大田邦良 コラ。 〝アイドルアニメはアイドルよりもファンの描写が気になってしまう〟タイプのオタクが選ぶファン描写がヤバかったアニメ

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大田邦良 コラ

皆さんアイドルアニメって好きですか? 僕はそこまででもないです。 自分が誰か他人に対して熱狂的になったり好きになったりできない性格なので、楽しみ方がよくわからなかったりします。 ですがそんなことを言いつつ、ときどきめちゃめちゃ好きになるアイドルアニメがあることに気づきました。 共通点を探ってみたところ、どうも僕は「アイドルよりもそのファンたち」の描写に心を掴まれてるオタクらしいのです。 自分がなにかに熱狂できないからこそ、そんな熱狂を見せてくれる名もなき彼ら彼女らに感銘し、その感情をすることでアイドルのこともまた好きになっていくわけなのです。 考えてみればアイドルという存在を描く上で、アイドルをアイドルたらしめる不安の存在は置き去りにできません。 バーフバリ王が民からの信頼と忠誠を集めるからこそ王であるのと同じです。 そんなわけで、この癖(へき)に気づいたきっかけである「このアイドルアニメのファン描写がヤバイ!」という作品をご紹介してみます。 『プリパラ』ガーディアン定子 最初にご紹介するのは4年余りもの間、人気シリーズとして放映された女児向けアイドルアニメ『プリパラ』のガーディアン定子さんです。 彼女はメインキャターである大人気アイドル北条そふぃの親衛隊の一人として登場します。 本作の主人公である真中らぁらはソロのアイドルとして活動するそふぃさんを「自分のチームに入って欲しい」と決意して引き込もうとしますが、 身勝手な理由でそふぃ様に近づこうとするらぁらを、定子たち親衛隊は「ガーディアンシフト」のかけ声とともにを作って阻むというのが恒例の流れになっていました。 一方、そふぃはマネージャーの無茶な要求によって疲弊しており、今のままソロ活動を続けるのが本人のためにならないと親衛隊たちも気づいています。 親衛隊たちは「孤高の存在として活動を続けて欲しい」という思いから、らぁらの勧誘行為を阻み続けます。 そして問題のプリパラ第12話、1クール目の締めくくりとなる回。 らぁらが実力行使でそふぃをマネージャーの手から解放しようとすると、親衛隊たちは立ち上がり、それまでらぁらを阻むために発動してきた「ガーディアンシフト」のかけ声を、らぁらの逃走を手助けするために発動します。 あ、思い出したら泣けてきたので五分ほど待ってください・・・。 プリパラのオタクはこのシーン、思い出すだけで泣いてしまうと思います。 解説だけだと伝わらないと思うので、まだ見てない方はぜひご覧になってみてください。 親衛隊に守られるそふぃ様にとって、マネージャーも親衛隊の彼女らも「現状のままでいろ」と彼女を閉じ込める檻のような存在でした。 これは脱出の手助けをしてくれた親衛隊に対してそふぃが「あなたたちはマネージャーの味方じゃなかったの?」と聞いていることからもうかがい知れます。 しかし定子は「そふぃ様にとってどちらが幸せなのかと迷ったときもありましたが目が覚めました」と答えて、彼女を送り出すのです。 現実にもアイドルが「新しいことに挑戦したい」と言って、これまでと方針を変えたり、事務所を辞めてしまうことはよくある話だと思います。 ファンもまたそんなアイドルに対して「今のまま理想のアイドルで居続けてほしい」と、彼ら彼女らの行く手を阻んでしまうことはよくある話です。 しかしガーディアン定子というキャターは、「推しの幸せを思って送り出す」という素晴らしいファンのあり方を私たちに見せてくれたのです。 物語の役割として重要であるとともに、アイドルにとってファンの存在がいかに大切かを伝える役割を持ったキャターとして紹介させていただきました。 『』富井大樹 次にご紹介するのはガーディアン定子のような準レギュラーキャラとしてのファンと打って変わって、レギュラーであるメインキャラの一人がファンというパターンをご紹介します。 『』という作品はそもそも、ファンとアイドルの適切な距離感や、ファンにとってどんな存在であるべきかを徹底して追求してくる、リアルなアイドルの描き方をしています。 この作品におけるファンは「身勝手に自分の理想をアイドルに押しつけてくる存在」であり、なおかつアイドルは「その理想を命がけで体現する生贄」として表現しています(個人の見解です) とは5人の男の子からなる駆け出しのアイドルグループですが、劇中にはその初代となる『』が存在し、主人公の彼らは2代目を襲名する形でデビューします。 その中の一人に富井大樹、愛称トミーというキャターが居ますが、彼は初代の大ファンで、「自分も憧れの初代みたいになるんだ」と目を輝かせて活動を開始します。 しかしアイドル活動の中で、自分が思い描く理想の姿と、その理想と一致しきれない自分とのギャップに悩み、苦しむことになります。 普通の美少女アイドルアニメでもメインキャラに「アイドルオタク」という設定のキャターが出てくることはありますが、それは「ファンの心理をつかむのが得意」みたいな長所として描かれる場合が多いです。 トミー場合も確かにファン心理の理解が得意なのですが、むしろ「その心理を理解しているからこそ、それに一致しない自分とのギャップに悩む」というハードルとして描かれていたのが印象的でした。 自分もこの作品を最初に見始めたとき、彼の存在があったからこそ、「このアニメは普通のアイドルアニメとは何かが違うな」と気づくきっかけにもなったという意味で印象的なキャターでした。 『』カケルくんと握手した女 更に続けての話をしますが、今度はこれまでの名有りキャラとは打って変わって たった1話しか登場しない名前もないモブキャラのファンです。 彼女が登場するのは第16話「本物の握手」という回です。 この回でのメンバーたちは握手会イベントを行いますが、変則的なルールとして「町中を歩いているメンバーにばったり会えたら握手できる」というゲリライベントとして開催します。 このときイベントを主催した事務所のシャチョウは「24時間アイドルでいるように」とヒントだか何だかよくわからないアドをかけます。 メンバーたちは「俺は普段こんな店には行かないんだけど、ファンは「こういう店に居てほしい」と思ってるだろうな」と考えながら街を歩き、そこには案の定ファンが待ち構えている・・・という形でストーリーは進みます。 先ほども書いた通り、ファンはいつだって身勝手な理想を求めてくる存在として描かれているのです。 イベントの終盤、主人公である風見颯(16歳)は、一人のファンの女の子に出会います。 その女の子は「颯くんと握手したくて一日中探し回っていた」と話し、心から嬉しそうに彼との握手を果たします。 ここまでなら普通の感動的なアイドルアニメなんですが、というアニメがヤベーのはここからです。 そのファンの女は、憧れの颯くんに対してこんな言葉を投げかけます。 「カケルくん。 握手できないぐらいになってください。 武道館とか、ドームとか、なんか、すっごくすっごく大きなところでお客さんをいっぱいにしてるが……カケルくんが見たいです。 そしたら今日のこの握手が、もっともっと宝物になるから」 マジでヤベーなこの女!!! 丸一日歩き回ってやっとの思いで推しのアイドルを見つけて、念願の握手をできた矢先にこのセリフですよ。 確かにアイドルを応援するファンにとって、アイドルとどんな距離感で居たいかは難しい問題だと思います。 街を歩いていたら普通に見かけるような存在であっては嫌ですし、ばったり会ったとき理想とは全然違う姿をしていたら幻滅です。 本当は毎日会って握手をしてお喋りできたらと思う一方、日常とかけ離れた特別な存在でも居て欲しいものです。 皆のもので居て欲しいと思う一方、自分一人のものでも会って欲しいものです。 そんな矛盾した身勝手なファンの感情が、このファンの言葉と行動に集約されていると思います。 あなたは自分の憧れの人物に会ったとき「こんな簡単に会えなくなってほしい」なんて言えるでしょうか? 僕は無理だと思います。 放映後、視聴者たちは「推しにこんなこと言えるわけねえだろ・・・」「こんな圧倒的に正しいファンになれるわけねえよ・・・」と心をえぐられたオタクたちで死屍累々になっていました。 しかもこんなに凄いセリフを放ってくるキャラが、たった1話限りの名前もないただのモブファンってところが益々ヤバイと思います。 この作品に出てくるファンたちは、生まれたときから自分がファンになる存在であることを宿命づけられて生まれてきたんじゃないかってぐらいファンの才能がありすぎる・・・。 『』大田邦良 本エントリーの最後を飾るのはこいつです。 皆さんはや画像板を見ていて〝めちゃめちゃ汚い顔で号泣するデブでメガネのを持ったオタク〟の画像を見たことないでしょうか? 「この汚いオタクよく見かけるけど、どんなアニメのどのシーンか知らないなあ」って人は多いと思いますが、彼こそがこの太田氏なのです。 『』はここまで上げたアイドルアニメの中でもわりと出来が良くない方のアニメで、全話見ておきながら正直あまりオススメする類いのものではないと思っています。 しかし、この作画もアイドルも曲もダンスもストーリーもへっぽこなアニメにおいて、唯一評価できると感じたのがこの汚いオタクの画像の人こと太田氏です。 そもそも太田氏というキャターはメインキャラみたいな顔をしていますが、話の本筋には全く絡まない〝名前のついたモブキャラ〟といった立ち位置です。 第1話でライブをするWUGのメンバーの中に、人気アイドルグループを脱退した島田 真夢の姿を見つけ、それ以来WUGのファンを始めます。 あらゆる現場に駆けつけ、大きめのイベントになれば仲間を招集して法被や団扇を自作し、献身的に彼女たちの姿を追いかけ続けます。 太田氏は担当声優であるの怪演も手伝い、オタクらしいキモイしゃべり方でキモイファンのリアルを画面に焼き付け続けます。 おそらく視聴者の大半は「なんでアイドルアニメなのにキモイオタクの姿を見せられなきゃいけないんだ」って感じていたと思います。 実際、この作品の監督は露悪的な考えから「お前らアイドルオタクのリアルな姿を見せつけてやる!」みたいな気持ちで彼を登場させてたんじゃないかと疑っています。 しかしWUG1期の終盤、大舞台に立つアイドルの現場に駆けつけた太田氏は全力で応援をやりきり、最後にはあの有名な大号泣のシーンを見せつけます。 ぶっちゃけ肝心のライブシーンは作画が力尽きててかなり微妙だったので、 なぜか号泣する太田氏の方がアイドルよりも作画が良いという怪現象まで巻き起こしています。 そんなネタみたいな存在でありながら、作中の彼の活躍はとても真摯で、ひたむきで、見返りを求めず、愚直にアイドルを応援し続ける素晴らしいオタクの姿そのものでした。 しかも驚くべきことに、これだけ長い時間画面に登場しておきながら、メインキャターであるWUGのメンバーたちのドラマに太田氏は全く介在していません。 「いつも応援ありがとうございます」とファンの一人として握手ぐらいはできたでしょうが、せいぜいその程度です。 太田氏の人生にとってWUGの存在はかけがえの無い大きな存在である一方、WUGのメンバー達にとって太田氏という存在は単なるファンの一人でしかないのです。 両者のドラマは交差しているようでいて、ただ一方的な献身でしかないのです。 視聴者として「こんなに頑張って応援してるんだから報われてほしい」と思ってしまう一方、むしろ「現実のファンという存在は普通こういうものだ」という現実を突きつけてもいます。 太田氏は確かに見かけのキモいファンですが、もっとキモいファンは現実にたくさんいます。 アイドルにしてしまう人、認知してもらおうとで痛い絡み方をしてしまう人、プライベートに踏み込んでしまう人、あまつさえ危害を加えてしまう人。 彼らは「応援するアイドルに何か返して欲しい」と見返りを求めてしまったばかりに、ファンでは居られなくなってしまった存在なのです。 しかし太田氏の姿はどうでしょう。 見返りなど求めず、ただアイドル達が大舞台で成功したことに心から感動して号泣し、それだけで満たされているのです。 彼はもしWUGが握手できないぐらい遠い存在になった日には、ただ満足そうに微笑むのみでしょう。 『』というアニメはアイドルの成長物語として見れば平凡か、ややそれを下回るぐらいの完成度というのが正直なところです。 しかしこの作品を「太田邦良というファンの献身のドキュメント」として見返すと、ここまで目を背けたるほど克明にファンの姿を描いたアニメは他になく、彼の存在をもってこの作品を非凡なモノにしています。 作品本編が語られなくとも、彼の画像や姿だけが「ファンという存在を表す象徴(イコン)」として今もネットに残り続けているのは、なんだか納得できてしまいますね。

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大田邦良 コラ

皆さんアイドルアニメって好きですか? 僕はそこまででもないです。 自分が誰か他人に対して熱狂的になったり好きになったりできない性格なので、楽しみ方がよくわからなかったりします。 ですがそんなことを言いつつ、ときどきめちゃめちゃ好きになるアイドルアニメがあることに気づきました。 共通点を探ってみたところ、どうも僕は「アイドルよりもそのファンたち」の描写に心を掴まれてるオタクらしいのです。 自分がなにかに熱狂できないからこそ、そんな熱狂を見せてくれる名もなき彼ら彼女らに感銘し、その感情をすることでアイドルのこともまた好きになっていくわけなのです。 考えてみればアイドルという存在を描く上で、アイドルをアイドルたらしめる不安の存在は置き去りにできません。 バーフバリ王が民からの信頼と忠誠を集めるからこそ王であるのと同じです。 そんなわけで、この癖(へき)に気づいたきっかけである「このアイドルアニメのファン描写がヤバイ!」という作品をご紹介してみます。 『プリパラ』ガーディアン定子 最初にご紹介するのは4年余りもの間、人気シリーズとして放映された女児向けアイドルアニメ『プリパラ』のガーディアン定子さんです。 彼女はメインキャターである大人気アイドル北条そふぃの親衛隊の一人として登場します。 本作の主人公である真中らぁらはソロのアイドルとして活動するそふぃさんを「自分のチームに入って欲しい」と決意して引き込もうとしますが、 身勝手な理由でそふぃ様に近づこうとするらぁらを、定子たち親衛隊は「ガーディアンシフト」のかけ声とともにを作って阻むというのが恒例の流れになっていました。 一方、そふぃはマネージャーの無茶な要求によって疲弊しており、今のままソロ活動を続けるのが本人のためにならないと親衛隊たちも気づいています。 親衛隊たちは「孤高の存在として活動を続けて欲しい」という思いから、らぁらの勧誘行為を阻み続けます。 そして問題のプリパラ第12話、1クール目の締めくくりとなる回。 らぁらが実力行使でそふぃをマネージャーの手から解放しようとすると、親衛隊たちは立ち上がり、それまでらぁらを阻むために発動してきた「ガーディアンシフト」のかけ声を、らぁらの逃走を手助けするために発動します。 あ、思い出したら泣けてきたので五分ほど待ってください・・・。 プリパラのオタクはこのシーン、思い出すだけで泣いてしまうと思います。 解説だけだと伝わらないと思うので、まだ見てない方はぜひご覧になってみてください。 親衛隊に守られるそふぃ様にとって、マネージャーも親衛隊の彼女らも「現状のままでいろ」と彼女を閉じ込める檻のような存在でした。 これは脱出の手助けをしてくれた親衛隊に対してそふぃが「あなたたちはマネージャーの味方じゃなかったの?」と聞いていることからもうかがい知れます。 しかし定子は「そふぃ様にとってどちらが幸せなのかと迷ったときもありましたが目が覚めました」と答えて、彼女を送り出すのです。 現実にもアイドルが「新しいことに挑戦したい」と言って、これまでと方針を変えたり、事務所を辞めてしまうことはよくある話だと思います。 ファンもまたそんなアイドルに対して「今のまま理想のアイドルで居続けてほしい」と、彼ら彼女らの行く手を阻んでしまうことはよくある話です。 しかしガーディアン定子というキャターは、「推しの幸せを思って送り出す」という素晴らしいファンのあり方を私たちに見せてくれたのです。 物語の役割として重要であるとともに、アイドルにとってファンの存在がいかに大切かを伝える役割を持ったキャターとして紹介させていただきました。 『』富井大樹 次にご紹介するのはガーディアン定子のような準レギュラーキャラとしてのファンと打って変わって、レギュラーであるメインキャラの一人がファンというパターンをご紹介します。 『』という作品はそもそも、ファンとアイドルの適切な距離感や、ファンにとってどんな存在であるべきかを徹底して追求してくる、リアルなアイドルの描き方をしています。 この作品におけるファンは「身勝手に自分の理想をアイドルに押しつけてくる存在」であり、なおかつアイドルは「その理想を命がけで体現する生贄」として表現しています(個人の見解です) とは5人の男の子からなる駆け出しのアイドルグループですが、劇中にはその初代となる『』が存在し、主人公の彼らは2代目を襲名する形でデビューします。 その中の一人に富井大樹、愛称トミーというキャターが居ますが、彼は初代の大ファンで、「自分も憧れの初代みたいになるんだ」と目を輝かせて活動を開始します。 しかしアイドル活動の中で、自分が思い描く理想の姿と、その理想と一致しきれない自分とのギャップに悩み、苦しむことになります。 普通の美少女アイドルアニメでもメインキャラに「アイドルオタク」という設定のキャターが出てくることはありますが、それは「ファンの心理をつかむのが得意」みたいな長所として描かれる場合が多いです。 トミー場合も確かにファン心理の理解が得意なのですが、むしろ「その心理を理解しているからこそ、それに一致しない自分とのギャップに悩む」というハードルとして描かれていたのが印象的でした。 自分もこの作品を最初に見始めたとき、彼の存在があったからこそ、「このアニメは普通のアイドルアニメとは何かが違うな」と気づくきっかけにもなったという意味で印象的なキャターでした。 『』カケルくんと握手した女 更に続けての話をしますが、今度はこれまでの名有りキャラとは打って変わって たった1話しか登場しない名前もないモブキャラのファンです。 彼女が登場するのは第16話「本物の握手」という回です。 この回でのメンバーたちは握手会イベントを行いますが、変則的なルールとして「町中を歩いているメンバーにばったり会えたら握手できる」というゲリライベントとして開催します。 このときイベントを主催した事務所のシャチョウは「24時間アイドルでいるように」とヒントだか何だかよくわからないアドをかけます。 メンバーたちは「俺は普段こんな店には行かないんだけど、ファンは「こういう店に居てほしい」と思ってるだろうな」と考えながら街を歩き、そこには案の定ファンが待ち構えている・・・という形でストーリーは進みます。 先ほども書いた通り、ファンはいつだって身勝手な理想を求めてくる存在として描かれているのです。 イベントの終盤、主人公である風見颯(16歳)は、一人のファンの女の子に出会います。 その女の子は「颯くんと握手したくて一日中探し回っていた」と話し、心から嬉しそうに彼との握手を果たします。 ここまでなら普通の感動的なアイドルアニメなんですが、というアニメがヤベーのはここからです。 そのファンの女は、憧れの颯くんに対してこんな言葉を投げかけます。 「カケルくん。 握手できないぐらいになってください。 武道館とか、ドームとか、なんか、すっごくすっごく大きなところでお客さんをいっぱいにしてるが……カケルくんが見たいです。 そしたら今日のこの握手が、もっともっと宝物になるから」 マジでヤベーなこの女!!! 丸一日歩き回ってやっとの思いで推しのアイドルを見つけて、念願の握手をできた矢先にこのセリフですよ。 確かにアイドルを応援するファンにとって、アイドルとどんな距離感で居たいかは難しい問題だと思います。 街を歩いていたら普通に見かけるような存在であっては嫌ですし、ばったり会ったとき理想とは全然違う姿をしていたら幻滅です。 本当は毎日会って握手をしてお喋りできたらと思う一方、日常とかけ離れた特別な存在でも居て欲しいものです。 皆のもので居て欲しいと思う一方、自分一人のものでも会って欲しいものです。 そんな矛盾した身勝手なファンの感情が、このファンの言葉と行動に集約されていると思います。 あなたは自分の憧れの人物に会ったとき「こんな簡単に会えなくなってほしい」なんて言えるでしょうか? 僕は無理だと思います。 放映後、視聴者たちは「推しにこんなこと言えるわけねえだろ・・・」「こんな圧倒的に正しいファンになれるわけねえよ・・・」と心をえぐられたオタクたちで死屍累々になっていました。 しかもこんなに凄いセリフを放ってくるキャラが、たった1話限りの名前もないただのモブファンってところが益々ヤバイと思います。 この作品に出てくるファンたちは、生まれたときから自分がファンになる存在であることを宿命づけられて生まれてきたんじゃないかってぐらいファンの才能がありすぎる・・・。 『』大田邦良 本エントリーの最後を飾るのはこいつです。 皆さんはや画像板を見ていて〝めちゃめちゃ汚い顔で号泣するデブでメガネのを持ったオタク〟の画像を見たことないでしょうか? 「この汚いオタクよく見かけるけど、どんなアニメのどのシーンか知らないなあ」って人は多いと思いますが、彼こそがこの太田氏なのです。 『』はここまで上げたアイドルアニメの中でもわりと出来が良くない方のアニメで、全話見ておきながら正直あまりオススメする類いのものではないと思っています。 しかし、この作画もアイドルも曲もダンスもストーリーもへっぽこなアニメにおいて、唯一評価できると感じたのがこの汚いオタクの画像の人こと太田氏です。 そもそも太田氏というキャターはメインキャラみたいな顔をしていますが、話の本筋には全く絡まない〝名前のついたモブキャラ〟といった立ち位置です。 第1話でライブをするWUGのメンバーの中に、人気アイドルグループを脱退した島田 真夢の姿を見つけ、それ以来WUGのファンを始めます。 あらゆる現場に駆けつけ、大きめのイベントになれば仲間を招集して法被や団扇を自作し、献身的に彼女たちの姿を追いかけ続けます。 太田氏は担当声優であるの怪演も手伝い、オタクらしいキモイしゃべり方でキモイファンのリアルを画面に焼き付け続けます。 おそらく視聴者の大半は「なんでアイドルアニメなのにキモイオタクの姿を見せられなきゃいけないんだ」って感じていたと思います。 実際、この作品の監督は露悪的な考えから「お前らアイドルオタクのリアルな姿を見せつけてやる!」みたいな気持ちで彼を登場させてたんじゃないかと疑っています。 しかしWUG1期の終盤、大舞台に立つアイドルの現場に駆けつけた太田氏は全力で応援をやりきり、最後にはあの有名な大号泣のシーンを見せつけます。 ぶっちゃけ肝心のライブシーンは作画が力尽きててかなり微妙だったので、 なぜか号泣する太田氏の方がアイドルよりも作画が良いという怪現象まで巻き起こしています。 そんなネタみたいな存在でありながら、作中の彼の活躍はとても真摯で、ひたむきで、見返りを求めず、愚直にアイドルを応援し続ける素晴らしいオタクの姿そのものでした。 しかも驚くべきことに、これだけ長い時間画面に登場しておきながら、メインキャターであるWUGのメンバーたちのドラマに太田氏は全く介在していません。 「いつも応援ありがとうございます」とファンの一人として握手ぐらいはできたでしょうが、せいぜいその程度です。 太田氏の人生にとってWUGの存在はかけがえの無い大きな存在である一方、WUGのメンバー達にとって太田氏という存在は単なるファンの一人でしかないのです。 両者のドラマは交差しているようでいて、ただ一方的な献身でしかないのです。 視聴者として「こんなに頑張って応援してるんだから報われてほしい」と思ってしまう一方、むしろ「現実のファンという存在は普通こういうものだ」という現実を突きつけてもいます。 太田氏は確かに見かけのキモいファンですが、もっとキモいファンは現実にたくさんいます。 アイドルにしてしまう人、認知してもらおうとで痛い絡み方をしてしまう人、プライベートに踏み込んでしまう人、あまつさえ危害を加えてしまう人。 彼らは「応援するアイドルに何か返して欲しい」と見返りを求めてしまったばかりに、ファンでは居られなくなってしまった存在なのです。 しかし太田氏の姿はどうでしょう。 見返りなど求めず、ただアイドル達が大舞台で成功したことに心から感動して号泣し、それだけで満たされているのです。 彼はもしWUGが握手できないぐらい遠い存在になった日には、ただ満足そうに微笑むのみでしょう。 『』というアニメはアイドルの成長物語として見れば平凡か、ややそれを下回るぐらいの完成度というのが正直なところです。 しかしこの作品を「太田邦良というファンの献身のドキュメント」として見返すと、ここまで目を背けたるほど克明にファンの姿を描いたアニメは他になく、彼の存在をもってこの作品を非凡なモノにしています。 作品本編が語られなくとも、彼の画像や姿だけが「ファンという存在を表す象徴(イコン)」として今もネットに残り続けているのは、なんだか納得できてしまいますね。

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346プロダクションによる熱いアイドル勧誘風景集 [ニコニコあっぷる]

大田邦良 コラ

皆さんアイドルアニメって好きですか? 僕はそこまででもないです。 自分が誰か他人に対して熱狂的になったり好きになったりできない性格なので、楽しみ方がよくわからなかったりします。 ですがそんなことを言いつつ、ときどきめちゃめちゃ好きになるアイドルアニメがあることに気づきました。 共通点を探ってみたところ、どうも僕は「アイドルよりもそのファンたち」の描写に心を掴まれてるオタクらしいのです。 自分がなにかに熱狂できないからこそ、そんな熱狂を見せてくれる名もなき彼ら彼女らに感銘し、その感情をすることでアイドルのこともまた好きになっていくわけなのです。 考えてみればアイドルという存在を描く上で、アイドルをアイドルたらしめる不安の存在は置き去りにできません。 バーフバリ王が民からの信頼と忠誠を集めるからこそ王であるのと同じです。 そんなわけで、この癖(へき)に気づいたきっかけである「このアイドルアニメのファン描写がヤバイ!」という作品をご紹介してみます。 『プリパラ』ガーディアン定子 最初にご紹介するのは4年余りもの間、人気シリーズとして放映された女児向けアイドルアニメ『プリパラ』のガーディアン定子さんです。 彼女はメインキャターである大人気アイドル北条そふぃの親衛隊の一人として登場します。 本作の主人公である真中らぁらはソロのアイドルとして活動するそふぃさんを「自分のチームに入って欲しい」と決意して引き込もうとしますが、 身勝手な理由でそふぃ様に近づこうとするらぁらを、定子たち親衛隊は「ガーディアンシフト」のかけ声とともにを作って阻むというのが恒例の流れになっていました。 一方、そふぃはマネージャーの無茶な要求によって疲弊しており、今のままソロ活動を続けるのが本人のためにならないと親衛隊たちも気づいています。 親衛隊たちは「孤高の存在として活動を続けて欲しい」という思いから、らぁらの勧誘行為を阻み続けます。 そして問題のプリパラ第12話、1クール目の締めくくりとなる回。 らぁらが実力行使でそふぃをマネージャーの手から解放しようとすると、親衛隊たちは立ち上がり、それまでらぁらを阻むために発動してきた「ガーディアンシフト」のかけ声を、らぁらの逃走を手助けするために発動します。 あ、思い出したら泣けてきたので五分ほど待ってください・・・。 プリパラのオタクはこのシーン、思い出すだけで泣いてしまうと思います。 解説だけだと伝わらないと思うので、まだ見てない方はぜひご覧になってみてください。 親衛隊に守られるそふぃ様にとって、マネージャーも親衛隊の彼女らも「現状のままでいろ」と彼女を閉じ込める檻のような存在でした。 これは脱出の手助けをしてくれた親衛隊に対してそふぃが「あなたたちはマネージャーの味方じゃなかったの?」と聞いていることからもうかがい知れます。 しかし定子は「そふぃ様にとってどちらが幸せなのかと迷ったときもありましたが目が覚めました」と答えて、彼女を送り出すのです。 現実にもアイドルが「新しいことに挑戦したい」と言って、これまでと方針を変えたり、事務所を辞めてしまうことはよくある話だと思います。 ファンもまたそんなアイドルに対して「今のまま理想のアイドルで居続けてほしい」と、彼ら彼女らの行く手を阻んでしまうことはよくある話です。 しかしガーディアン定子というキャターは、「推しの幸せを思って送り出す」という素晴らしいファンのあり方を私たちに見せてくれたのです。 物語の役割として重要であるとともに、アイドルにとってファンの存在がいかに大切かを伝える役割を持ったキャターとして紹介させていただきました。 『』富井大樹 次にご紹介するのはガーディアン定子のような準レギュラーキャラとしてのファンと打って変わって、レギュラーであるメインキャラの一人がファンというパターンをご紹介します。 『』という作品はそもそも、ファンとアイドルの適切な距離感や、ファンにとってどんな存在であるべきかを徹底して追求してくる、リアルなアイドルの描き方をしています。 この作品におけるファンは「身勝手に自分の理想をアイドルに押しつけてくる存在」であり、なおかつアイドルは「その理想を命がけで体現する生贄」として表現しています(個人の見解です) とは5人の男の子からなる駆け出しのアイドルグループですが、劇中にはその初代となる『』が存在し、主人公の彼らは2代目を襲名する形でデビューします。 その中の一人に富井大樹、愛称トミーというキャターが居ますが、彼は初代の大ファンで、「自分も憧れの初代みたいになるんだ」と目を輝かせて活動を開始します。 しかしアイドル活動の中で、自分が思い描く理想の姿と、その理想と一致しきれない自分とのギャップに悩み、苦しむことになります。 普通の美少女アイドルアニメでもメインキャラに「アイドルオタク」という設定のキャターが出てくることはありますが、それは「ファンの心理をつかむのが得意」みたいな長所として描かれる場合が多いです。 トミー場合も確かにファン心理の理解が得意なのですが、むしろ「その心理を理解しているからこそ、それに一致しない自分とのギャップに悩む」というハードルとして描かれていたのが印象的でした。 自分もこの作品を最初に見始めたとき、彼の存在があったからこそ、「このアニメは普通のアイドルアニメとは何かが違うな」と気づくきっかけにもなったという意味で印象的なキャターでした。 『』カケルくんと握手した女 更に続けての話をしますが、今度はこれまでの名有りキャラとは打って変わって たった1話しか登場しない名前もないモブキャラのファンです。 彼女が登場するのは第16話「本物の握手」という回です。 この回でのメンバーたちは握手会イベントを行いますが、変則的なルールとして「町中を歩いているメンバーにばったり会えたら握手できる」というゲリライベントとして開催します。 このときイベントを主催した事務所のシャチョウは「24時間アイドルでいるように」とヒントだか何だかよくわからないアドをかけます。 メンバーたちは「俺は普段こんな店には行かないんだけど、ファンは「こういう店に居てほしい」と思ってるだろうな」と考えながら街を歩き、そこには案の定ファンが待ち構えている・・・という形でストーリーは進みます。 先ほども書いた通り、ファンはいつだって身勝手な理想を求めてくる存在として描かれているのです。 イベントの終盤、主人公である風見颯(16歳)は、一人のファンの女の子に出会います。 その女の子は「颯くんと握手したくて一日中探し回っていた」と話し、心から嬉しそうに彼との握手を果たします。 ここまでなら普通の感動的なアイドルアニメなんですが、というアニメがヤベーのはここからです。 そのファンの女は、憧れの颯くんに対してこんな言葉を投げかけます。 「カケルくん。 握手できないぐらいになってください。 武道館とか、ドームとか、なんか、すっごくすっごく大きなところでお客さんをいっぱいにしてるが……カケルくんが見たいです。 そしたら今日のこの握手が、もっともっと宝物になるから」 マジでヤベーなこの女!!! 丸一日歩き回ってやっとの思いで推しのアイドルを見つけて、念願の握手をできた矢先にこのセリフですよ。 確かにアイドルを応援するファンにとって、アイドルとどんな距離感で居たいかは難しい問題だと思います。 街を歩いていたら普通に見かけるような存在であっては嫌ですし、ばったり会ったとき理想とは全然違う姿をしていたら幻滅です。 本当は毎日会って握手をしてお喋りできたらと思う一方、日常とかけ離れた特別な存在でも居て欲しいものです。 皆のもので居て欲しいと思う一方、自分一人のものでも会って欲しいものです。 そんな矛盾した身勝手なファンの感情が、このファンの言葉と行動に集約されていると思います。 あなたは自分の憧れの人物に会ったとき「こんな簡単に会えなくなってほしい」なんて言えるでしょうか? 僕は無理だと思います。 放映後、視聴者たちは「推しにこんなこと言えるわけねえだろ・・・」「こんな圧倒的に正しいファンになれるわけねえよ・・・」と心をえぐられたオタクたちで死屍累々になっていました。 しかもこんなに凄いセリフを放ってくるキャラが、たった1話限りの名前もないただのモブファンってところが益々ヤバイと思います。 この作品に出てくるファンたちは、生まれたときから自分がファンになる存在であることを宿命づけられて生まれてきたんじゃないかってぐらいファンの才能がありすぎる・・・。 『』大田邦良 本エントリーの最後を飾るのはこいつです。 皆さんはや画像板を見ていて〝めちゃめちゃ汚い顔で号泣するデブでメガネのを持ったオタク〟の画像を見たことないでしょうか? 「この汚いオタクよく見かけるけど、どんなアニメのどのシーンか知らないなあ」って人は多いと思いますが、彼こそがこの太田氏なのです。 『』はここまで上げたアイドルアニメの中でもわりと出来が良くない方のアニメで、全話見ておきながら正直あまりオススメする類いのものではないと思っています。 しかし、この作画もアイドルも曲もダンスもストーリーもへっぽこなアニメにおいて、唯一評価できると感じたのがこの汚いオタクの画像の人こと太田氏です。 そもそも太田氏というキャターはメインキャラみたいな顔をしていますが、話の本筋には全く絡まない〝名前のついたモブキャラ〟といった立ち位置です。 第1話でライブをするWUGのメンバーの中に、人気アイドルグループを脱退した島田 真夢の姿を見つけ、それ以来WUGのファンを始めます。 あらゆる現場に駆けつけ、大きめのイベントになれば仲間を招集して法被や団扇を自作し、献身的に彼女たちの姿を追いかけ続けます。 太田氏は担当声優であるの怪演も手伝い、オタクらしいキモイしゃべり方でキモイファンのリアルを画面に焼き付け続けます。 おそらく視聴者の大半は「なんでアイドルアニメなのにキモイオタクの姿を見せられなきゃいけないんだ」って感じていたと思います。 実際、この作品の監督は露悪的な考えから「お前らアイドルオタクのリアルな姿を見せつけてやる!」みたいな気持ちで彼を登場させてたんじゃないかと疑っています。 しかしWUG1期の終盤、大舞台に立つアイドルの現場に駆けつけた太田氏は全力で応援をやりきり、最後にはあの有名な大号泣のシーンを見せつけます。 ぶっちゃけ肝心のライブシーンは作画が力尽きててかなり微妙だったので、 なぜか号泣する太田氏の方がアイドルよりも作画が良いという怪現象まで巻き起こしています。 そんなネタみたいな存在でありながら、作中の彼の活躍はとても真摯で、ひたむきで、見返りを求めず、愚直にアイドルを応援し続ける素晴らしいオタクの姿そのものでした。 しかも驚くべきことに、これだけ長い時間画面に登場しておきながら、メインキャターであるWUGのメンバーたちのドラマに太田氏は全く介在していません。 「いつも応援ありがとうございます」とファンの一人として握手ぐらいはできたでしょうが、せいぜいその程度です。 太田氏の人生にとってWUGの存在はかけがえの無い大きな存在である一方、WUGのメンバー達にとって太田氏という存在は単なるファンの一人でしかないのです。 両者のドラマは交差しているようでいて、ただ一方的な献身でしかないのです。 視聴者として「こんなに頑張って応援してるんだから報われてほしい」と思ってしまう一方、むしろ「現実のファンという存在は普通こういうものだ」という現実を突きつけてもいます。 太田氏は確かに見かけのキモいファンですが、もっとキモいファンは現実にたくさんいます。 アイドルにしてしまう人、認知してもらおうとで痛い絡み方をしてしまう人、プライベートに踏み込んでしまう人、あまつさえ危害を加えてしまう人。 彼らは「応援するアイドルに何か返して欲しい」と見返りを求めてしまったばかりに、ファンでは居られなくなってしまった存在なのです。 しかし太田氏の姿はどうでしょう。 見返りなど求めず、ただアイドル達が大舞台で成功したことに心から感動して号泣し、それだけで満たされているのです。 彼はもしWUGが握手できないぐらい遠い存在になった日には、ただ満足そうに微笑むのみでしょう。 『』というアニメはアイドルの成長物語として見れば平凡か、ややそれを下回るぐらいの完成度というのが正直なところです。 しかしこの作品を「太田邦良というファンの献身のドキュメント」として見返すと、ここまで目を背けたるほど克明にファンの姿を描いたアニメは他になく、彼の存在をもってこの作品を非凡なモノにしています。 作品本編が語られなくとも、彼の画像や姿だけが「ファンという存在を表す象徴(イコン)」として今もネットに残り続けているのは、なんだか納得できてしまいますね。

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