丹後へつかはしける人は参りにたりや。 古今著聞集

古今著聞集

丹後へつかはしける人は参りにたりや

問題集をやっていて、腑に落ちないところがありました。 栄花物語・月の宴からの出題で、八の宮が后の宮の見舞いに行く直前、八の宮が宰相に「どのように言ったらいいか」と尋ね、宰相が答える会話のシーンです。 「(八の宮が宰相から)『御悩みのよし承りてなんとこそは、申し給はめ』など教へられて・・・」 訳:「『ご病気のよしをうかがいまして』と申し上げなさったらよいでしょう」などと教えられて) この本文の「承りて」「申し」「給は」が、誰の誰に対する敬意表現なのかという設問でした。 どれも動作主は八の宮なのに、なぜ「承りて」が八の宮からの敬意、「申し」が宰相からの敬意なのかが分かりませんでした。 (「給は」は、訳したときの感覚でなんとなく正解できましたが・・・) 正解への導き方も教えてくださるとありがたいです。 ややこしい話ですが、じっくり読んでいただければ幸いです。 まず、基本の確認からはじめます。 尊敬語は、話し手から、話題になっている動作の主体(動作をする人)に対する敬意を表します。 謙譲語は、話し手から、話題になっている動作の客体(動作の受け手)に対する敬意を表します。 丁寧語は、話し手から、聞き手に対する敬意を表します。 話し手は、会話文(心内文を含む)では、その会話をする人が話し手になり、会話文以外の地の文ではその作品の作者が話し手になります。 さて、ご質問についてです。 「御悩みのよし承りてなんとこそは、申し給はめ」 この部分全体は、宰相の会話文で、聞き手は八の宮。 その中に、 『御悩みのよし承りてなん』 という会話文が取り込まれています。 この部分は、后の宮のお見舞いに行ったときに、八の宮が実際発言することになりますから、話し手は八の宮、聞き手は后の宮と考えてよいでしょう。 「『御悩みのよし承りてなん』とこそは、申し給はめ」 のつもりでお考えください。 次に個々の敬語表現についてです。 「承り」は、ここでは「聞く」「伝え聞く」の謙譲語で、動作主体は八の宮、動作客体(つまり伝え聞かれた人)は后の宮。 したがって「承り」は、話し手である八の宮から、動作客体である后の宮に対する敬意ということになります。 「申し」は、「言ふ」の謙譲語で、動作主体は八の宮、動作客体は后の宮。 したがって、「申し」は、話し手である宰相から、「言ふ」という動作の客体である后の宮に対する敬意ということになります。 「給は」は、尊敬の補助動詞で、話し手である宰相から、「申す」つまり「言ふ」という動作の主体である八の宮に対する敬意を表しています。 敬語について、敬意の対象、敬意の方向を問う問題では、 1、会話文中か、地の文か 2、話し手は誰か、聞き手は誰か 3、話題になっている動作は何か 4、その動作の主体は誰か、客体は誰か 以上の点を確認整理した上で、最初に書いた、尊敬語、謙譲語、丁寧語それぞれの敬意の方向をあてはめて考えればOKです。 ご自分なりの図など工夫なさるのも良いでしょう。 ところで、「給はめ」の「め」は、助動詞「む」の已然形で、係助詞「こそ」の結びです。 ここでの意味は「適当」とか「軽い命令」を考えればよいでしょう。 助動詞「む」に命令形なんてありません。 おかしな回答にまどわされないようにしてください。 「承る」は「聞く」の謙譲語ですね。 謙譲語は、「話し手が、動作をする人の動作に用いて、動作をする人の動作を謙譲させ、相対的に動作を受ける人を高めて、動作を受ける人に敬意を表す表現」です。 「申す」は「言ふ」の謙譲語です。 「給ふ」は尊敬の補助動詞です。 尊敬語は、「話し手が、動作をする人の動作に用いて、動作をする人にそのまま敬意を表す表現」です。 尊敬語・謙譲語は、現代語のように(実は現代語もこの原則が当てはまるのですが)、話し手(こちら側)と聞き手(相手側)の1対1の関係として考えないで、話し手と、(話題の中の)動作する人と動作を受ける人の3者の関係をイメージした方がわかりやすくなります。 それに対して、丁寧語は話し手と聞き手の関係(話し手が聞き手に敬意を表す表現)になります。 こんにちは。 8/3の英語のご質問以来ですね。 ご質問1: <なぜ「承りて」が八の宮からの敬意~なのかが分かりませんでした。 > 1.まず、宰相の会話部分は以下のように、『 』が挿入されます。 挿入部の後に引用を表す助詞(と)などを便宜上補うと分かり易いでしょう。 例: 「『御悩みのよし承りてなんとこそは』、(と)申し給はめ」 2.この『 』部は誰の発言部かというと、八の宮の発言部になります。 八の宮が后の宮に対して発言する予定の会話部です。 これを宰相が「八の宮の立場にたって」、八の宮が后の宮に向かって話している場面をシミュレーションしているのです。 3.従って、この『 』部が「八の宮が后の宮に向かって話している」場面だと切り替える必要があります。 つまり、『 』内では 話し手=八の宮 聞き手=后の宮 という関係をしっかり押さえることです。 4.この『 』内で使われている「承り」<「承る」は「聞く」「知らされる」の尊敬語です。 尊敬語は話し手が聞き手に対する敬語ですから、ここでは「八の宮から后の宮に対する尊敬語」となるのです。 ご質問2: <なぜ~「申し」が宰相からの敬意なのかが分かりませんでした。 > 1.宰相の会話部は「『御悩みのよし承りてなんとこそは』、(と)申し給はめ」と八の宮の会話部が挿入されています。 2.「申し給はめ」は「言いなさい」の敬語表現です。 3.宰相のこの会話部を常体にすると、 「『 』のように言いなさい」 となります。 4.「申し」: (1)「申す」は「言う」の謙譲語です。 (2)「言う」のは誰か、と動作の主体を考えると「八の宮」になります。 (3)誰に「言う」のか、と動作の客体(動作を受ける相手)を考ええると「后の宮」になります。 (3)従って、「申す<言う」は動作の主体「八の宮」から動作の客体「后の宮」に対する謙譲語となります。 5.「給は」: (1)「給ふ」は「する」の尊敬語でここでは「なさる」という補助動詞として使われています。 (2)「給はめ」の「め」は婉曲用法の助動詞「む」の命令形で、ここでは丁寧に命令・指示する用法として使われています。 (3)意味は「~しなさい」のやや丁寧な言い方で、「~するといいでしょう」ぐらいになり、「申し」と共に使われ「言うといいでしょう」とう丁寧な指示になっています。 (5)誰が言ったのか、その発言の主は=「宰相」です。 (6)誰に対して「言いなさい」といったのか、その聞き手は「八の宮」です。 (7)従って、「給る」は発言主「宰相」から聞き手「八の宮」に対する尊敬語となります。 ご質問3: <正解への導き方も教えてくださるとありがたいです。 > 上記の手順を何度も繰り返し読まれるとわかると思いますが、敬語の方向をみつけるのに大切なことは、 1.会話の話し手、聞き手を明確に把握すること 2.会話の中に挿入部や回想部などがあれば、動作の主体、客体を明確に把握すること 3.動詞の種類、尊敬語か謙譲語かによって、主体・客体、話し手・聞き手の身分の相違がわかるので、区別がつきやすい といったポイントで判断します。 以上ご参考までに。 Q 古典の敬語についての質問です。 敬語の区別の仕方がよくわかりません。 動作をする相手、受ける相手・・・・などと説明されたのですが未だに理解できません。 こういう問題の解き方を教えてください。 次の例文から抜き出した敬語が誰から誰への敬意を表すかを答えなさい。 問)) 定頼中納言、たはぶれに小式部内侍に「丹後へつかはしける人は参りにたりや。 」と言いいれて・・・ このときの会話文中の「参り」というのが誰から誰の敬意なのかがわかりません。 会話文中なので、話し手から始まるというのはわかるのですが・・・。 わからないことが多いので詳しく説明していただけると大変ありがたいです。 回答お願いいたします。 A ベストアンサー 「動詞のように」というか、動詞または補助動詞そのものじゃないですか。 (自分で辞書ひきますか? それとも全部教えてほしいですか?) ただし「給ふ」は注意する必要があります。 尊敬と謙譲の場合で活用がことなります。 尊敬と謙譲を間違えたら重大です。 まるで反対の解釈になってしまします。 ですから試験問題の格好の対象となるのですね。 2段階で憶えましょう。 1.尊敬は四段、謙譲は下二段活用 尊敬は四段、謙譲は下二段活用なんです。 これを知っているだけでも終止形以外のものが出たときに尊敬なのか謙譲なのかがわかります。 終止形 給ふ が出てきたらどうすんの? って、これが幸いなことに、下二段つまり謙譲の終止形の用例はほとんどないのです。 まとめると 「給」+(は/ひ/ふ/ふ)であれば尊敬 「給」+(ふる/ふれ)であれば謙譲 となります。 それは、現代文を読んで上下関係が関係がわかっていれば尊敬や謙譲なんて簡単じゃん、というずっと昔から世の高校生たちを魅了する悪魔のささやきなんです。 確かに、学校の教科書主体の定期テストなどではそれでも点数が取れるかもしれません。 しかし、センター試験や一流大学の試験なんかではそんな有名な文章なんてでてません。 本番では役にたたないのです。 険しい道を越した人だけが古文のサクセス・ロードを歩けます。 「承る」は謙譲しかないと考えていいです。 「動詞のように」というか、動詞または補助動詞そのものじゃないですか。 (自分で辞書ひきますか? それとも全部教えてほしいですか?) ただし「給ふ」は注意する必要があります。 尊敬と謙譲の場合で活用がことなります。 尊敬と謙譲を間違えたら重大です。 まるで反対の解釈になってしまします。 ですから試験問題の格好の対象となるのですね。 2段階で憶えましょう。 1.尊敬は四段、謙譲は下二段活... A ベストアンサー 動作主体は、動詞に対する格関係が主格である名詞等です。 主語は、文の構成要素(主語・術語・補語など)の一つです。 次の和歌に使われている動詞で説明します。 袖ひちて結びし水の氷れるを春立つ今日の風やとくらむ 袖ひち-て 「ひつ」は他動詞 (我)袖(を)ひつ 動作主体は「我」 結びし水 「結ぶ」は他動詞 (我)水(を)結びき 動作主体は「我」 水の氷れるを 「氷る」は自動詞 水 氷る 動作主体は「水」 春立つ今日 「春」は自動詞 春 立つ 動作主体は「春」 風やとくらむ 「とく」は他動詞 風 水の氷れるをとく 動作主体は「風」 最後の「とく」が和歌全体の主文の術語動詞です。 疑問文ですが、肯定文に直すと 風(主語) 水の氷れる(目的語相当の準体句)を とく(術語動詞) と分析されます。 敬意は、 尊敬語 話者から術語動詞の動作主体への敬意。 謙譲語 術語動詞の動作主体から動作客体への敬意。 丁寧語 話者から聞者への敬意。 A ベストアンサー 当該箇所の場合、「書きつけける」の直後が歌なので、 書き付けた(歌(は以下の通り)):~ みたいなことを言いたいのを省エネしていると考えれば良いと思います。 用言が体言的に働く歴とした準体法で、このような場合は、「余韻」とはあまり関係なかろうと思います。 また、既に例が出ていますが、連体形で文を結ぶことによって「余韻を与える」とされる用例もあります。 連体形というのは本質的に体言的なもので(だからこそ準体法が可能なのですが)、文を連体形で終えるということは、文末に体言があるのと同様の効果となります。 これは現代語で言えば「~の(だ)」に相当します。 意訳ですが。 これをただ「余韻」という曖昧極まりない用語で説明して片付けるのは学校文法の怠慢だと思います(室町時代になって、活用語の終止形は連体形に合流してしまうので、仮に連体形=余韻だとすると現代の全ての文が余韻含みになることになってしまう。 だいたい「余韻」って何でしょう)が、まあこのように説明される用法もあるということです。 一応この二つを、学校ではあまり説明してくれませんが、気に留めておくと良いでしょう。 当該箇所の場合、「書きつけける」の直後が歌なので、 書き付けた(歌(は以下の通り)):~ みたいなことを言いたいのを省エネしていると考えれば良いと思います。 用言が体言的に働く歴とした準体法で、このような場合は、「余韻」とはあまり関係なかろうと思います。 また、既に例が出ていますが、連体形で文を結ぶことによって「余韻を与える」とされる用例もあります。 連体形というのは本質的に体言的なもので(だからこそ準体法が可能なのですが)、文を連体形で終えるということは、文末に体言が... Q こんにちわ。 先日私は中央大学を一般試験で受験しました。 赤本に書いてある近年の合格最低点が例年230点前後なのですが、それは全て「偏差値換算得点」というものなんです。 この偏差値換算得点というものは、選択科目の平均点が絡んでくるんですよね? そうすると、素点で230点を超えていても偏差値換算されると下回ってしまう可能性があるということでしょうか・・・。 一応250(少なくとも240)は取れているようなのですが・・・正直いって心配してます。 ご回答よろしくお願いします。 偏差値は、全員の平均点と標準偏差から算出します。 全員の点数をもとに、平均点を計算し、そこから標準偏差を計算し、標準偏差に相当する点数を10点相当として、比例計算します。 平均点の人が、偏差値では50です。 三科目とも平均点であれば、その人の偏差値は50になります。 言い換えると、難しい問題であれば、100点満点の30点でも、30点が平均なら偏差値に換算すると、50です。 80点とれていても、平均点が80なら、それも50です。 したがって、問題の難易度によって、偏差値は違ってきます。 平均点が50点になり、平均点以上の者は50点より高い点数、低いと必ず50点以下です。 英語の150というのは、変換した後、1. 5倍しているのでしょう。 変換しなければ、1点は絶対1点です。 変換した場合は、易しい科目なら1点取ってもそれ以下の0. 8点くらいかもしれない、難しい科目の1点は、それ以上の1. 8点とか2点とかで換算されるということです こんなに単純ではありません。 すくなくとも統計学の正規分布を理解する必要があります。 だから、選択科目によって難易度があっても、ある程度その補正ができるわけです。 昨年と今年とでは、問題の難易度、例えば平均点と標準偏差が全く同じ場合にのみ、得点は同じ値になります。 それ以外は ほぼ同じでなければ 、偏差値換算すると、得点自体が変わってくるので、昨年と比較するのは無意味に近いのです。 何も偏差値換算しなくても、昨年と今年では合格最低点が異なることからも明らかです。 平均点の標準偏差が公表されれば、偏差値に換算した得点は簡単に算出できます。 それまで、待つしか無いと想います。 偏差値は、全員の平均点と標準偏差から算出します。 全員の点数をもとに、平均点を計算し、そこから標準偏差を計算し、標準偏差に相当する点数を10点相当として、比例計算します。 平均点の人が、偏差値では50です。 三科目とも平均点であれば、その人の偏差値は50になります。 言い換えると、難しい問題であれば、100点満点の30点でも、30点が平均なら偏差値に換算すると、50です。 80点とれていても、平均点が80なら、それも50です。 したが... A ベストアンサー 私は今月に経営学部を卒業しますが、みなさんが言っておられるとおり、経営学と経済学は似たようなものですが、経済学は、「理論・政策・歴史」を中心に勉強します。 「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「経済原論」「財政学」など高校数学の知識が必要になります。 経済学は、経営学と比べて数学関係の講義も多くなります。 グローバルな問題に対して常に関わっていくのが経済学であり、家計や企業や政府といった単位で経済の仕組みを考えるのが経済学で、それに対して経営学は、経営者として企業をどう動かしていくのか考えるのが経営学です。 経営・会計・流通・情報などに興味があるのだったら経営学部です。 特に、ブランドや洋服に興味があるんだったら「流通論」や「マーケティング」が絡んでくるから経営学部でしょう。 「マーケティング」では、企業の戦略や小売業・卸売業・メーカーが一体となって商品の在庫管理などをとりあげたりして、企業側の戦略や業務分析など現場と密接な関係を持った感じの講義がたくさんあるはずです。 経済学部は、公務員試験に向けた講義が充実しているから、金融や公務員などを目指す人にお勧めでしょう。 経営学部は、流通やサービス・金融などを目指す人に向いていると思います。 経済学部に比べて、経営学部は、「実務や現場重視」といった感じがあります。 shingakunet. cgi 私は今月に経営学部を卒業しますが、みなさんが言っておられるとおり、経営学と経済学は似たようなものですが、経済学は、「理論・政策・歴史」を中心に勉強します。 「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「経済原論」「財政学」など高校数学の知識が必要になります。 経済学は、経営学と比べて数学関係の講義も多くなります。 グローバルな問題に対して常に関わっていくのが経済学であり、家計や企業や政府といった単位で経済の仕組みを考えるのが経済学で、それに対して経営学は、経営者として企業をどう動かしていく... A ベストアンサー ごきげんよう。 漢文を白文の状態から書き下し文直しや現代語訳するにはどうしたらよいか? う~ん、これができないとどう困るのかがよくわかりませんが、 とりあえず、 質問者さんの漢文関係の知識が高校レベルだと仮定して回答します。 漢字の横につけられている返り点や送り仮名というのは、 もともと白文であったものが読みやすくなるように、 後世の人間や研究者によって(勝手に)つけられたものです。 返り点をつけたのは五山の僧たちでしたかしら? 高校までの漢文の授業では習いませんが、 英語や古文と同様に、漢文(古代中国語)にも文法(漢文法)があります。 その文法や単語を理解すれば、 漢文そのものから現代語訳をすることも十分に可能になります。 文構造・語順としてはわりと英語に近くて、 [主語][述語] [主語][動詞][目的語] [主語][動詞][目的語1][目的語2] [主語][動詞][目的語][前置詞][目的語] [主語][否定語(「不」など)][動詞][目的語][前置詞(「於」など)][場所を表わす名詞] これらは文構造の単純な例ですが、こういう感じで漢字が並んでいて、 この構造がわかっていると返り点がなくても読む語順がわかります。 それを洗練させていくと、適切な現代語訳ができるようになっていくでしょう。 (ここでは簡単に言ってますが、実際にやろうとするとけっこう手ごわい) ただ、「書き下し文にする」のは現代語訳よりも厄介ですね。 現代日本語を読み書きしている私達が書き下し文を読めばわかるように、 ほぼ日本の古文調なのです。 これは、古代~近世の人間が漢文を日本語に直す時に、 「漢文の訓読」「自分の文法に沿った送り仮名のつけ足し」 を行なってきたためです。 う~ん、書き下し文にする場合、古代から現代までの日本語と中国語の両方に精通してください、としか。 他の方の意見待ちかも。 日本における古文や漢文を専門に研究している研究者なら 送り仮名を含めた書き下しに慣れていて可能な人もいるかもしれませんが、 かなり特殊なスキルであることは間違いないでしょう。 wikipedia. wikipedia. ごきげんよう。 漢文を白文の状態から書き下し文直しや現代語訳するにはどうしたらよいか? う~ん、これができないとどう困るのかがよくわかりませんが、 とりあえず、 質問者さんの漢文関係の知識が高校レベルだと仮定して回答します。 漢字の横につけられている返り点や送り仮名というのは、 もともと白文であったものが読みやすくなるように、 後世の人間や研究者によって(勝手に)つけられたものです。 返り点をつけたのは五山の僧たちでしたかしら? 高校までの漢文の授業では習いません... A ベストアンサー 個々の試験のできは必ずしも偏差値通りではありませんから、日大補欠で あるいは落ちて 青山合格なんて事はいくらでもあるでしょう。 だから偏差値だって何回か取って平均や傾向を見るでしょ? で、日大合格青山合格なら普通青山行くでしょう。 また、あなたも滑り止めは受けたのではないでしょうか? 普通に考えれば、上位合格者は学力が高いですよね。 ということは、もっと上位の大学に合格している可能性がより高いでしょう。 大学側も、上位っぽい280人はまず間違いなく入学しないと見ているから合格者をそれだけ出すんで。 これ、200人しか抜けてくれなかったら大変ですよ。 教室満杯で。 施設が足りないのに入学者だけ増やすと、文科省にも怒られるかも知れない。 合格通知を出しておいて、後から、やっぱりおまえ不合格、ってわけには行きませんから、数を絞ってあるはずです。 というわけで、520人から240人以上残るとは思えません。 通常、受かる奴は何校も受かっていますし。 同レベル複数大学合格者がその大学を選んでくれるとは限りませんし、上位大学合格者はまず確実に抜けますので。 そうですね、ここ何年かの、倍率と実質倍率を見ると良いのかも知れません。 というか補欠合格も含めた合格者数を。 個々の試験のできは必ずしも偏差値通りではありませんから、日大補欠で あるいは落ちて 青山合格なんて事はいくらでもあるでしょう。 だから偏差値だって何回か取って平均や傾向を見るでしょ? で、日大合格青山合格なら普通青山行くでしょう。 また、あなたも滑り止めは受けたのではないでしょうか? 普通に考えれば、上位合格者は学力が高いですよね。 ということは、もっと上位の大学に合格している可能性がより高いでしょう。 大学側も、上位っぽい280人はまず間違いなく入学しないと見ているから合格者... A ベストアンサー みなさんの意見を聞いていると、「神経を抜く・抜かない」以前に、なぜ神経を抜かないといけないか・・って事を忘れているようです。 我々歯科医は神経を抜かざるをえないから、抜くことがほとんどです。 要するに普通は不必要に抜髄はしません。 で、当然抜髄のメリット・デメリットは共存します。 デメリットとしては、 1 神経がないので虫歯が進行しても痛まないので、手 遅れになることがある。 2 抜随時、一度口腔の細菌にさらされてしまうので、 細菌感染の危険がある。 3 歯が生活歯にくらべて、もろくなる。 4 変色していく。 5 臼歯部の抜髄は根も複数・複雑で見えにくく、手技 的に不完全になることがある。 (残髄等) などがあげられます。 しかし、無理に神経を保存したために、神経に細菌が入り、歯根膜炎の著しい痛みが長期に起こったり、化膿して、根の先にバイキンの巣を作り、それによって顔が腫れたり、上顎洞炎になったり・・・と良いことばかりでもありません。 要するに、歯科医院でレントゲン写真や虫歯の深さ、痛みの程度、虫歯になっている期間などなどで、総合的に判断してもらい、決めていくのがベストだと思います。 で、基本的には神経を抜くのは麻酔下で、行ないますから、無痛があたりまえです。 痛ければDrに麻酔の追加をしてもらったらいいんですから。 我々歯科医は神経を抜かざるをえないから、抜くことがほとんどです。 要するに普通は不必要に抜髄はしません。 で、当然抜髄のメリット・デメリットは共存します。 デメリットとしては、 1 神経がないので虫歯が進行しても痛まないので、手 遅れになることがある。 2 抜随時、一度口腔の細菌にさらされてしまうので、 細菌感染の危険がある。 3 歯が生活歯にくらべて、... A ベストアンサー 古文だけではなく、「敬語」とは「待遇表現」だとされています。 この待遇とは(敬語の場合)話し手(または書き手)が、話題に登場する人物に「敬意」を持つか、どうかを意味します。 次のサイトの下方にある図を見てください。 open. htm これは、「謙譲語」を説明するため描かれた図で、話し手が話題の中に登場する複数の人物(当然、最少で二人ですからAとBとします)に敬意を持つとして、BがAに向かって「言う」という動作をした場合(動作をする人を「仕手」と呼んでおきます)、「言われた」人はAで(受け手と言います)、話し手がA(Bでなく)に敬意を表したい場合には、Bの「言う」という動作を「謙譲語」に変えて「申す(現代語なら申し上げる)」と話します。 すなわち、「謙譲語」とは「受け手尊敬」(動作を受ける人を尊敬する)ということになります。 この場合、敬意を表す矢印(点線の)が話し手からAに向かっていることが肝要なのです。 実線の矢印は「見かけ上の」敬意です。 この図を使って「尊敬語」「丁寧語」を説明できるのですが、その説明をつづけるとややこしくなる(謙譲語だけで「ややこしい」と思っているでしょう)ので、自分で考えてください。 「尊敬語」や「丁寧語」は「謙譲語」に比べれば実は簡単です。 (必要なら質問してください) 「古文の参考書」や、高校で買わされる「国語便覧」等には、多分このような図が載っていると思います。 本来の質問は、「尊敬」と「謙譲」の区別だったので付け加えますと、「尊敬語」は動作をする人に話し手が敬意を表す「仕手尊敬」だと考えてください。 どういう語が「尊敬」や「謙譲」を表すかは、実際に古文を読みながら覚えるよりありません。 (現代語だってそうでしょう) この場合「謙譲語」と「尊敬語」を続けて使う「申させ給ふ」と言い方が、平安時代を中心とする古典文法には、よく使われています。 「古文」では「せ給ふ」のような「二重敬語」は「有り」でした。 参考までに。 古文だけではなく、「敬語」とは「待遇表現」だとされています。 この待遇とは(敬語の場合)話し手(または書き手)が、話題に登場する人物に「敬意」を持つか、どうかを意味します。 次のサイトの下方にある図を見てください。 open. htm これは、「謙譲語」を説明するため描かれた図で、話し手が話題の中に登場する複数の人物(当然、最少で二人ですからAとBとします)に敬意を持つとして、BがAに向かって「言う」という動作をした場合(動作をする人を「仕手」と呼んでおきま...

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古今著聞集

丹後へつかはしける人は参りにたりや

『ですけど』の汎用性が高すぎるんですけど、について。 若者が使う「旅行に行ってたんですけど、昨日帰ってきたんですけど、新幹線が激混みでした」のような『ですけど』は、間を持たせるなど汎用性が高いという趣旨の興味深いエントリでした。 ですけどのふるさとは古文 「ですけど」の原点は古文にあると思います。 中古、中世の日本人も「ですけど」が大好きでした。 簡単に言えば「を、に、が、ど+読点」の形で出現します。 和泉式部、保昌が妻にて丹後に下りけるほどに、京に歌合ありける に、小式部内侍、 歌よみにとられてよみける を、定頼の中納言、たはぶれに小式部内侍に「丹後へつかはしける人は参りにたりや」と言ひ入れて、局の前を過ぎられける を、小式部内侍、御簾よりなかば出でて、直衣の袖をひかへて「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立」とよみかけけり。 (古今著聞集) 親の七光りに関する文章ですので、 和泉式部=大竹しのぶ、小式部内侍=IMALUと読み替えるとスムーズに理解できます。 となります。 現代人の「ですけど」同様、昔の日本人は「を、に、が、ど」でガンガン文をつないでいくので、現代の日本人から見るととても読みにくいです。 外国人から見た「ですけど」 旅行に行ってたんですけど、昨日帰ってきたんですけど、新幹線が激混みでした。 この例文は欧米人からすればとても読みにくいはずです。 彼らは基本的に1つの文に主語述語が1セット入ることを好むからです(悪くても節を設定し、そこに主語述語が存在する程度)。 上の文を3つの文に分ければ、確かに分かり易いかもしれませんが、それは欧米の文体に過ぎません。 若者の話し言葉「ですけど」を邪道と思う人もいるかも知れませんが、実は古文に見ることができる日本語の王道であり、批判こそ邪道だとも言えます。 また、日本語は主語の省略が多く読みづらいと言われますがそれは誤りで、述語が主語を明確に示しています。 ネットやビジネスでは短い文が推奨されるのはなぜ? ネットやビジネスでは欧米語的な短文が良しとされています。 これはなぜでしょうか?簡単に言えば、書き手が反応(もっと言えばお金)を欲しがっている文は短いんだと思います。 例えばこのブログ「健康じゃーな」も短い文をメインに構成されています。 なぜならばある程度は読まれてほしいなと思っているからです。 文が長いと、読みづらいというハンデを引き受けますので、相当内容が良くないと全く読まれなくなります。 私はそこまでの自信がないのでいつも短い文でお茶を濁しています。 文が長く1ページに到達することがあるのは大江健三郎ですね。 いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機を与えられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によって彼の仕事の現場にも明瞭に持ち込みうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度を取ることなしには、彼の職業の外部から与えられたぬるま湯の中での特殊性を克服することは出来ぬであろう、ということに他ならない。 大江健三郎「職業としての作家」『別冊・経済評論』1971年春季号 大江健三郎が今の時代にブロガーとしてデビューしていたら、現在の地位にまで上り詰めたでしょうか?大江健三郎の長い文が受け入れられたのは、文章そのものの供給不足を背景に人々が夜なべしてじっくりと文章に向き合う時間の流れがあったのかもしれません(今では無理ですね)。 果たして、「ですけど」を使う若者は平安王朝のようなゆったりとした時間を過ごしているのでしょうか?しかしそれもつかの間の幻であり、就活の志望動機書でだらだらした文章は厳しく添削され、スピード地獄の社会へ引きずり込まれます。 資本主義っておもしろいんですけど、不健康ですよね。 もっとゆっくりしたいんですけど……。

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古文 謙譲語「参る」

丹後へつかはしける人は参りにたりや

『ですけど』の汎用性が高すぎるんですけど、について。 若者が使う「旅行に行ってたんですけど、昨日帰ってきたんですけど、新幹線が激混みでした」のような『ですけど』は、間を持たせるなど汎用性が高いという趣旨の興味深いエントリでした。 ですけどのふるさとは古文 「ですけど」の原点は古文にあると思います。 中古、中世の日本人も「ですけど」が大好きでした。 簡単に言えば「を、に、が、ど+読点」の形で出現します。 和泉式部、保昌が妻にて丹後に下りけるほどに、京に歌合ありける に、小式部内侍、 歌よみにとられてよみける を、定頼の中納言、たはぶれに小式部内侍に「丹後へつかはしける人は参りにたりや」と言ひ入れて、局の前を過ぎられける を、小式部内侍、御簾よりなかば出でて、直衣の袖をひかへて「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立」とよみかけけり。 (古今著聞集) 親の七光りに関する文章ですので、 和泉式部=大竹しのぶ、小式部内侍=IMALUと読み替えるとスムーズに理解できます。 となります。 現代人の「ですけど」同様、昔の日本人は「を、に、が、ど」でガンガン文をつないでいくので、現代の日本人から見るととても読みにくいです。 外国人から見た「ですけど」 旅行に行ってたんですけど、昨日帰ってきたんですけど、新幹線が激混みでした。 この例文は欧米人からすればとても読みにくいはずです。 彼らは基本的に1つの文に主語述語が1セット入ることを好むからです(悪くても節を設定し、そこに主語述語が存在する程度)。 上の文を3つの文に分ければ、確かに分かり易いかもしれませんが、それは欧米の文体に過ぎません。 若者の話し言葉「ですけど」を邪道と思う人もいるかも知れませんが、実は古文に見ることができる日本語の王道であり、批判こそ邪道だとも言えます。 また、日本語は主語の省略が多く読みづらいと言われますがそれは誤りで、述語が主語を明確に示しています。 ネットやビジネスでは短い文が推奨されるのはなぜ? ネットやビジネスでは欧米語的な短文が良しとされています。 これはなぜでしょうか?簡単に言えば、書き手が反応(もっと言えばお金)を欲しがっている文は短いんだと思います。 例えばこのブログ「健康じゃーな」も短い文をメインに構成されています。 なぜならばある程度は読まれてほしいなと思っているからです。 文が長いと、読みづらいというハンデを引き受けますので、相当内容が良くないと全く読まれなくなります。 私はそこまでの自信がないのでいつも短い文でお茶を濁しています。 文が長く1ページに到達することがあるのは大江健三郎ですね。 いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機を与えられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によって彼の仕事の現場にも明瞭に持ち込みうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度を取ることなしには、彼の職業の外部から与えられたぬるま湯の中での特殊性を克服することは出来ぬであろう、ということに他ならない。 大江健三郎「職業としての作家」『別冊・経済評論』1971年春季号 大江健三郎が今の時代にブロガーとしてデビューしていたら、現在の地位にまで上り詰めたでしょうか?大江健三郎の長い文が受け入れられたのは、文章そのものの供給不足を背景に人々が夜なべしてじっくりと文章に向き合う時間の流れがあったのかもしれません(今では無理ですね)。 果たして、「ですけど」を使う若者は平安王朝のようなゆったりとした時間を過ごしているのでしょうか?しかしそれもつかの間の幻であり、就活の志望動機書でだらだらした文章は厳しく添削され、スピード地獄の社会へ引きずり込まれます。 資本主義っておもしろいんですけど、不健康ですよね。 もっとゆっくりしたいんですけど……。

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