マタ し て も クロ で した。 クロマタ・ホテル (Katikies Chromata Hotel)

マタしてもクロでした 分冊版5

マタ し て も クロ で した

概要 [ ] 右目が無い、のトラ柄の猫。 クロとは旧知の仲であり、彼はキッドと呼ばれていた頃の親友だった。 クロと再会して復讐を挑むが、その理由は片目の事が起因している(彼の片目は現在クロがホルマリン漬けにして保管している)。 右目に関しては、当初はクロとの決闘の末に奪われたような描写であったが、キッド編ではグレーの敵討ちに行こうとするキッドを連れ戻そうとした際にマタタビの制止を振り切ろうとしたキッドの爪が目に当たって負傷したという不慮の事故で失ったということになっている。 一人称は「拙者」(ただし口調は特に時代がかってはいない)で、初めて喋った人間の言葉も「せっしゃ」だった(キッドの過去編では「俺」)。 名前の由来は「マタタビの木(人間でいうところの酒やタバコに近い)」を幼い頃からやっていたことからきている。 マントの下に無数の武器を隠し持っている。 切り札はすてるすブーメラン。 生身にもかかわらずサイボーグ化したクロと互角に戦えるほど強い。 器用な手先(クロ曰く「国宝級」)と猫とは思えないもの覚えの早さをもち、猫の癖に二本足で歩いたり、武器を作ったり、箸が持てたり 、一級建築士並みの大工技術を持っていたりする。 キッドと離れ離れになった後で大工の棟梁に救われた際、手先の器用さを生かして大工仕事を覚えた。 そのため、初登場時にジーサンバーサンの家を壊したのを新築しており、以来クロ達が壊す度に直しつづけている。 食欲旺盛で、クロに「ブタタビ」と呼ばれるほど太ってしまったことがあり、食べるときは行儀が悪く遠慮も皆無で、マーくんの母親には「世の中にはこんな下品なものが存在するのね」と半ば皮肉られていた。 クロに言わせれば「世界一快楽に溺れやすい猫」であり、食に留まらず、基本的に自制心がない。 堕落した生活を避ける一方で、厄介事から距離を置こうとする傾向が強く、中盤以降は問題解決に向かうクロ達に「おう、いってこい」などと押し付けて怠けようとする場面が多々見られた(その度に粛清されている)。 フジ井家に居着いて以降の自分の堕落に嫌気が指したこともあったが、修行をするつもりが結局快楽に溺れ、決別に成功したことはない。 原作最終話では、ジーサンバーサンの膝の上で堂々と寛ぐまでになっていた。 子どもの頃は陽気でイタズラ好きな性格だったが、現在はクールな一匹狼の様相が濃い(言葉遣いも影響している)。 言葉の学習元が時代劇だったためか、横文字の知識にムラがあるらしく、後半になってもダンクが「アフリカに帰る」と文字を出した際は「あふりか……ってなんだ? 」と疑問を示していた。 さらにサイボーグと言う物も理解していなかった。 また、「『た(だ)』が2つ並んだ場合、1つ多く書いてしまう」という奇癖を持っており、例として、自分の名前を「マタタタビ」、「いただく」を「いたただく」と誤記してしまう。 サイボーグに対してはシビアな考えを持っているのか、どんなに死に掛けても生身で通すことを宣言している。 風来坊をイメージしたような、他のクロやミーとは違った渋いデザインと、その極端に二面性の強い性格からか読者人気は高めで、アニメでロミオがネタにしていた人気投票においてもクロやミーに負けない人気を見せていた。 アニメ版では出番が少ない。 なお、額の傷は棟梁の下にいた時点においてもついておらず、ゴローに対し「負け犬の傷だな……? 」「男の傷は正面から負え! 」と言っている事から、何らかの勝負に負けた結果についたものと考えられるが、最終回まで明かされることはなかった。 ナナの事をやや煙たがっている節があり、その他の女性キャラに関してもストイックでジーさんやバーさんがイチャついているときも不快な顔をするなどミソジニー主義者とも言える描写がある。 武器 [ ] この節のが望まれています。 一部を除いて、単行本等で取り出していたものを、特に解説せず列挙していく。 基本的に物理的なものが豊富であり、飛び道具や火薬は子ども時代以外あまり使っていない。 武装のほぼ全てをマントの下に隠し持っており、クロに「何を隠し持ってるかわかったもんじゃない」と言わしめた。 すてるすブーメラン なんでも真っ二つにしてしまうマタタビの切り札の武器。 普段はマントの中に隠し持っている。 どう投げても戻ってくる。 また、投げるだけでなく近接用武器としても使用する。 手で持つほうには布を巻いてあり、真ん中にはマタタビの似顔絵が描いてある。 切り札であるため一つしか持っていないはずが、アニメでは話によっては大量に所持していた。 また、爆薬をまきつける(原作)、ジェットエンジンを取り付ける(アニメオリジナル)という応用的使い方もある。 初登場時には、上空を飛行していたジャンボ機やヘリを片っ端から裁断するという恐るべき切れ味を見せたが、後にゴッチと戦闘したときには、腕の装備した鉄板に刺さるに留まるなど、切れ味にムラがある(このときは上述の通り爆薬を巻きつけて使用していたため、故意に切れ味を悪くした可能性もある)。 作中の時系列では、野良猫時代シマの廃工場街が炎上した後の旅の途中、クロの想い犬を殺した野良犬たちとの戦闘で初めて姿を見せている。 廃材ブーメラン 廃材の中にあったL字金具をブーメランとして使ったもの。 当初雑誌で「プロトタイプのすてるすブーメラン」といったような紹介もされていたが、後に「それ以前に現在のすてるすブーメランの完成型を使っている」と作者が明言し、上述の通り後に登場した。 マタタビが初登場のときに使った武器。 音はガトリング並に重い。 箸 厳密には武器ではないが、マタタビの器用さを表現するためによく使われる。 野良猫時代に既に使用をマスターしており、グレー達から「化け猫」と呼ばれる所以となっていた。 現在では食事に留まらない用途に用いられており、クロの銃弾を掴みとめたこともある。 ボーガン マタタビの手作り。 野良猫時代にカラス達との戦いで初登場。 火薬つきのものとそうでないものがある。 大量に生産され野良猫たちにも支給されたが、指で引き金を引き金を引くという動作は普通の野良猫にできるわけもなく、工夫が必要だった。 爆弾 野良猫時代のマタタビのとっておきの切り札。 その他の武器 鉈、クナイ、槍、モーニングスター、斧、手裏剣、鎌、トンカチ、ブロードソード、鎖鎌、メリケンサック、ノコギリ、ヌンチャク、ドス、包丁など。 人物関係 [ ] この節のが望まれています。 周りでは唯一彼のことを「キッド」と呼ぶ。 一度だけ「クロ」と呼んだこともある(アニメでは複数ある)。 現在でもれっきとした「親友」であることに変わりはないが、右目の敵であることにも変わりはない。 大工の棟梁 ドッチとの抗争の後で出会った中で、2人目の恩人。 出会った時点での年齢は80歳。 元々器用だったとはいえ猫であるマタタビが、非常に高い大工の腕を持っているのは、この棟梁が一通りの技術を教え込んでくれたためであり、マタタビにとっては師匠に当たる。 最初は、マタタビの失敗によって怪我もしていたものの、広い心でそれを許してくれたほどに器が大きい。 しかし一方で、マタタビが喋ることに驚いて失禁するほどに肝が小さい。 クロと再会した時に自分はどうすればいいのか悩んでいたマタタビに、道を指し示してくれた人物。 バリエーション [ ] ブタタビ マーくんの家にいた際、あまりにも暴飲暴食を続けたため太ってしまった際の姿。 まるで太ったペルシャネコのようになってしまっている。 その愛らしさが人気となり、テレビ出演も果たした。 普段マタタビの目付きは常に鋭いが、この時だけはクロ同様丸い目がデフォルトになっていた。 戦闘力はそれほど鈍ってはいなかった様子。 デビルマタタビ デビルに乗り移られたマタタビ。 ゲームでは普段のマタタビとは思えない壮絶な変化を遂げていたが、アニメでは羽が生えたこと、巨大化したこと以外は変化がなかった。 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] []• 本人のホームページで、台詞の一部分を聞くことが出来る。 これはサンプルボイス用に取ったものである。 以上の行動から、野良猫のコミュニティに居た頃は仲間から陰で化け猫扱いされていた。

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アカマタ・クロマタ|世界大百科事典・日本大百科全書

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ホロマタがあるイメルヴィグリのすぐ隣町フィロステファニにある「サンロックス」に滞在していましたが、同じホテルグループであるこちらでディナーをすることにしました。 ディナーが目的ですが、多くの雑誌にも取り上げられているホロマタを見てみたいというのもありました。 「サンロックス」からはバギーで10分もかからないのですが、イメロヴィグリに着いてからが分かりにくかった。 ホテルスタッフと待ち合わせをしていたのだけど、なかなか会えなかった。 ホテルはどこも同じような造りで、そこまで差はありません。 インフィニティプールは素敵でした。 けど、チラっと見えた部屋の前のジャグジーが置き型簡易版って感じで、そこにホテルのランクを知れたなぁ。 レセプションも開放的ですが、素朴って感じもします。 同じホテルグループであれば、カティキエス>サンロックス>ホロマタという順でラグジュアリーな印象を受けました。 ただどこも一様にレベルは高いと思われるので、快適に過ごせるでしょう。 あとは立地で選んでもいいかもしれません。 ホロマタが面する道路(崖沿い)にはいくつもタベルナが並び賑わっています。 けど、イアやフィラほど観光地化されてもいません。 滞在中に行ったレストランの中で最高だった「ラ メゾン」もすぐ近くにあります。 ディナーは、たった3テーブルしかない小ぢんまりとしたダイニングで、落ち着いて食べられました。 どの料理も手が込んでいてレベルが高いです。 サービスもイケメンスタッフが丁寧で、持ってくる時にちょっと海老の盛り付けが倒れただけで、あとでお詫びのシャンパンをサービスしてくれたり。 デザートが3連発で出てきたのも驚きました。 Dear reviewers, Thank you so much for taking time to review your dinner experience at Chroma Up Style Restaurant. We appreciate your kind wards regarding the quality of the food and the intimate atmosphere. We are looking forward to your next visit, in either of our hotels no matter if it will be for leisure or just to dine in one of our signature restaurants. このホテルは2回泊まりました。 一度目は自分で予約して。 2度目はサントリーニ島からアテネへ戻らなければならなかったのに強風で飛行機が飛ばず、サントリーニ島ステイになり、前日泊まったカティキエスの手配でこのホテルに泊まる事になりました。 到着が既に夜の10時を過ぎてグッタリしてましたが、部屋に入ったらテンション上がりまくりです。 壁はベビーピンク、素敵な柄のベッドカバーは部屋のアクセントになっているアンティーク調の椅子の座面とお揃いになってました。 天井からぶら下がる黒いアイアンのシャンデリア、ガラスのカッティングが綺麗な大きな鏡、置いてある物、飾られている物に一々ワクワクしてしまいます。 極めつけはそのベッドルームに仕切りもなくいきなり存在する洞窟プール。 何もかもが夢のようでした。 プールは水が冷た過ぎて入れませんでしたが、部屋を暗くしてプールをライトアップさせると、水面の波紋が天井にゆらゆら反射してそれは幻想的でした。 前回泊まった部屋はあまり印象に残らなかったのですが、今回の部屋はまた泊まりたいです。 私と彼女は、この9月にChromataで素晴らしい3晩を過ごしました。 すごい滞在を完璧にまとめています。 チェックインからチェックアウトまで、最高でした。 それは息をのむような景色を眺めながら丘の側に直接刻まれた部屋を持つ美しいブティックホテルです。 一見、プールとダイニングエリアは小さいように見えますが、16か所ほどのヴィラしかないことに気づきます。 このホテルの本当の「宝石」は五つ星のスタッフで、お客様のあらゆる要望にお応えし、起こりうるあらゆる問題の解決策を見つけます。 私が愛していたことの1つは、島のどこからでもフロントデスクに接続できるリゾート携帯電話を提供してくれたことです。 次に、スタッフは私たちのために非常に多くの素晴らしい手配をしました。 タクシーサービス?小切手。 ワイナリーの土壇場ツアー?小切手。 非常に人気のあるレストランの直前予約? ?チェック、チェック。 ビーチタイム?彼らは運転手を予約しただけでなく、オーシャンフロントラウンジのソファ、傘、おいしい飲み物を予約してくれました。 最終日は非常に早いフライトでしたので、ホテルは早朝(午前5時など)の軽い朝食を用意しました。 フロントスタッフの名前を覚えていればいいのにと思います。 私が与える唯一の警告は、階段がたくさんあり、階段が急になる可能性があるということです。 そのため、ここは、移動に問題があり、階段をうまくナビゲートできない人が泊まる場所ではないかもしれません。

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memo:八重山の仮面来訪神「アカマタ・クロマタ」と秘密結社|hondaso|note

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秘祭の背景 「秘祭の背景」 -禁忌の向こう側- 「アカマタ・クロマタ」 八重山の特定の地域で、プールィ(豊年祭)に出現する仮面仮装の人神( man-god )。 海の彼方のニーラスク(ニライ・カナイ)から訪れて、稲の豊作をもたらす遠来神として神格化されている。 1959年 昭和34年 現在、西表島古見をはじめとして小浜島、石垣島の宮良、新城島の上地島と下地島に分布している。 西表島の高那や野原にも分布していたが、マラリアのために廃村となり今は行われていない。 古見においては、クロ・シロ・アカの3神、小浜・宮良においてはアカ・クロの2神、上地島においてはアカ・クロの親子4神が出現する。 【沖縄大百科事典」より抜粋・編集】 南方系の意匠を思わせる面。 「アカマタ・クロマタ」 八重山の数ある神事の中でも、最も特異で謎めいているこの神事は今でも「撮影禁止」・「写生禁止」・「録音禁止」のため、詳細を知ることはできない。 「この行事はどの村でもまったくの秘密であって、特に神々出御の行事は、島民以外は絶対に立ち入ることができない。 このタブーを犯して島人とトラブルを起こした例は決して少なくない」 【「八重山の人頭税」大浜信賢著より抜粋】 それでもNETで探すと新城島での見聞記が掲載されていた。 活字では「日本のいちばん南にあるぜいたく」 楠山忠之著 ぐらいであろうか。 この「アカマタ・クロマタ」はなぜ、「秘祭」なのだろうか。 「神高い儀式ゆえに禁忌(タブー)となっている」 なるほど、そうであろう。 神事はその共同体にとって重要性を増せば増すほど神秘性が高くなってゆく。 ここからは雑話である。 私は、「神高き故の禁忌」以外に、もうひとつ神事を知られてはいけない理由があったと思っている。 その理由。 それは・・・ 「アカマタ・クロマタは禁じられた神事だったから」 (新城島 海岸より) 一,古見・小浜・高那三ヶ村之儀、ほふり祭之時あかまた・黒また与て両人異様之支度ニ而神之真似抔いたし不宜風俗有之由候間、向後可召留事。 古見・小浜・高那の三か村では、豊年祭の時にアカマタ・クロマタといって二人が異様ないでたちで神の真似などする。 良くない風習なので今後はやめること 西暦1768年。 今から236年前。 首里王府から派遣された『検使』 行政監察官 である「与世山親方」は、宮古諸島・八重山諸島の巡察行い、見聞した行政上の問題点を改めるための指示を布達した。 これが「与世山親方八重山島規模帳」 「規模」とは「行政規範」と訳される である。 上記の「アカマタ・クロマタ」禁令はこの「規模帳」に記載されている。 その他、禁止または儀礼縮小を命じられているのは 1. 「マユンガナシ」の禁止。 今でも石垣島川平でおこなわれている来訪神を迎える神事。 「アカマタ・クロマタ」と近似した仮装神が現れる 2. 「種子取祝い」の縮小。 八重山の広範囲で行われている「種子取祭」の事か 3. 立願・結願の集まりの縮小。 これも現在の結願祭と思われる などがあり、果ては 「男女の縁のあるもの同士が集まって酒、肴盛り合わせなどつくり、磯部にいって遊ぶこと」も「風俗の乱れあり」との事から禁止されている。 禁止・縮小の理由は「無用な祝いや神事による労力・財力の浪費を防ぐため」とされているが、「アカマタ・クロマタ」・「マユンガナシ」の禁止だけは宗教統制の色合いが濃いものだと思われる。 首里王府は聞得大君 きこえおおきみ を最高神女 これには王妃・王女・王母が就いた とした「国家宗教」を統治の柱に据えていた。 それ故、その外側にある土俗的な神事は有無も言わさず禁止の対象になったのであろう。 (新城島 埠頭からの海) 私は、この禁令以前は「アカマタ・クロマタ」・「マユンガナシ」ともに開放的に行われていたのではないかと憶測している。 しかし、禁令により神事は違法となった。 この時点から「アカマタ・クロマタ」は秘祭化していったのではないか・・・。 神事を支える人々も特別な入団儀式を受け、「神事に関しては口外せず」と盟約させられる点なども「神事を行っている事を知られてはならない 八重山の官吏達に 」という意図の元に定められたのではないか・・・。 長年つづけて来た多くの祝い・神事を禁止され、島人達は何を思ったであろう。 きっと「美御前 国王美称 の命令だからしかたがない」と思う反面、「何か大きな禍 わざわい が降りかからねばよいが」という不安が人々の心の中を満たしていったのではないだろうか。 布達から3年後。 島人達の不安は的中する。 大禍はニライ・カナイの海からやって来た。 西暦1771年 『明和大津波』来襲。 (新城島 上空より) 先島諸島に襲いかかった巨大な波濤は住居、田畑、そして多くの人々の命を海原の果てへと連れ去った。 八重山では2万8896人のうち9313人が死亡行方不明。 海岸近くの村々の多くは波に洗われて、ただの荒地と化した。 「村所跡形不残被引崩石原ニ成」 【「村は跡形もなく引き崩され石原になってしまった」(大波之時各村之形行書)より】 未曾有の大災害に混乱する中、琉球王府は半ば強引に村々の再建を進める。 石垣島宮良で行われている「アカマタ・クロマタ」は、この時の小浜島からの強制移住者達がもたらしたものだと言われている。 荒廃した土地と食料不足による飢餓、伝染病、そして強いられた移住地での新たな生活。 人々の心は動揺を極めたのであろう。 ついに王府はある決定を下す。 『両先島は昔から老若男女が時節ごとに祈願や祭事を行い、野原や浜辺に出て遊び事などがあったが、乾隆三十二亥年(西暦1767年)王府より御検使を遣わさた時に禁止された。 しかし百姓たちは皆同じように普段苦労して働いている者であり、右の行事のような昔からのものを禁止されてはかえって張り合いをなくし、農業などの励みにもならない。 そのうえ、昔からの旧俗をとめられたことが村人の不安の種になっており、今回からすべて昔どおりに行って良いと仰せ付けられたので、祈願ごとや祭事、遊び事など従来どおりに執り行い、農務やそれぞれの仕事にもなお精を出して働くように申し渡すようにとのお指図である。 丑(西暦1793年)八月 天願親雲上 具志川親方 八重山在番』 【「御手形写抜書」(乾隆三十六年(1771)〜道光十年(1830))より抜粋】 「与世山親方八重山島規模帳」布達から26年、すべての禁令がこの一文にて解かれた。 だが、この解禁令をそのままに受け取れない人々もいた…と思う。 それは「アカマタ・クロマタ」を執り行う人々だったのではないだろうか。 前記したように琉球王府の宗教政策はそのまま統治政策と表裏一体である。 26年の弾圧の日々が「アカマタ・クロマタ」を執り行う人々の心の中に 「神事はこのまま秘すべし」 と決心させたのではないだろうか…。 そして、封印された祭りは「秘祭」として営々と続き現在に至った…。 これが私の想う「秘祭の背景」である。 あくまで、想像の域を出ない雑話だが…いかがなものであろうか。 (新城島 神が帰る道) 「アカマタ」・「クロマタ」 祭の終わり、神々が森へと帰る道端で、人々がその姿を見送る。 そして 人々は送りながら、とめどなく涙を流すのだという。 願わくば 私も人々の群れに混じり、「アカマタ」・「クロマタ」を…。 数百年間人々の心に宿り続けた神を…。 涙と共に見送りたいと思っている。 2004年4月25日 掲載.

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