませんが、我が子の言葉の教育のために毎回必ず注意しています。 ユーザーID: 2593004940• なんでもかんでも「ヴ」 自分でトピ立てようかと思うくらい気になっているのが「ヴ」です。 小町でも「アドヴァイスお願いします」とか「ヴァケーション」などと使っている人がいますがどうもひっかかるんです。 読みにくいというか、自分までわざわざ下唇を意識して読んでしまうというか、疲れます。 Vは英語の発音的には「ブ」より「ヴ」なんでしょうけど、日本語で書いている時には「アドバイス」「バケーション」でしょう。 「ヴ」にこだわっている人は声に出すときも「ヴ」読みをしているのでしょうか? それを言ったらテレビはテレヴィ?サービスはサーヴィス?ボランティアはヴォランティア? fに「フ」以外のカタカナが無くて「フレーム」「フリー」としか表記できないのはもどかしい? 「ヴ」派の皆様、よろしければ「ヴ」にこだわる理由、fもできれば「フ」ではない表記がしたいのかを教えて下さい。 なんじゃそりゃ。 もちろん普通にいちごやらブルーベリーを使ったデザートが出てきました。 なんでもヴを使えばいいってもんじゃないだろ! ユーザーID: 3435876407• 店員さんの言葉遣い 時計ショップで店員さんが、商品を指して「このコ」と言っていました・・・身内や友達同士の会話なら好きにしていいけど、 お客さん相手にこの言葉遣いは気持ち悪いです。 あと定番ですが、「ほう」「なります」。 生協の宅配員さんも「玉子になります、牛乳になります」と言いながら商品を渡してくれます。 なんでこういう変な言葉遣いを気に入って、すぐに取り入れるんでしょうね?これを聞くのが苦痛で、最近は居留守を使ってます。 「大丈夫ですか?」も頻繁に聞きます。 接客に使う言葉ではないと思います。 あとよく聞く言葉で「イラっとする」という言葉も嫌いです。 ユーザーID: 5366409669• のえる様 日本人も随分国際化されてきて、2ヶ国語を平気で喋る人など珍しくなくなってきています。 で、そのひとりである私から言わせれば、外来語(と言うことを忘れないでね)を使う時、英語の発音が当たり前になっている人は、ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォなどは当然のことでね、それをわざわざに日本語しか喋れない人の為にバビブベボに「間違って」変える必要は無いと思います。 不幸にも、どうせ全ての単語をカタカナで完全表記など出来ないのですから、換えられるところは換えておいて良いでしょう。 カタカナでもヴァと書いてあると、少しはその発音をしようと努力するようになりますから一石二鳥でしょ。 親切だとすら思います。 いやなら外来語を日本語に直して使えば良いのです。 ちなみに、ストロベリー、ブルーベリーなどは「ベ」で良いのです。 元がberryで「B」ですから。 その店の人が無知なだけです。 ユーザーID: 2392110542• ある法則性で、点a,b,cに 点イ、ロ、ハ が対応しているとします。 点a に 点イが、点b に点ロが対応しています。 それでは、 点c に対応する点は何に「なりますか」。 点ハに「なります」ね。 対応させるということは、人間の操作の基本中の基本です。 生協の宅配員は注文のリストと、それに対応する現物を対応させて、誤配がないことを確認しているわけです。 これを聞くのが苦痛で、居留守を使うようでは、生活できないはずです。 数学の方、大丈夫ですか?ちなみに「わたしの方が悪い」というとき、悪いのは「あなた」ではなくて、わたしだといっているわけです。 悪いものを漠然とごまかしているわけではありませんね。 ユーザーID: 8934068305• ヨコですが…。 のえるさんの「ヴ」に引っ掛かる感じ、よくわかります! 私もそう感じます。 そこで、思い出してしまいました。 以前の職場で、上司が作った書類のコピーを頼まれました。 そこには「ホーマルとインホーマル…」という記載が。 一瞬「?」と思いましたが、上司に聞いて「フォーマルとインフォーマル…」に直しました。 しばらく思い出し笑いを堪えるのに苦労しました。 ヨコですみません。 ヨコだけでは何なので、最近感じたことを…(これもヨコかな)。 よく服を買いに行く店の店員が、客のことを「お姉さん」と呼ぶのに、抵抗があります。 「お姉さん、似合う〜」などと言われると緊張してしまいます。 ユーザーID: 0586349488• むかごさん レス、ありがとうございました。 数学の方も大丈夫で生活も普通にしていますから、ご心配なく。 仕事は校正をやってますから言葉や文法には関心が強いです。 「なります」、「ほう」も使い方によっては間違いではありません。 私の説明不足でしたが、 品物を渡される時に注文リストとの照合はありません。 商品の説明などにある 「商品のお色は黒になります」などと同じ不自然な日本語です。 昔はこんな表現ありませんでしたよね。 「ほう」も使い方によっては不必要で不自然ですよ。 「コーヒーのほう、お持ちしました」 「ミルクのほう、お付けしますか?」 この場合、名詞にいちいち「ほう」をつける必要がありますか? 某ファミレスでは、「ほう」「なります」などの おかしな言葉遣いへのクレームが多く ついにこのような言葉が禁止になったそうです。 ご存知ですか? ユーザーID: 5366409669• 「アドバイス」は日本語?英語? 3ヶ国語OK様、説明ありがとうございます。 「ヴ」の感じ方は人それぞれみたいですね。 私は日本語・英語のネイティヴ(あえて使ってみましたがやはり違和感)ですが、日本語を使っている時に「ヴ」の必要性は全く感じないんですよね。 私だけ?他の英語ネイティブの方々の意見も伺ってみたいです。 噛み付いている訳ではないのですが単純に疑問なので質問させて下さい。 いやなら外来語を日本語に直して使えば良いのです。 日本語を話している時にわざわざ英語の正しい発音をしようと努力する必要があるのでしょうか?例えば「アドバイス」という言葉はもうすでに日本語になっていると思うんです。 adviceを「アドバイス」とした時点で外来語を日本語に直して使っていることになるような。 前回のレスで挙げた「ヴェリー」の件ですが「berry」の事を言いたいのだとすぐ分かりました。 恐らく店員は「ベリー」が「berry」だとは知らず、「ベ」より「ヴェ」を使う方がより「本格的」と誤解しているのでしょう。 ユーザーID: 3435876407• 気にはなります ある高校、伝統的に文武両道だったとします。 「文のほうは、今年東大に10人合格しています」。 「武の方は甲子園で準決勝まで行きました」。 「ほう」の使い方、間違っているでしょうか。 レジの仕事、代金を受け取り、お釣りを計算し、お釣りを返し、レシートを出す。 「お釣りの方は10円ですね、レシートの方はこれをどうぞ」といったら駄目ですか。 体系的に表現してるんですがね。 ちなみに最近「・・・からですね」という形で、「から」が復活しているのを耳にします。 今日もJRのキオスクで490円の買い物をしました。 500円だしたら、「500円からですね、お釣りのほうは10円、レシートをどうぞ」といわれました。 これ、なぜ駄目なんでしょうか。 ユーザーID: 8934068305• 体系的表現 飲む真似をしながら、「こっちの方やってますか」と挨拶されたとします。 これ日本語としておかしいでしょうか。 たとえば仕事のほうは大丈夫でしょうが、飲む方はどうですかと聞いているわけです。 飲むことだけを聞いているのではなくて、仕事と遊びの全体の中で遊びの方を聞いているわけです。 他のものとの関係性の中で、このものを聞いているわけです。 実際の仕事は常にそうです。 このものだけが問題になることはほとんどありません。 だから「ほう」の使用が増えるのだと思います。 「なる」もそうです。 さまざまな変項に対して、体系的な関数があって、この場合「どうなるか」を問題にするから、「なる」の使用が増えてくるわけではないでしょうか。 それを咎めるほうに違和感を覚えます。 ユーザーID: 8934068305• 「釣り銭<と>レシートはこちらになっております」といっているようです。 クレームに対して無用な摩擦をさけるには無難な対応ですね。 まだ、「なります」が直っていないというクレームがありそうです(笑)。 しかしこれは進歩でしょうか。 むしろわたしには退化現象だと思われます。 レジは「釣り銭とレシート」の全体を考えているわけです。 当然です。 だが実際の作業は、まず釣り銭、それからレシートです。 で、「釣り銭のほう」と「レシートのほう」を分けていたわけです。 これを分けることを止めてしまったわけです。 間違いがおこるもとですね。 ユーザーID: 8934068305• やがて 間違いではないのですが、最近頻繁に耳にするフレーズです。 例えばテレビの該当インタビューなどで、 「そういう意味では環境にいいと思います」 「そういう意味では安心して食べられます」 「そういう意味では助かります」 と答える人が多いような気がするんですけど、 「そういう意味」ってどういう意味? なぜそこで限定しなくてはならないの? どの「意味」だと環境に悪くて安心して食べられなくて助からないの? と悶々としてしまいます。 「その点に関してのコメント」という意味合いなんでしょうけど、 今の話題は「そこ」なんだから、わざわざ限定しなくてもいいような気がするんですよね。 せっかくの褒め言葉もその一言で含みのある嫌味な言葉に聞こえてしまいます・・・。 ユーザーID: 0684250003• ファミコン言葉 チョコワッフルさん。 先のレスではむかごさんのほうが明らかにずれたことを言っているので、とりあわなくて良いと思いますよ。 リストなどあろうがあるまいが関係ありません。 それより >「商品のお色は黒になります」はどうなんでしょう? カタログや見本などでは例えば白とか赤になってますが、今回販売するものは黒のものになります。 というような意味ではないですか? 私は「お色」のほうが気になりますが、間違いとも言えないのかな。 ユーザーID: 7511613376• ほう 「ほう」も「なります」ももちろん立派な日本語です。 適切に使えば何の問題もありません。 しかし「コーヒーのほう、お持ちしました」の場合は、コーヒーとケーキを頼んだのならまだ分かりますが、コーヒーだけの人に言うのはやはり違和感ありますよね。 そうすると「砂糖のほうはこちらです」とか「トイレのほうはあちらです」とかほかにも説明することがいろいろあるからなんて言い出すと思いますが(笑)そういうのは一般には屁理屈といいます。 私もそうですが、荒らしに加担することになりますからスルーするのが吉です。 ユーザーID: 7511613376• 「春の夏となるといわぬなり」 道元の「現成公案」1233年(鎌倉時代)に「生も一時のくらいなり。 死も一時のくらいなり」という議論があります。 それゆえに、「冬が春になると思わず」「春の夏となるといわぬなり」といいます。 普通は、「春が夏になる」というけれども、春が夏になったりはしない。 時が、春でなくなって、夏になるのですよという話です。 つまり道元は季節の変化を時間の関数として表現しているわけです。 で、一時に対応する季節は夏に「なる」わけです。 そういう理解が鎌倉初期にすでにあったということです。 「用紙はA4 になります(昔は B5 でしたが)」というのは不自然な日本語でしょうか。 道元は美しい日本語を乱しているのでしょうか。 ちなみに道元は無論、京都の名門貴族の久我通親の子、日本曹洞宗(禅宗)の始祖です。 越前に永平寺を作っています。 ユーザーID: 8934068305• そぉねぇさん むかごさんは、数学的な表現ではないかとのご意見ですが、わたしは、そういうかっちりした論理的な表現ではなく、むしろぼかした表現だと思います。 「東京のほうからきました」は、ずばり東京ではなくそのあたりからという意味ですね。 日本語ではあまりにも直接的に指し示すことを忌避する傾向は昔からあります。 このあたりの心理が「〜のほう」の多用につながって、接客の際にも「コーヒーのほう、お持ちしました」みたいな表現になってしまうのではないでしょうか。 むかごさんがあげられてるように、「AとBがあって、Aのほうは〜、Bのほうは〜」というのは一般的に間違いではないと思いますが、AとBがコーヒーとクリームと言うような場合はわざわざ「ほう」で特定する意味はなく、聞いている側には違和感がありますね。 「〜になる」についても、「である」「だ」で断定する言い方を避け、「勝手にそうなる」というニュアンスの、こちらは主体をぼかした表現で、これも日本語では昔からある傾向。 私としては、「ほう」「なる」は、気持ちは分からんでもないが、多用は勘弁して欲しいという立場です。 ユーザーID: 9676328058• 「はじめまして」ですか? 最近のテレビのトーク番組で、司会者がゲスト同士を引き合わせるときなどに 「おふたりは、『はじめまして』ですか?」 と言うのに、少し違和感を感じます。 上に書いたように、括弧付きの文章と考えれば間違とも言えないのでしょうが、ずいぶん幼稚な印象を受けます。 「おふたりは初対面ですか?」 「おふたりは(会うのは)初めてですか?」 でいいような気がしますが。 先日は、元アナウンサーがラジオ番組でゲストに 「私たちはじめましてですよね。 」 と言っているのを聞きました。 ゲストも 「ええ、はじめましてですね。 」 と受けていたので、いまや普通の表現なのかもしれませんが。 ユーザーID: 0118256903• 真逆???正反対では??? もっと気になる言葉はいっぱいあるんです。 でも昔、仕事でMCをしていたから気になるのか、私にはタイトルの言葉が気になります。 テレビの特集などの放送終了後にアナウンサーが視聴者に向かって 「いかがだったでしょうか?」と言っているのを何度か耳にして武士っぽいというか、なんとなく変な感じがしました。 「いかがだった…」に続くのは奥様っぽい「いかがだったかしら?」とか忍者・武士っぽく「いかがだったでござるか?」と親しい相手に対して使うイメージです。 「いかがでしたか?」もしくは「いかがでしたでしょうか?」の方がいいんじゃない?といつも思ってしまいます。 「見させていただいたとか聞かせていただいた」なんてのも「拝見・拝聴しました」でいいのにと思いますが。 ユーザーID: 6639795469• 「お受験」 私もこねこさん同様「真逆」がどうしてもひっかかります。 「真上」「真下」なら違和感がないのですが、これはたぶん「ちょっと上」「少し下」「斜め上」という段階(?)があるので「真」をつけるとそれなりに意味があるけれど、「逆」って「少し逆」なんて言い方ができる言葉ではないので「真」を付ける意味がないというか、付けられないと感じてしまうんですよね。 最近、小町でどなたかが指摘しているのを読んでからものすごく気になるようになってしまったのが「なぜゆえ」。 「なぜ」と「なにゆえ」が一緒くたになってしまったのだとは思いますが… もうひとつはここでも目にしますしTVでも多用されているようなのですが「半端ない」。 ナイナイの岡村くんが言っているのを聞いた気がしますが、発信元は彼? 岡村くんが使うのを聞いている分にはそれほど気にならないのですが、あちこちで見たり聞いたりするとだんだんイライラするようになってきました。 なぜ「半端じゃない」「半端ではない」と言わないのかなあ。 こういうときの助詞は端折っちゃいけないと感じてしまうんですが。 ユーザーID: 5964820625• 流行語 「半端ない」は流行語として使っている場合が多いと思います。 「〜なります」「〜のほう」に関しては、 正しい日本語だと勘違いして使っている人が多いので 話題になっているのではないでしょうか。 *ここまで書いてふと思いました。 悪く言えば言葉に責任感が無いというか…うーむ。 ユーザーID: 2284839559• 「べき」の使い方 技術屋さんの、「〜のほう」「〜になる」のぼかし表現説は非常にわかりやすい説明ですねぇ。 さて、私が気になっているのは、「べき」の使い方。 小町のトピでときどき見かけますが、「〜しないべき」という表現がとーっても落ち着かないんです。 「私は彼と別れるべき?別れないべき?」なんて書かれていると、なんとも奇妙な気分になります。 「私は彼と別れるべき?別れるべきではない?」または「私は彼と別れるべき?付き合い続けるべき?」って書いてほしい・・・。 言葉は変化するものだから、ら抜き言葉も「申し訳ございません」も聞き流せるのに、これだけはどうしてもスルーできないんです、なぜか。 ユーザーID: 3680331903• 「〜みたいな」は市民権を得たんでしょうか? HAPPYDAYさんの「しないべき?」が落ち着かない、というのは全く同感なんですが、文語表現では「〜せざるべし」とか「せざるべからず」と言うのもあるので、口語に単純に置き換えるなら「しないべき」もあり得そうではある。 しかし感覚的にはそれはないでしょとも思う。 なんなのでしょう、この気持ち悪さは。 どなたか教えてください。 しかし、模範的?にいうなら、 「私は彼と別れるべきか、別れるべきでないか?」 「断然別れるべし」or「別れるべからず」or「別れるべきでない」 でしょう。 で、この何十年かの間に、「べき」の終止形の「べし」の存在感がなくなっているんですね。 否定の意味の「べからず」も消滅一歩手前。 べきが終止形扱いでもOKになってきて、公の議事録などでも、「断固〜すべしとの意見があった」とすべきところ「断固〜すべきとの意見があった」となって、「すべきである」の「である」が端折られた形になっています。 まぁ、「べき」一本で間に合わす利便性が優先されているんでしょうけれど。 中高年の繰り言です。 ユーザーID: 9676328058• なぜだか理由はわかりませんが 3月14日、技術屋さん、 「べし」は、口語では動詞の終止形に接続します。 「歩くべし」、「歌うべし」ですね。 口語で「歩かないべし」といえ「ない」のは、「ない」が動詞ではなくて、助動詞だからです。 ところが文語では、一般に用言に接続します。 形容詞でも、助動詞でもok。 で、「せざるべからず」が可能になります。 文語だと「たのしかる(形容詞連体形)べし」といえますが、口語で「たのしいべし」とはいいません。 事実を指摘しているだけで、なぜなのか、理由はわかりませんが。 もうひとつ、「べし」は口語では、ほとんど連体形「べき」しかつかわれなくなっています(多少のゆれはありますが)。 これも理由はわかりません。 ユーザーID: 8934068305• たこ「みたく」なる 風呂からあがって、「たこみたくなった」という言い方をしますか。 一般には、「たこみたいになる」でしょうね。 だが、「みたく」という言い方をよく耳にします。 今をときめくわたしの好きなある大学者さんもそういう言い方をされます。 そういう言い方が出てくる理由はとりあえずわかります。 「みたいだ」という助動詞は形容動詞型の変化をします。 ところが「みたい」とこれが省略されます(特に女性の間で)。 「馬鹿みたい」とか。 その場合「みたい」が形容詞に似ているので、形容詞型変化をさせる。 そうすると連用形は「みたく」になります。 だが、ひょっとすると、これは誤用ではなくて、「みたいだ」という助動詞とは別に、「みたい」という連用形だけでつかわれる助動詞があると考えた方がいいのかもしれません。 みなさん、「みたく」を使われますか。 もし使われるならどこでこれを覚えられたのか教えていただければうれしいです。 ユーザーID: 8934068305• 「さびしいです」といいますか? 「です」とか、「だ」の使い方は「むづかしいです」。 「さびしいでしょう」はok ,「さびしいなら」も ok , しかし「さびしいです」は NG というのが 普通の見解です。 「それはないでしょう」、「それがないなら」とはいえても、「それはないです」といっては駄目。 さらにシビアーに用法を限定する国語学者もいます。 「それはないでしょう」も駄目。 無論、「それはないです」は駄目。 生きた文法はひとつです。 だが、それが何であるか必ずしも把握されていません。 文法学者がいるだけ学説があるといわれます。 ところでみなさん、「それはないです」といいませんか。 「さびしいです」といいませんか。 それともそれはNGですといいますか。 それとも仕切り屋がNGであることを知らないから、NGではないのですか。 「それでもわたしは行くのです(だ)」(これは一般に正しい使い方です)。 「いっちまっただ」はどうでしょうか。 ユーザーID: 8934068305• 発音だけど・・・ >「〜みたいな」という語尾がうっとうしいです まんま様に強く共感します!これって増える一方ですよね!? あと、言葉ではないですが未だに耳に入ってくるのもうっとうしい疑問系の話し方! 政治家もアナウンサーも芸能人も・・沢山の人が自然と話してるけどおかしいと思いませんか? 疑問系をカッコイイと思って話しているのでしょうか? かつて、タモリさんがこの疑問系を指摘されものすごく共感しました。 が、今も尚、この現象は続いております。 ちなみに、私の母も疑問系をよく使います。 お友達の言葉がうつったようで、指摘しても全然気づきません。 「昨日〜?お買い物?に?行ったら〜?お肉が?やすかったの・・」 ユーザーID: 7711180783• 「べき」のこと わたしの感覚では「べき」と「べし」はもう別の語彙ですね。 「べし」は硬い文章に出てくる古語の助動詞で、「べき」は現代口語の中では、もう「はず」などと同じく形式名詞になっているように思えます。 ですから、むかごさんのご指摘どうり「いかないべし」は不可でも、「いかないべき」は文法的には可だと感じます。 わたしも「ないべき」は使いませんし、違和感感じますが、ああ、使う人もいるんだなあと思います。 ユーザーID: 8896576127• さびしいです(むかごさんへ) わたしの場合、会話では普通に使います。 文章の場合、ですます体を使っても、できるだけ回避します。 わたしの記憶では歴史的には、数十年前までは「形容詞+です」は間違いとされていたが、今は許容されていると思っています。 とのことですが、わたしはある意味で「生きた文法は一人に一つ」だと思っています。 「規範的であるよりも、記述的に」(どこかでみたような言葉)言葉を見たいと思っています。 このあたり、ネット上で言葉について話すときは好みの違いなんですが、実際にはここで根本が違ってくると思います。 規範的な角度、意識からいえば、もともと「全然」は肯定にも否定にも使われる表現だったのに、「『全然』は否定にのみ使う」という説が出てから実際に、そう信じ込み、そう使ってきたという歴史もあるように、実際にどうかというよりも「規範」を勝ち取った表現が正しいことになってしまったり。 ユーザーID: 8896576127• むかごさん、ありがとうございます 口語では「べきだ」という形容動詞型の助動詞になり、動詞または動詞型の助動詞の終止形に接続するとありました。 「ない」は形容詞型の助動詞なので、接続しないんですね。 ただ、「ないべき」をスルーできないのは、文法上の誤りというより、「べきだ」はウ段の音に接続するので、「イ」音につけると感覚的に気持ち悪いからかもしれません。 「べき」止めは、文語表現でも連体形止めがあったように、自然な変化のように思います。 むかごさんの問われた「みたく」は私は使いません。 「たこみたいになった」と言います。 でも、「たこみたくなった」と聞いてもおかしいとは感じていないかも。 「さびしいです」と「ないです」は使ってしまいます。 でも「ないです」は、言ってしまってから「間違った」と感じます。 「です」は体言に接続するとされているので、文法的には誤りですが、どちらの例も、「です」の前の言葉を省略している気がします。 「私はさびしい『状態』です」「今、お金はない『状態』です」のように。 言葉は変化するもので、文法は変化の一瞬を切り取っているだけなので、「正しい日本語」なんてないのかもしれません。 ユーザーID: 3680331903• さびしいでした。 「私はさびしい『状態』です」「今、お金はない『状態』です」のように。 わたしもそう思います。 実際、「それでもわたしは行く<の>です」は無論、「わたしはさびしい<の>です」、「今お金はない<の>です」という表現は認めるひとが多いです。 で、これを認めれば、「さびしい<の>でした」も認めることになるだろうと思いますし、実際これに違和感はありません。 ところが、「さびしいでした」というと突然違和感が出てきますね。 まるで、外国人の日本語のように響きます。 どうもよく解りません。 なぜなんでしょうね。 ちなみに、わたしも「さびしいです」のような表現、日常的にはよく使います。 意識的にこの文章でも使っています(笑)。 ユーザーID: 8934068305• これでお釣りをください。 三省堂国語辞典第四版の「で」の用法の用例として、「これでお釣りをください」というのが採用されています。 たとえば、420円の買い物をする。 で、500円を出して、「これでお釣りをください」という場合が想定されていますね。 実際には黙って500円だしますが、頭の中で客はそう考えて500円出しているわけです。 500円で代金の支払いをします。 お釣りがあるはずですので、それは返してくださいといっているわけです。 レジはそれにどう対応するのがいいのか。 500円「から」代金を頂戴します。 お釣りは500円から計算します。 「500円からお預かりします」の意味はそういう意味だったのだと思います。 最近では客のお金の出し方はますます複雑になっています。 小額貨幣を処理するためでしょうね。 きちんといくら「から」お釣りを計算するのか確認する必要があるわけです。 「明らかに」間違っていますか。 ネットのレジの「から」たたきの「ほう」がスキャンダルではないかとわたしは思っています。 ユーザーID: 8934068305• レジで使われる「から」について レジで使われる「から」と言う言葉について、私も以前から疑問に思っていました。 これは、「お預かりした500円の中『から』代金をお預かりして、お釣りをお返しします。 」と言う意味だと他トピで知り、そうなのかとほぼ納得していました。 」と使われているように思うからです。 」と言う場合です。 この場合の「から」は「約」と言う意味? もしくは、「1,000人以上=1,000人〜=1,000人から」のつもり、つまり「〜」を「から」と読んでいるのでしょうか? レジの場合もニュースの場合も数字に付いていると言う点では共通しているのですが、その意味は果たして同じなのでしょうか?全く違う助詞なのでしょうか? それとも単に語呂がいいから付けているだけの、飾り言葉なの? どなたかお詳しい方、ご解説いただけないでしょうか? ユーザーID: 4016891427• シングルマザー の【から】を私は、数・量が甚だしく多いときに遣う【も】と同じ意味に捉えていました。 つまり「1,000人【も】の人々が集まりました。 」という文章と同じ文意で、【も】の位置に【から】を用いていると思い込んで疑いもしなかったのです。 というのも、私の住む地方の方言では、そのようなときに【から】を遣うからです。 例えば「ボーナスが200万円【から】出た」「あの人は身長が190センチ【から】ある」のような遣い方です。 それがニュースの標準語で用いられているのは、もともと日本語として広い地域で遣われていた表現が、時代を経て会話の中では遣われなくなり、言語分布の同心円上の端…つまり中央から遠く隔たった地方に方言として、またニュースの定型文の語彙として残ったのだと勝手に思っていました。 ユキナさんのレスを拝読して、他の意味である可能性も考えられることに気づかせていただき、目から鱗が落ちました。 私も、日本語に詳しい方に、この【から】の意味を教えていただきたく思います。 ユーザーID: 3542759410• 〜、の一言です。 「さびしいです」は、まままさんが書いていらっしゃるように、すでに国語教育の場でも認められている言い方だと思います。 たしかに、「です」を「だ」の丁寧な形だと考えるとおかしな表現だということになるのですが、「さびしいです」を認めないとすると、「さびしい」の丁寧な言い方がないのです。 「さびしいです」と「さびしいのです」は用法が違いますし、「さびしゅうございます」だと丁寧になりすぎますしね。 「全然」については、指摘されたような「全然大丈夫」「全然平気」のような使い方はそれほど規範に外れたものではないと思います。 「全然問題ない」「全然かまわない」「全然気にしていない」などと同じ意味合いで使われていて、内容的に否定が含まれているようです。 「全然〜ない」のかたちでなくても「全然ちがう」「全然だめだ」は可でしょう? それから「全然おいしい」のような言い方についても、高級なケーキを食べていきなり「全然おいしーい」という人はほとんどいなくて、「ちょっと失敗しちゃったんだけど…」「え、全然おいしいよ」というように、「そんなことないよ」という否定の意識がある場合に使われるようです。 ユーザーID: 2532209514• 3万円からございます。 お雛様ってぴんからきりまであります。 「これなんか、どうでしょう」、「80万?、もっと安いのないですか」、「3万円からございます」。 こういう場合の「から」は、最低が3万、それ以下はありません。 それ以上はいろいろありますということですね。 祭りに何人集まったか、数えるわけではないですね。 すくなくとも1000人、実際はそれ以上、それ以下ではないという意味でしょう。 でも1万人もいるのに、1000人からというのも変ですから、「1000人に近い、1000人以上」という意味ではないでしょうか。 「から」は何かをする基点をあらわします。 この場合は目算の基点でしょうね。 実際はそこからどれだけ多いかだが、それは解らないと。 ユーザーID: 8934068305• 言ってくる、してくる よく小町で目にする表現ですが、人に何か言われたりされたりして嫌な思いをしたことを語るときに「XXが〜と言ってきます。 これといって根拠のない、漠然とした違和感・嫌悪感でしかないのですが。 文法的には間違いではないのでしょうし、単に私がその表現に不慣れなだけなのでしょうけれど。 とても迷惑そうな感じが出て、限られた文字数で心情を伝えるには適した表現だとは思いますが、自分では使いたくありません。 トピにある「お名前様」に関しては、私はもう随分前から耳にしています。 主にアパレルや美容関係のお店で聞かれることが多い気がします。 もう驚かなくはなりましたが、未だに違和感はぬぐえません。 ユーザーID: 4001108661• 相変わらずずれまくってますね 該当のレスで私が指摘したのは「なります」についてです。 そしてそれについて「ずれている」「とりあわなくて良い」と言ったのです。 ですから私ももう触れません。 ファミコン言葉のひとつとしてついでに挙げただけです。 「お預かりします」がポイントなんですよ。 500円の代金に対して1000円札を出すと「1000円からお預かりします」 何をお預かりするの?後で返してくれるの?「1000円からいただきます(頂戴します)」ならいいんですが。 「私は一介の店員ですから店長あるいは社長になりかわってお預かりします」という意味ですか?それはこじつけでしょう。 「1000円お預かりします」なら、一旦1000円預かってお釣りの500円をお返ししますということで成立するんです。 もうひとつ問題なのはユキナさんも指摘されているとおり、ちょうど支払った場合にも「500円ちょうどからお預かりします」などという珍妙な言葉遣いまで出現した点です。 ユーザーID: 7511613376• そんな変な省略するな! 馬鹿丁寧でイラつかせる言い回し。 何々していただいてよろしいですか? お伺いをたて、許可をいただく。 まどろっこしい。 きっと上からのお達しでお客に対する決まった受け答え方なのかもしれないけど、回りくどい。 長距離電話で、PCのトラブルの件で私と係りの人との会話。 私「はい クリックしました。 」 業者「はい、ありがとうございました。 電話代払え〜〜〜 適切でない丁寧語聞き苦しい。 以前流行った、「何々じゃないですか」と同じぐらい、うんざりする言い回し。 いやですねー。 ユーザーID: 9782647568• 「です」はもともとは、「であります」の省略形ですね。 「ないです」は「ないであります」です。 現在では、助動詞として独立していますが。 ところが、独立させると、これだけで述語機能がありますから、「ない」プラス「です」というと一つの表現に述語が二つ出てきます。 ですから、本来は、「ないです」とか、「さびしいです」とはいえないはずのものです。 しかしながら、「です」は「だ」の丁寧語としても認識されています。 で、「さびしい」と形容詞だけで述語しないで、それを丁寧にするだけの用法として「ないです」とか、「さびしいです」が市民権を得てきているにすぎません。 この断定を丁寧にするだけの「です」は助動詞ですが、終止形の部分しか使えません。 だから、「ないでした」などとはいえないんですね。 かなり不自然な用法です。 (実はわたしも使いますが)(笑)。 ユーザーID: 8934068305• 「預ける」、「預かる」 「預ける」「預かる」にはおおむねふたつの意味があります。 (1)お金とかものを預ける、あずかる。 この場合、預けたものはいずれ返ってきますね。 銀行はお金を預かって、それを運用して利益を上げていますが、返還要求があれば、原則的には当然返却します。 (2)ゲタを預ける、家計を預かる。 この場合預かっているのは、お金やものでは「ないです」。 仕事を任せる、任せられているという意味です。 預かった方は責任を持ってその仕事を遂行するということです。 ところで、コンビニから、「500円からお預かりします」が消えて、最近では「500円、お預かりします」が普通になりました。 「から騒ぎ」するひとが提唱する「500円<を>お預かりします」といわないのがおかしいですが、とりあえずそれはおいておいて、いずれにせよレジは「預かる」の二つの意味のうち、どちらの意味で預かっているのでしょうか。 (1)の意味ではないですね。 代金は領収されて返ってきませんから。 で、(2)の意味ということになります。 客が出した500円の処理を任せてくださいといっているわけですね。 ユーザーID: 8934068305• 「です」の不自然さをもうひとつ 「静かだ」は形容動詞です。 「静かであります」ともいえます。 この場合の「静かで」は「静かだ」の連用形です。 動詞「あります」が接続しています。 ところが、「静かです」ともいいます。 これは「静か」プラス「です」では「ないです」。 例外的に丁寧な言い方をするとき、「静かだ」が、助動詞「です」と同じ活用をすることになっています。 そういう理論があるわけではなくて、便宜的に例外を認めたに過ぎません。 「静かであります」の省略とみなした方がいいとわたしは思うのですが。 ことほど左様に「です」は実は不自然な言葉です。 「ないです」の「です」には断定の意味はないと割り切ってしまいたいのですが、例外的に形容詞による断定を丁寧にいうとき、形容詞は「です」と同じ活用をすると決めてもいいわけです。 なぜそうしないのかといえば、「です」を独立した助動詞としてあつかっているからにすぎません。 でも、それですっきりするかといえばすっきり「しないです」。 つまり文法というものはそういうものでしかないわけです。 ユーザーID: 8934068305• 延々と 「みっともない」は形容詞です。 ですけれども、「見たくもない」に由来することはほとんど確かです。 しかし、とりあえず「みっとも」が何であるか意味が解らないという立場で、「みっともない」は一語の形容詞だとするわけです。 この場合「ない」に意味はありません。 「見たくもない」というときの「ない」は形容詞の「ない」です。 とても不自然ですが、便宜的なものでしか「ないです」。 「とんでもない」も同様です。 しかし、「とんでもない」を一語の形容詞だとすると、「とんでもないことでございます」というべきであって、「とんでもございません」はいい間違いだとするひとが出てくる。 それもひとつの見識です。 しかし、実際には「とんでもございません」が使用される。 そこで、最近はこれも認められています。 これを認めると、はたして、「とんでもない」は一語の形容詞なのかどうかが問題になってしかるべきだと思うのですが。 ところで、「とんでもございません」は新しく発明された表現ではなくて、むしろ忘れられた表現の先祖がえりだとわたしは思っていますがどうなんでしょうね。 ユーザーID: 8934068305• 「味気ない」、「人気(ヒトッケ、ヒトゲ)ない」 「味気ない」、「人気(ヒトゲ)ない」も一語で形容詞です。 もともとは、「味気もない」「ひとげもない」であったことは確かです。 要するに不精して「も」が脱落しただけです。 「も」があると、これは、「味気」プラス「も」プラス「ない」ですね。 「人気」プラス「も」プラス「ない」も同様。 一語ではないです。 だから、「味気もございません」とはいえるが、「味気ございません」とはいえないという話になるわけです。 「ひとげもございません」とはいえるが、「ひとげございません」は間違いだということになるわけです。 ところが、「とんでもない」にはちゃんと「も」が残っているわけです。 「とんで」が何だかわからない。 で、便宜的にこれを一語の形容詞にしたというだけです。 そうすると、「とんでもございません」が間違いになる。 しかし現実には使われている。 どう処理するかという問題ですね。 声高に間違いを言い立てる根拠があるようなケースでは「ないです」。 ユーザーID: 8934068305• 預かるの意味 ユキナさん >「とんでもない」は「とんでもない」で一語の形容詞です。 これはまさにおっしゃる通りで、「とんでもない」を「とんでも」と「ない」に 分けて「とんでもありません」と言うことはできません。 しかし、実際にこう言う人が多いので、私としては、 「なぜそこだけ『ありません』になるわけ?」という批判の気持ちで書いたわけで、 決して「とんでもありません」を肯定しているわけではありません。 「ないです」については、今はユキナさんのように感じる人の方が多数派 ということなのかもしれませんね。 確かに、「ないであります」なんて表現は、某アニメキャラクターくらいしか 使っていないかも。 ユーザーID: 5761052473• 化粧品売り場にて 私は、「宜しかったでしょうか?」が気になります。 昔、「宜しいでしょうか?」と習いました。 その時、 もっと昔は、「宜しゅうございますか?」が正式と習いました。 最初に、よろしかったでしょうか?を聞いたのは、注文した商品を 取りに行った時です。 その時は、「以前に注文した」過去の事なので 過去形で使うのかと思っていたら、ファーストフード等でも聞くようなり 事務職の女性まで移ってきて来ました。 さすがに、いい加減慣れましたが 昨日、パンが美味しいファミレスに行ったら、若い女性が、お皿を下げる 時に、宜しゅうございますか?と言ってました。 さすがに違和感を覚えます。 言葉は生き物ですね。 とほほさん、わかります! あの丁寧過ぎる対応!! 私は宅急便の不在票が入っていて連絡したら、ご丁寧な対応でした。 対応が悪くて苦情を言って来る人はいても、丁寧過ぎて苦情を言って 来る人はいないだろうという対応だと思いますが、こちらが払う電話代、 大した額ではありませんがイライラします。 もう少し、適度に要領良く聞いてほしいです。 その適度が人によって 基準が違うのでしょうが。 ユーザーID: 5808383868• 大丈夫 と、答えられるときに「ん?」と疑問に思います。 どうやらいらないらしいのですが。 病欠していた人が出勤してきたときに「風邪はもういいの?」などと尋ねた答えに「大丈夫」ならわかるんですが。 「ないです」も「ありません」のほうが私には品よく聞こえます。 「お」をつければ丁寧に聞こえると安易に考えるのと同じで、「です」「ます」をつければ丁寧語だと思ってるのかなぁ、なんて感じます。 他にも「え〜っとですね・・・」も???です。 え〜っと、を丁寧にしてどうすんだ!って勝手にツッコミます。 それと少しズレますが、新聞のみだしが気になります。 常用漢字、あるいは当用漢字に制限があるのかもしれないのですが、漢字で書いたほうがわかりやすいんじゃないか、と思うことが時々あります。 実は「危惧」でした。 気にし出したらきりがないのかな。 ユーザーID: 5647356202• お疲れ様、ご苦労様 ちょっと関係ない話ですが 元言語オタクさま。 Mother Languageって英語で使います諱B私は言語学者でもなんでもないんですが、一応小・中・高・大と英語圏で教育をうけて、今も英語だらけの中で生活してる者です(それともMother Languageって言葉自体が乱れた英語なのかしら)。 だから英語では使わないって断言されるのが少し気になったのですが。 日本語は難しいですね。 私もつい「母語」と日本語で書いてしまって「日本語では母国語だよ」とのご指摘がありました。 他にも英語だと「(午前2時)Two in the morning(朝の2時)」というのでそのまま日本語にしたら「日本語の場合は真夜中の2時というほうが適切だよ」。 些細なことかもしれませんが、日本語を常に使えるようにしておくには毎日勉強ですね。 敬語とかになるともうお手上げです。 ユーザーID: 9188592342• 一旦お客様からお金 代金 を預かって清算を済ませるからそう言うのだと習いました。 今はヘルプデスクをしています。 言い回しが丁寧すぎて…とのことですが。 実際話している自分もそう感じています。 しかし、たまたま確認のありがとうございますを言いそびれたときや、口調が親しげなものになってしまったときに「言い方がぞんざいになった!責任者に代われ!!」と言われることもありますので、難しいところです。 ちなみに「お名前様」はまだ聞いたことがありません。 自分が店員の立場のときは「こちらの欄に と言いつつ指し示して お名前のご記入をお願い致します」と言っていました。 ユーザーID: 8752769537• ですよ?っていう、?マークの使い方 便乗で恐縮ですが、日常の言葉遣いに敏感な皆さんに、質問させていただきます。 私は区役所勤務なのですが、用事を済ませてお帰りになる区民の方に 「ご苦労さまでした」は失礼だと思いますか? そのかわりに「お疲れさまでした」のほうが適していますか? 職員でも意見が分かれるのですが…。 当然「ご苦労さま」は目下の人に言う言葉という説が出ます。 しかし、上司が部下に言う場合はともかく、例えば宅急便の配達員に言うとき目下だとは思っていませんし 私は個人的には「わざわざ出向いた方のご足労に対するねぎらいだと思って使っているのですが…。 それに対して「お疲れさま」は同僚や身内 目上の人でも同じ会社の人にしか使わない に言うような言葉で むしろ失礼では??と思ってしまいます。 しかしそれ以外に適当な言葉が見当たりません。 私自身は「ご苦労さまでした」肯定派なのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。 参考にお聞かせいだだければと思います。 ユーザーID: 7086030109• PINE様へ。 元テレフォンオペレーターですが、 「とんでもありません」「とんでもございません」は間違った日本語なので絶対に使わないように! と厳しく指導を受けました。 正しくは「とんでもないです」 もっと正しく言えば「とんでもないことでございます」だそうです。 でも、私もPINEさんと同様「ないです」に違和感 ぶっきらぼうな感じ を覚えますし、 一般的にも浸透しているのは「ありません、ございません」の方だと思い、 こっそり「とんでもございません」と言っていました。 言葉は時代と共に変化するものですし、場合によっては「正しいか否か」よりも 相手に自然に伝わる事が重要なのでは、と思います。 ユーザーID: 6432565277• 他人に自分の子のことを話す時 わたしは「預かる」は婉曲な表現なんだと思います。 例えば、高貴な人が亡くなることを「かくれる」(やや古いですが)と言いますが、これは「隠れたなら、いつ出てくるの?」ということではなく、「今、ここにいません」という意味から死を婉曲的に表しています。 それから「いただきます」はもともと「もらう」の謙譲語ですが、「もらうだけ?ここで食べないの?」ということではなく、「食べる」という表現を避けて表したものだと思います。 生まれたというか、これは最近の表現ではなく、わたし(40歳)は昔から馴染んだありふれた表現のように思えます。 ユーザーID: 8896576127• あかちゃん 私が気になるのは、親御さんが自分の子供(赤ちゃん)のことを「赤ちゃん」と呼ぶことです。 例えば「赤ちゃんの名前はハナコです」など。 もちろん、近しい人達との間でそう呼ぶのは全く問題がないと思うのですが、何というか、自分の子供を他人に話すときに使う言葉ではないと思うんです。 「子供の名前はハナコです」って言うのが普通じゃないかと。 敬語が使えない人ならまだしも、他の敬語はちゃんと使い分けているのに、なぜか子供だけは「赤ちゃん」という人もいたりするので、ちょっと不思議です。 小町のトピでも「赤ちゃん」という人がいますけれど、その度に考えてしまいます。 赤ちゃんが気になる人、他にもいませんか?私だけなのかなぁ。 >さなえさん 私も公務員なのでよくわかります!本当に適当な言葉がないんですよね… 私はご苦労様ですは言いません。 もっともうちの地域では「ご苦労様」ってフツーに使われる言葉なんですけれどね(私も言われることがありますし)。 「何かありましたらどうぞご遠慮なくお申し付けください」「お気をつけてお帰り下さい」等といってピシッと黙礼することが多いです。 でもこれでいいんだか不明です。 ユーザーID: 4009438171• 現場体験のある方の 3月23日、シンさん 現場体験のある方のお話を伺うことができて、とてもうれしいです。 >一旦お客様からお金 代金 を預かって清算を済ませるからそう言うのだと習いました。 たとえば、420円の買い物をした客が500円をだしたとします。 420円が代金ですね、80円がお釣りです。 そこで、「420円(代金)お預かりします」というように教えられたのでしょうか、それとも「500円(客が出したお金)お預かりします」というように教えられたのでしょうか。 実際には「500円おあずかりします」といっているのではないでしょうか。 次に「清算する」というのがレジの仕事の核心ですね。 で、清算するということはお金の貸し借りをなくすることです。 500円受け取ると自動的に貸し借りが発生します。 この場合、お金を借りているのはレジの方ですね。 お釣りを返すまではレジが80円借りているわけです。 その清算がレジの仕事として「任されている」のではないでしょうか。 客が出した500円から、そのうちの代金分は領収し、お釣り分は返却するのがレジの仕事ですね。 ユーザーID: 8934068305• 手荷物預かり所に 手荷物預かり所に手荷物を預けたら、預けた手荷物は返ってきます(手数料は発生しますが)。 郵便局にお金を預けたら預けたお金は返ってきます(郵便局がつぶれない限り)。 預金と投資は違います。 預金が返って来なかったら犯罪です。 厳密に使い分けられています。 他方、課長が部下の辞職願を預かっているとします。 これは返ってくるか、返ってこないか解りません。 その取り扱いをどうするか、受理するかしないか、その判断、その処理が課長に任されているわけです(部長に相談するしないは別にして)。 それをその部下が了承しているということです。 いずれも曖昧な表現ではありません。 ユーザーID: 8934068305• 母語と母国語 元言語学オタクさんご指摘の欧米系言語学者の人たちは、母語と母国語を別の概念と考えていると思います。 母語は、生まれてから初めに自然習得した言語で、母国語は母国を代表する言語というふうに。 日本人は、自分も周りの人も母語=母国語で、それが当然という感覚がある人が多い(私自身もそうです)ようですが、多民族多言語国家ではそうはいかないそうです。 また、日本にも母語は日本語だけど国籍は違うという人がいますし、逆に日本人だけど海外で生まれ育って、母語は日本語じゃないという人もいるので、区別は必要ではないでしょうか。 そして、母国語に対するのが外国語、母語に対するのは非母語になるかと思います。 …紛らわしいことばなのが問題なんでしょうかね。 ユーザーID: 2532209514• sakusaku様、ありがとうございます ある表現について、正しいか否かを論じることは大変有意義な事だと思います。 ですが、その表現が何故「気になる」のかということが無視されているように感じるのは私だけでしょうか? 例えばトピ文の「お名前様」や、レスの「500円からお預かりします」という表現。 私も気になります。 単に「間違いじゃないの?」とも感じるのですが、それよりも強く感じるのは「そんな表現を使う必要があるの?」ということです。 「お名前をご記入ください」「500円(を)お預かりします」で十分丁寧な表現として伝わりますよね? この例のような表現には、「丁寧さをアピールしようとして、余計な言葉をくっつけている」という印象をもってしまいます。 元オペレーターさんのレスにもありましたが、特に日常の会話においては、理屈ではなく「自然に伝わる」ことも大切だと思います。 ユーザーID: 1340895033• 「お預かりします」は許せても 「ご苦労様」が目下の人に向かって言う言葉という事を、知らずに育ってきました。 「ご苦労様」と普段頻繁に使う地域柄のせいでしょうか。 個人的には「ご苦労様」は労いの言葉としてはとても良いものだと思いますので肯定派になるのかも知れません。 昔のお殿様が家来に「御苦労であった」と言ったのは「様」なしですね。 歌舞伎の世界の仕来りと言われますが、そこまでは詳しく存じませんので、 ちゃんと意味を調べてみようと思って「苦労」を辞書で引くと、 「親に苦労をかける」など目上の人に対して使う事もあるのに、 「御苦労」になると急に「目上に対しては使わない言葉」と書いてありました。 なぜ「苦労」に一文字加わっただけで違いが出てくるのか、不思議に思いました。 全くヨコですみません。 どなたか苦労と御苦労の違いをご存知の方、ぜひ教えてください。 ユーザーID: 0743645703• 赤ん坊 3月24日、もぢこさん 「赤ん坊」というのは、生まれたばかりの子どものことです。 その愛称が赤ちゃんです。 名前を知らない赤ちゃんに出会ったとします。 「赤ちゃん、可愛いいですね。 お名前は」と聞かれたりしますね。 ひとの子どもを愛称で呼ぶなんてとんでもないといらつきますか?問題は相手を「内と見る」か「外と見る」かですね。 内と外は場合によって流動的です。 自分以外は外だ、自分の家族以外は外だ、自分の親戚以外は外だとハリネズミのように構える必要があるのでしょうか。 わたしは、赤ちゃんを自分の内に引き込んでくれるひと好きですね。 共同の「内」がその都度成立しています。 ちなみにもぢこさんは友人のお父さんをなんと呼びますか。 あなたの「父君」?。 「ご尊父様」?。 わたしはご尊父様なんて、弔電を打つときしか使ったことがありません。 あなたの「お父さま」、あなたの「お父さん」と呼んだら駄目ですか?ちょっと興味があります。 ユーザーID: 8934068305• はやり? 皆さんのレス、楽しく拝見しています。 トピ主さんが書いていらっしゃる「お名前様」、私も以前から「なぜ様をつける!?」と 思っていました! 申込書等の書類を示しながら、「こちらにお名前様をお願いいたします!」と言われたりすると、 つっこみたくて仕方なくなってしまいます。 もちろん言葉は時代とともに変化していくものですから、こんなふうに思うのは 単に頭が固いだけかもしれないのですが、やはり心から受け入れることはできません。 そんな私が最近一番気になるのは、亜鉛さんが書いていらっしゃる >助詞の「は」から話し始める です。 私もトシなのかもしれません。 悲しい。 ユーザーID: 1989209770• あっぷっぷさん 私もそのひとりです。 『ご苦労様』 と 『お疲れ様』、 使い分け・意味は分かっていますが、 私もあっぷっぷさんと同じく違和感を覚えるひとりです。 >労をねぎらっていて良い気がするのですが、 本当にそう思います。 目上だろうと目下だろうと関係なく、 今ある事実に関して感謝やねぎらいを表すのに『ご苦労様』。 その全てが終了した時に『お疲れ様』。 一つの意味のある言葉の「使い分け」ではなく、 全く異なる意味を持つように私は思うのですが、 一般的ではないのですから、 違和感を感じながら仕方なく『お疲れ様』を使っています。 そういう意味なのだから仕方ない、そういうものだ、ではなく、 語学学者にこの私的な感覚的な部分ではありますが、 納得いくように説明していただきたい思っています。 日本語は面倒か なぜ目上のひとに「ご苦労様」がつかえないかというと、本来「苦労しない」のが、目上のひとの「たてまえ」だからです。 たとえ給料を出すために社長が走り回っていても、それを見せたら目上のひとではない。 たとえ社員がそれを見ていても、「社長、苦労かけるねえ」とそれをねぎらうことは口がさけてもできないでしょう。 「お前らが働かんから苦労するんだ」ということになりかねないです。 「お疲れさま」なんていえば、これはもう嫌味ですね。 目下のものより、目上のひとの方がよく働いている現実があって、面倒になることはあるわけですが、「たてまえ」としてはそういうことです。 「お疲れ様」でも同じことですね。 ユーザーID: 8934068305• タメ口 サービスを提供された方が、サーヴィスを提供した方に「ご苦労様」といってその労をねぎらうのが普通です。 目上だ、目下だと知ったかぶりをして、現実には適用不可能な概念を持ち込むから、問題が難しくなります。 店の客と店員の場合なら、客の方がサービスを提供される側だという意味で、強いていうなら目上ですが、目上だ、目下だと悩む必要はありません。 公務員は本来は公僕ですから、サービスを提供する方ですね。 だが、実は公務員は行政官として、法に基づいて仕事をしているわけです。 市民の協力がなければ仕事ができないわけです。 そういう意味で、公務員は市民のサービスを提供されて仕事をしているわけです。 お互い様なんですね。 お互いに労をねぎらいあうことに何の問題もないはずなんですが。 ユーザーID: 8934068305• 母語、ですが 最近初対面の人に、何か質問されて答えたら、「あー、そうなん ですね。 」と返されました。 同じようなことが続いたのですが、もしかして流行り言葉なので しょうか??なんだかちょっと小馬鹿にされた感じがしてしまっ たのですが(心の中で「知ってたんか!」とつっこみましたが ・・・)。 あと、芸能レポーターが「ご自身ではいかがですか?」と、本人 に向かって言うことが増えたような気がします。 前にも書いている方がいらっしゃいましたが、テレビに出るような 人が「私のお父さん(お母さん)が・・・」というのが多くて気に なります。 周りで注意する人いないんでしょうかね。 ユーザーID: 4283926741• それと、ガ行を鼻にかけて、ちょうどナ行に濁点を付けたように柔らかく発音する鼻濁音がよいとされています。 これがどうも好きになれません。 こちらは子供の頃父に強制されたのが原因です。 外面が良くてハイソ気取りの父が、テレビで時折見かける戦前戦後の子供歌手の発音を礼賛したため、鼻濁音は慇懃な発音というイメージができあったのでしょう。 結局私は今も力強くガギグゲゴと言っています。 思いますに、言葉は生きているので変化して当然です。 そのなかで特定の言い回しが気になるのは、それを最初に自分に言った人への印象も関係しているのでは… ユーザーID: 7721134884• ? むかごさんからレスいただきましたけれど、私が示した事例とは違うみたいですが… 私の子供(実際にはいませんが)を赤ちゃんってよんでもらえたら、それは嬉しいですよ。 仰るとおり、その方の「内」に引き込んでいただいたみたいですね。 私が気になるのは、自分の子供を他人に「赤ちゃん」と言うことです。 他人の「内」にズカズカと入り込んでいくみたいですし、公の場で「赤ちゃんのお名前は?」と聞かれても「私の赤ちゃんの名前はハナコです」とは答えないと思います。 友達のお父さんのことは(親しい度合いに応じて)「お父さん」「お父様」と言いますが、自分の父親のことを、親しくない他人に対して「お父様」「お父さん」といわないのと一緒です。 むかごさんが気にならないのでしたら、それで結構です。 >さなえさんへ(つけたしです) 仕事での挨拶、しかも窓口の場合は、どうしても「トラブルを避けたい」と保守的になってしまいます。 先にレスしましたが、誤解を避けたいと思うとああいう対応になってしまいます。 ユーザーID: 4009438171• 語尾上げ 話の相槌程度に使われていると思われる「ホントですか?」が、気になりますね。 想像ですが、学生の時に 友人達同士での相槌の「まじっすかー!?」 って言っていたのを「丁寧語」として 使っているのかなあ、と感じています。 それから、「大丈夫です」という言葉が 頻繁に使われている気がします。 お店等で「ここに置いたままで良いでしょうか?」の返事に「大丈夫です」 「これ、まだありますか?」の返事も「大丈夫です」 この「大丈夫です」って OKという意味で使っているのかな? この返事を聞くたびに 突っ込みたくなりますね。 それと、オペレータのいかにも使い慣れていない「左様でございます」。 どなたかがおっしゃった「はい、ありがとうございます」と いちいち相槌を打たれるのも 確かにしつこくてうんざりします。 こういうのも、マニュアル語なんでしょうか。 ユーザーID: 4039390028• 社内での「お疲れ様」 若者の「基本、」という言葉が気になっています。 「基本<の>」「基本<を>」など助詞を伴う使い方ではなく、「基本」で止めてしまう言い方です。 (教員をしておりますので、学生のレポートなどでも目にします) でも、だいたいそう言う(書く)ときに限って、ぜんぜん「基本」じゃなかったりするんですよね。 例に挙げたように、とっても個人的な事柄について使っているようです(言い換えるなら「普段」「通常」などでしょうか)。 それから、ヨコになりますが、しゅしゅさんのレスにもありました、「そうなんですね。 」も気になります。 「そうなんですか」だと疑っているように聞こえてしまうからなのでしょうか。 接客業の方に多い言葉遣いのように感じます。 マッサージを受けている最中に、「そうなんですねぇ」「そうなんですねぇ」を連発されたあとには、 かえって疲れが残ってしまいました。 ユーザーID: 3694073788• 30代後半の主婦です 2,3年前になりますか、初めて「就活」という言葉を聞いたか見たかしたときに、大学職員の夫(当時40歳)に 「ねぇ、今の学生って『就職活動』を『就活』って言うんだって! 」と言ったら、「だいぶ前からそう言ってるよ。 普通だよ。 知らなかったの? 」 と言われました。 その後時々夫が就活と言う単語を使いますが、私はどうも使えません。 いい大人が使う言葉じゃない!!とまで思ったりして。 若い子の「ほんとですか〜? 」も気になりますね。 「本当ですよ、うそついてどうなるの? 」と言いたくもなります。 そういえば、私が中学生の頃「うそ!」「マジ?」が流行り、母との会話で「うそ!」と言ったら、「それ嫌いよ。 うそつきみたいに言わないで」 と「マジ」に怒られました。 同じようなこと、していたんですね。 「赤ちゃん」を「ベビ」、娘を「姫」、自分の夫を「だんなさん」なども気になります。 ユーザーID: 5490324395• タメは 中学時代に漢詩の授業で『竹林館』を習ったとき、 「明月来相照」の 「〜相(ため)に照らす」 という読み下し文で初めて目にしました。 多くは「相(あい)照らす」と読むようですが、 私の中学の教科書ではそうなっていたのです。 古い日本語なのかも知れませんね。 「タメ」と音の似た言葉で「ダメ(駄目)」がありますが(強引な展開…)、 これは元々は囲碁で遣われていた言葉だと聞きました。 そのときは、だから「駄・目」なのか〜、と感心したものです。 言葉って面白いですね。 トピズレ失礼いたしました。 ユーザーID: 1747040677• ため(明月来相照) ナンプラ〜さんが引用している『竹林(竹ではなく里だと記憶しています)館』の「明月来相照」のですが、普通はご指摘のように「明月来たりてあい照らす」と読んでいますが、「あい」と読むと、「お互いに」の意味になってしまいます。 月はもちろん地上の物を照らしますが、地上の物は月を照らしませんから、「あい」はおかしいので、「相手のために」という意味で、その訓が当てられているのだと思います。 もっとも原文の中国語では六朝から唐代にかけて、「相」が互いにではなく、一方から一方への動作を表す用法があり、これはこれで問題ないのですが。 現代中国語でも、「相信」で「互いに信じあう」ではなく、「信じる」を表すように、一部その用法が残っています。 古い訓なのかどうかはわかりませんが、この場合、「…のために」の「ため」だと思うので、同級などの意味を表す「ため」(もっとも、こちらの語源は分かりませんが)とは関係ないのではないかと思います。 ユーザーID: 8896576127• 有機栽培様 まんまさんの「〜ですけれども」、筒井康隆氏が面白い考察を作品にしておられます。 私も氏とおなじくらいひねくれた解釈をしてしまって、一人で腹を立てています。 端的に言えば、その後に続く主張を察しろという無言の圧力が気になるんですよね。 はじめは流していたのが、あまりにも鬱陶しくなって 「『〜ので』、なんなんですか? 『〜ので』、どうすればいいんですか?」と突っ込んでしまいました。 「ありえない」も、使われようによってはイラッときます。 「常識か非常識かで論ずれば、ありえない」というような使い方ならまだしも、 起こってしまった現象に対して「ありえない」と言われても・・・。 実際に「ありえて」いるじゃないか、それについてはどうなんだ、と。 使う本人にしてみれば「え〜、ウソ〜」ぐらいの気分なんでしょうね。 それすらも「ウソじゃない!」と叫びだしたくなります。 ユーザーID: 8834845135• 自分であいづち エコロジーの重要性が叫ばれて久しいのですが、いまだにこの言葉に違和感を持ちます。 まず「環境」というのは自分がいて、その外界の状態を指すという相対的なものだと思います。 あくまで主観は自分であるのに「環境にやさしい」って、 結局自分にやさしい、っていうことになるのではないでしょうか。 うまく説明できません。 どなたかこの文章でわかってくださる方がいらっしゃるかしら。 あと、そこは譲って「環境」というのが「山」や「海」など絶対的な存在だとします。 でも、「環境にやさしい」って、大抵は、今までCO2をこれだけ出していたのにこの商品はこれだけで済みます、 っていう場合に使われますよね。 結局汚染してるじゃん! 今まで90dbで騒いでた隣人が70dbに抑えて「あなたの耳にやさしくしたの」 なんて言って来たらムカッとしますが。 「汚染を軽減」とかいう表現ならわかるけど・・・。 ユーザーID: 8458068296• 「〜こう〜〜こう〜」、「元気をもらう」 まだいいでしょうか… スターシップ様、お取り上げありがとうございます。 よろしければ筒井康隆さんの「ですけれども」を考察した作品名を教えてもらえますか? 読んでみたいです。 それと、また気になってしまいました。 話している途中にやたら「こう」をつけることと、「元気をもらう」という表現です。 沈黙を恐れているのか、黙りそうになると「こう」で言葉をつなぐのを聞いていると、無理しなくていいのよ、と思います。 「元気をもらう」と初めて聞いたときは、他人の生命エネルギーを吸い取るような感じがしてちょと怖かったです。 名前は思い出せませんが、誰かが「元気とは元々ある気だ」と言っていました。 私も同感です。 素敵な人に触発されてやる気が出るのは、その人にも「気」が備わっていてそれが目覚めたのだと思います。 言語学のことは疎く、まったくの感情論ですみません。 ユーザーID: 7721134884• まだ、よろしくて? 暫く見ない間に当方の発言に幾つかレスが付いていたので,出てきた次第です。 まず,"mother language"という表現は,どうも,現実には(良し悪しは別にしても)使われているようですね。 この点は全く認識不足であり,失礼致しました。 「母語」については,私は従来,西洋の言語(文)学者以外の人物が用いている場面に遭遇したことがありません。 確かに,人によっては生まれた国の公用語を話さ(せ)ない場合もあり,「母『国』語」とは別な概念として存在するという御高説も理解できないではないのですが,そうであれば,「母語」ももっと広範に使われている筈だと思われます。 この言葉が数十年前から辞書に載っているとのことですが,とすればその辺りの時代に,何処ぞの西洋崇拝者が考えついたのではないかと感じた次第です。 昔,森某とかいう御仁が「レストランで料理を注文するのによく『僕は魚だ』という。 しかしこれをフランス語に訳せば"Je suis poisson. "になる。 日本語とはかくも非科学的な言葉だ」のようなことを言ったそうですが,そんな風潮が蔓延していた頃があったのですから。 ユーザーID: 6875606942• どなたがお使いになっているのか知りませんが、「耳障り」は、「耳障りだ」という形容動詞です。 たとえば、「耳障りな話」。 名詞なら、「耳触り」。 「耳触りがいい(悪い)」。 だから、そのうち市民権を得ることはありえないのではないでしょうか。 単純なそのプロの間違いです。 ちなみに、「静かだ」は形容動詞です。 「静かな池」。 これは名詞ではありませんから、「静かがその場を支配した」とはいえません。 強いていうなら、「静か<さ>がその場を支配した」ですね。 同じように、「耳障りが」とか、「耳障りの」とかは云おうと思ってもいえません。 もっとも「耳触り」という名詞がどのようにしていつできたのかは知りません。 ひょっとしたら、耳障りの誤用に由来があるのかもしれません。 ユーザーID: 8934068305• 辞書にないのが気になる言葉 「普通に…」という言葉が嫌です。 先日、某ドーナツ店でのこと。 「ポイントカードはお持ちですか?」と言われ、持っていなかった私は、「持っていません」と答えました。 「お作りしましょうか?」との問いかけに、「それはこの場で作ることができるのか、それとも申し込みをして後日送られてくるのか」と聞きました。 後者だったら必要ないと言うつもりでした。 すると、 「普通に作れますよ」 はて、私はちょっと混乱しました。 返答に困った私に対し、「いかがいたしましょうか」とちょっとイラっとした顔で追い打ちを掛けてきました。 私はカチーン!と来てしまい、「君の言う『普通に』とは、いろいろ解釈できるわけだよ。 usuallyかね、normallyかね、regularlyかね、ordinarilyかね? 『普通に』は、少なくともこの場で作ることができるのか、後日送られてくる形で作ることができるのかの答えにはなっていないんだが」と反論しちゃいました。 内心自己嫌悪でしたが、言ってしまったものは引っ込みがつきません。 店内ではピーンと張りつめた空気が。 でも未だにこの「普通に」の誤用がダメです。 ユーザーID: 5591522716• 貸会議室担当の女性 言葉遣いというよりは、気になる単語の使い方について。 しかしながら、「常識」とは「多くの人が持つ共通の知識や認識」ですので、 「私だけの常識」というものはあり得ないはずです。 正しくは「私が常識だと 思っている知識」あるいは「私の思い込み」と言うべきだと思います。 「それは単なるあんたの妄想だろ」って。 ユーザーID: 4753986684• とりあえず答えになっているのではないでしょうか。 何も特別な作り方はしません、よそでポイントカードをつくるのと同じですといっているわけで。 その場でつくりますといっているわけです。 ポイントカードを作った経験、たいていは誰にもあるというのは思い込みかも知れませんが、知らなければ知らないといえばよかったのではないでしょうか。 そのあたりのすれ違いでしかないように思います。 ユーザーID: 8934068305• わたしは非常にすぐれた表現だと思っています。 もともとは東北地方の丁寧なもののいいかただったようですが、東北方言だったとしても立派な日本語です。 むしろそういう表現が標準語になかったとすれば、標準語の方が貧しかったわけで。 幸いなことに、標準語にも、「よろしかったら、お召し上がりになりませんか」というような優雅な表現が昔からありました。 ユーザーID: 8934068305• 上から目線 & 価値観 発言小町を見ているとやたらにこの言葉が出てきます。 まるで水戸黄門の印籠のように。 これさえ言えばことが解決するかのように。 「上から目線」・・・ なぜ普通に「えらそうに言う」「独りよがり」「押し付けがましい」 などと言えないのでしょう。 「価値観(が違う)」・・・ 「考え方の相違」「人と自分は違う」「色んな見方がある」 などという程度のことを大げさに「価値観の違いです」と言う。 相手をねじ伏せ、有無を言わさず一刀両断しているようでいて 言っているご当人の意見は何もないんですね。 とても空虚です。 双方が意見を戦わせる訓練ができてないなあと思わせる言葉です。 ユーザーID: 1618579466• そうでしょうか 「普通に」という言葉は、広い意味を持つことぐらいは分かっています。 ただ、問いかけに対してきちんとした使い方にならないことはあるのではありませんか?例えば、 「どうして遅れたの?」「普通に寝坊しました」 「おいしい?」「普通においしい」 こういった使い方はよく耳にしますが、「普通に」という言葉は果たして必要なのでしょうか。 私はいらないと思いますね。 私の経験でも、「普通に作れます」ではなく、「この場で作れます」と言って頂ければきちんと会話が成立したのではありませんか。 「普通に」という言葉は、どこか細かい描写を怠っているような感覚があります。 単にその言葉の使い方が嫌だと言ったのでは伝わらないと思って、細かい状況も説明したまで。 蛇足ですが、ポイントカードで、某コンビニで申し込んで数日後に送られてくるものを経験していました。 それに子どもを抱っこしていたので申込用紙に名前を書くのが億劫だったこともあります。 だから聞いたわけです。 別に難癖をつけようとしたわけでもありません。 ユーザーID: 5591522716• ま、この人のレスの続きはお約束の苦労話でしたが。 それがきっかけかなあ。 この言い回し、ものすごくイヤです。 ユーザーID: 2161543212• 知りませんでした。 わたしも「普通に」って、判断に困ることがあります。 でも、結構みんな使ってるんですよね。 本業以外に翻訳、通訳をやっていることと、日本には年間5分の1くらいしか滞在できないので、自分が立ち遅れているんじゃないかという心配もあって、好き嫌いに関わらず、とりあえず理解はしなきゃいけないと思ってしまいます。 「普通においしい」などの言い方も、積極的に理解しようと努めていたからか、なんとなく、ただ「おいしい」というのとは違う、それに他に代替できる言葉も見つからない、なんか微妙な語感を表しているような気がしています。 わたしの場合、こういうのはOKかな。 上に何気なく使ってしまいましたが、「微妙」とかの使い方も変わりましたよね。 「微妙」ってもともとは「妙」ですからいい意味なんですけど、今「微妙」っていったら、「なんか違う」「物足りない」みたいな感じですよね。 上記文章ではいい意味に使いました。 ユーザーID: 8896576127• 言葉オジサンに訊ねてみたいです いわゆる標準語、共通語から、「さす」が消えています。 たとえば、「諦めさす」といわないで、「あきらめさせる」(下一段)といいます。 「いわさす」といわないで、「いわせる」(五段)といいます。 上方では多分「さす」がまだ使われていると思いますが、これが消えたことが、共通語の混乱のもとではないかと思ったりもします。 さらに「いわせる」と同義の他動詞として「いわす」もあるわけで。 で、「いわす」は五段ですからその未然形「いわさ」から「いわさせる」も作れます。 非常に面倒になりますね。 この問題は他動詞の作り方とも連動しています。 「飲む」の他動詞は「飲ます」です。 これは「飲まさす」と同義ですが、「飲まさす」とはいわないで、「飲ませる」といいます。 「飲ます」=「飲ませる」ですね。 監督が役者に桃太郎の役を「やらす」とします。 「さす」を使えば「やらさす」ですが、共通語では「やらす」というかあるいは「やらせる」といいます。 さらに「やらす」に「せる」をつけると「やらさせる」が出てきます。 「やらさせる」は間違いというよりも別の言葉です。 ちなみに「おりさせる」といいますか、「おろさせる」といいますか。 ユーザーID: 8934068305• 「降りさせる」と「降ろさせる」 「降りさせる」は自動詞「降りる」の未然形「おり」に「させる」をつけたものです。 上一段ですから、「させる」をつけます。 「降りさせる」は他動詞「降ろす」と同義です。 もともとは「降りさす」といっていたはずです。 さらに「降ろす」に「させる」をつけると「降ろさせる」が出来ます。 で、「降りさせてください」ともいいますし、「降ろしてください」ともいいます。 しかし、「降ろさせてください」とはいえないでしょうか。 たとえば、「降ろさせない」というひとに対して、「降ろさせてください」といったりしないでしょうか。 「落ちる」の他動詞は「おとす(落ちさせる)」です。 だがその未然形「おとさ」に「せる」をつけて、「落とさせる」ともいわないでしょうか。 それとも「落させてください」は日本語ではないのでしょうか。 「わたしを行かせてください」だけがあって、「わたしを行かさせてください」はありえないのでしょうか。 それはとても貧しいことだとわたしには思えます。 ユーザーID: 8934068305• 「やらさせる」は間違いというよりも別の言葉です。 >> とあるんですが、「やらす」はそれ自身、使役的な意味を持った他動詞ですよね? それに更に使役の助動詞「せる」をつけるというのは、どういうことになるのでしょう? わたしの理解では、「やらす」というのは一語として扱われることもありますが、本来的には「やる」という動詞に、古典の使役の助動詞の「す」がついたもので、「やらせる」は「やる」に現代語の使役の助動詞「する」がついたものですから、「やらさせる」というのは「やる+さ(古典語の「す」の未然形)+せる」のように、使役の助動詞を同時に二つ持ってしまっていることになります。 「やらさせる」のもう一つの解釈としては、「食べさせる」のように、上下二段活用では「せる」ではなく「させる」を使うので、本来五段活用動詞である「やる」には「せる」を用いるところを、二段活用との類推から「させる」を用いてしまってたものだともいえると思います。 わたしは寧ろこちらの方が説得力があると思います。 ユーザーID: 8896576127• 出させる 「出させる」はどう読むでしょうか。 「デさせる」とも読めますし、「ダさせる」とも読めますね。 自動詞「出(デる)」に「させる」をつけると、「デさせる」ができます。 ところが、「出る」に対応して、他動詞「出(ダ)す」があります。 この未然形「出さ」に「せる」をつけると、「出(ダ)させる」が出来ます。 どちらも「させる」がついていますが、「デさせる」の「さ」は、「させる」の「さ」です。 「ダさせる」の「さ」は「出さ」の「さ」です。 「さす」を使えば、「出(デ)さす」になります。 「出(デ)させてください」ができますが、使われなくなっています。 その代わりに、「出(だ)す」ができて、「出(ダ)させてください」というわけです。 檻の中に狸がいます。 かわいそうだから、出(ダ)してやりたい。 「出(ダ)させてください」というのは間違いでしょうか。 檻の中にわたしが入れられています。 「出(ダ)させてください」といいませんか。 出(ダ)させていただければ、自分で出(デ)ますからとか。 ユーザーID: 8934068305• 食べ<さして>ください 「食べさせる」は、「食べる」の未然形に「させる」をつけたものです。 ところが、多分、西日本では「食べさしてください」ともいうのではないでしょうか。 これは、単になまって、「せ」が「し」になったのではなくて、「食べさす」の連用形を使っているわけです。 「食べさせる」=「食べさす」。 ところが、「食べさす」はサ変で活用しますから、これに「せる」をつけると「食べさせる」になります。 「食べる」に「させる」をつけたものと、「食べさす」に「せる」をつけたものの区別ができなくなります。 ここらあたりのゴチャゴチャにしかし「せる」「させる」の素性とか、「させる」の「さ」余計説の心理的背景が見え隠れしていて面白いです。 ユーザーID: 8934068305• 日頃の発言のバランスのよさに敬意を表します。 で、たしかに類推からの誤用ということもありうると思います。 それは本人に聞いてみないと解らないといいたいところですが、類推したのかどうか、本人に聞いても解らないでしょう。 わたしがいいたいことは、それ自体は誤用ではないということです。 「逃げる」は自動詞です。 下一ですから、「逃げさせる」になります。 「逃げさせる」=「逃がす」。 普通は「逃げさせる」といわないで、「逃がす」といいますね。 「逃がす」は使役を含む他動詞です。 「逃げる」=「(わたしを)逃がす」です。 その連用形を使えば、「わたしを逃がしてください」ですね。 「せる」を使って相手の許可を得たい場合、五段ですから、「わたしを逃がさせてください」になります。 結局、わたしが逃げることの許可を相手に求めているわけですが、必ずしも誤用ではないと思います。 ユーザーID: 8934068305• 邪魔だから、車を「どけさせてください」というとき、わたしが車をどけることの許可を相手に求めています。 「ごめん、車をどけるよ」といって、車をどかすわけです。 どかすことを相手にさせるときは、「車をどかしてください」といいます。 しかしわたしが車をどかすことの許可を相手に求めるときは、「どかさせてください」といいませんか。 ちなみに使役の意味を含む助動詞が二つ入っているのではありません。 そのために、他動詞がつくられるわけです。 意味上、使役が重複していることは確かですが、そういう表現が必要になる場合もあるからです。 ユーザーID: 8934068305• 「遊ばせる」と「遊ばさせる」 くどいようですが、もう少し。 きれいな庭がある。 庭に入って「遊ばせてください」と、庭の管理者に許可を求める。 「遊ぶ」という自動詞は、五段ですから、「せる」がついて「遊ばせる」になります。 しかし、「遊ぶ」に対して「遊ばす」という他動詞があります(もともとは「遊ばさす」でしょうね)。 たとえば、子どもをその庭で遊ばしたい。 そこで、「あなたの庭で、 (この子を)遊ばさせてください」と管理者に許可を求める場合もあるわけです。 この場合の「さ」は類推で誤用された「さ」ではないのではないでしょうか。 「この子」が「わたし」になっても、文法的には同じです。 「遊ぶ」=「(わたしを)遊ばす」です。 その場合、「遊ばせる」も「遊ばさせる」もほとんど意味は同じですが、これを表現する立場が違います。 いずれにせよ、「遊ばさせる」は「遊ばせる」の愚かな誤用であるという声高な批判の盛り上がりは承服しかねます。 ユーザーID: 8934068305•

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最近気になる言葉遣い

あらたまっ けん ゆう コロナ

2020年用年賀はがきのお年玉くじ抽商品引換期間(期限)は2020年1月20日(月)〜 2020年7月20日(月)まで 2020年10月20日(火)までです。 当選はがきまたは当選切手は、お近くの郵便局で引き換えてもらえます。 本人確認ができる証明書(免許証、健康保険証など)が必要です。 会社など団体あての年賀状が当選した場合は、その団体の関係者であることが確認できる証明書(健康保険証など)が必要です。 当選はがきが、余ったり書き損じなど未使用はがき(宛名が無記入)であった場合でも、交換してもらえます。 (その場合、証明書は必要ありません) 当選した年賀はがきは、郵便局で引き換えの際に当選番号部分に日付スタンプを押した後、返却してもらえます。 その他、お年玉賞品の引き換えについては、郵便局の「」をご覧ください。 年賀状の印刷時に、はがきの上下を間違えてプリンタにセットしてしまった! そんな経験のある方も多いと思います。 印刷に失敗したり、宛名を間違えて書いてしまった年賀状、あるいは使い残してしまった過去の年賀はがきが引き出しに眠っているなら、ぜひ捨てずに活用しましょう。 ・余った年賀状や書き損じ年賀状は、郵便局で所定の手数料を払えば切手や官製はがき等に交換してくれます。 (翌年の年賀状に交換してもらうことはできません) 詳しくは郵便局ホームページの「」「」をご覧ください。 ・書き損じはがきや、余ってしまった未使用の年賀はがきの寄付を募っているチャリティ団体などもたくさんあります。 「書き損じはがき 寄付」などで検索できます。 日本郵便株式会社が、令和2年用年賀はがき・切手の総発行枚数を発表しています。 2020 令和2 年用年賀はがきは、お年玉付年賀はがきが2,440,901,000枚(24億4090. 1万枚)寄附金付年賀切手が11,600,000枚で、計 2,452,501,000枚(24億5250. 1万枚)発行したとのことです。 年賀及び寄附金付年賀切手の総発行枚数確定にともなって、お年玉商品の当選本数も変更されました。 当初発行枚数 23億5000万枚 よりも実際の発行の方が多かったため、お年玉商品の当選本数も増えています。 そして令和2年用が24億4090万1000枚でした。 近年ではSNS上での年賀挨拶が増え、若者の年賀状離れも指摘される中、紙の年賀状需要の減少傾向が続いていました。 元号が変わって初めての年賀状ということで、減少率は前年に比べてやや持ち直していますが、全体的な枚数の減少はくいとめることができないようです。 年賀はがき発行枚数 前年比 平成23年用 38億2,024. 5万 - 平成24年用 36億6,577. 6万 約4%減 平成25年用 35億8,730. 3万 約2%減 平成26年用 34億1,596. 0万 約5%減 平成27年用 33億173. 2万 約3%減 平成28年用 32億167. 2万 約3%減 平成29年用 31億4207. 7万 約2%減 平成30年用 29億6526. 6万 約6%減 平成31年用 25億5929. 55万 約14%減 令和2年用 24億4090. 1万 約5%減 ||.

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