ヒンドゥー 教 仏教。 ヒンドゥー教ってどんな宗教? 〜いつ、どこで、誰が作ったどんな宗教?ヒンドゥー教の基本と特徴をわかりやすく解説!〜

バラモン教(ヒンドゥー教)と仏教の7つの違い

ヒンドゥー 教 仏教

インドでは仏教はヒンドゥー教の一宗派という認識ですよ…。 (インド憲法25条でシーク教、ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンドゥーとして扱われる。 ) ヒンドゥー教の主要な神は、殆ど仏教に名前を変えて存在してますし…。 一応の妥協点としてインドで発生した宗教は、基本的にヒンドゥー教に含まれていると見ていいかも…。 そもそも、多神教なんて基本的に新しい宗教が出来たって、今まで認知されていなかった新しい神様が追加されたんだという程度の認識です。 (新興の神でも信者が多数派になれば、主神の入れ替わりすらありえる…。 ) その外の多神教だって似たり寄ったりですし…。 日本の神道なんて、日本人が信仰してればそれで良しですし…。 ローマの宗教観ではユダヤ教やキリスト教まで包括しようとしてましたし…。 まあ、ヒンドゥー教はイスラム教と過激な迫害の応酬をやりあった関係上、イスラム教徒(および兄弟関係にあるキリスト教やユダヤ教)は含めませんが…。 ヒンドゥー教徒から見れば、仏教とは同じヒンドゥー教徒。 ただし仏教徒から見れば、ヒンドゥー教徒と一緒にされたくないという人(カースト制度などが有るので)もいるでしょう。 結果的に、どちらの立場に立つかの問題です。 ですがヒンドゥー教徒から見た場合、仏教の開祖ブッタの人生は、ヒンドゥー教徒が歩まねば成らない人生(四住期という生活様式をちゃんとなぞっている)の手本であると認識されていて、その為ブッタはヴィシュヌ神が人々に手本を示すために現れた仮の姿だという解釈がされています。

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「キリスト教とイスラム教」・「仏教とヒンドゥー教」の違い

ヒンドゥー 教 仏教

語源と名称 [ ] 「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、でを意味する sindhu に対応する。 「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ 、西欧に伝わり、インドに逆輸入され定着した。 (同じ語がギリシアを経由して西欧に伝わって India となり、こちらもインドに逆輸入されて定着した。 漢訳では、身毒、印度と訳され、玄奘による「印度」が定着している。 )インド植民地時代に大英帝国側がインド土着のを包括的に示す名称として採用したことから、この呼称が広まった。 そのため、英語のHinduは、まず教徒との対比において用いられるのが現在では一般的で、イスラム教徒以外で小宗派 を除いた、インドで5億人を超えるような多数派であるインド的な複数の有神教宗派の教徒の総称である。 同じくヒンドゥー教と訳される英語のHinduismは、最も広い意味・用法ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれていて、では先史文明のまで遡るものであるが 、一般的には、のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す。 このうち仏教以前に存在した宗教を( Brahmanism)、特に時代の宗教思想を( Vedic Religion)と呼ぶこともあるが、これは西欧で作られた呼び名である。 インド哲学研究者のは、これらの用法は、日本の漢訳仏典の中の仏教・内道に対応する婆羅門教(ばらもんきょう)の用法に対応していると言える、と述べている。 ヒンドゥー教を狭い意味で用いる場合、仏教興隆以後発達して有力になったもので、とくに中世・近世以後の大衆宗教運動としての教徒・教徒などの有神的民衆宗教を意識しての呼び方であることが多い。 日本では慣用表記ではヒンズー教、ヒンド教、一般的にはヒンドゥー教と呼ばれるが、時にインド教と呼ばれることもある。 、でも「印度教」と呼ばれるが 、現在のインドはでありはなく、インドでこのように呼ばれることはない。 信者 [ ] 詳細は「」を参照• 地域や 後述 によって信仰形態が著しく異なる• 一般のヒンドゥー教徒は、輪廻などの宗教観念を共有しながらも、長い歴史を経て生活に深く根付いた習慣や(カースト)に従って多様な生活を送っている。 日々の礼拝・儀礼や年中行事や冠婚葬祭の習慣はカーストや土地や信仰する神によって著しく異なる場合が多い。 カーストによるは1950年にインド憲法で禁止されているが、それでもまだ根強く残っている。 多数の言語を話す人々に信仰されている• ヒンドゥー教の聖典「」はので書かれている。 しかし現在のインド人はヴェーダ語から生じた古典ではなく、各地の言語で生活しており、インドは多言語国家である。 インド憲法で公式に認められたは23言語、他に準公用語の英語がある。 例えばがあるではが使われ、隣の(数多くの遺跡があるを州都とする)ではが話されている。 タミル語とテルグ語は言語もも違う。 更にデリーの人はまた別の言葉を話す。 よってヒンドゥー教を「様々な言語を話す人々に信仰されている宗教である」ということも可能である。 アジア地域などにおける信仰の広がり• インドでは人口の81. のでは人口の約9割がと呼ばれる独自の習合宗教を奉じ、、にも相当数の信者が住んでいる。 では1. さらに、インド洋のや南太平洋の、南米ののように、インド系住民が多い国でも信者が多い。 世界全体での信者数を比較してみるとヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多くなる。 ヒンドゥー教の特徴 [ ] インドラ 狭い意味でのヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やを引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきたである。 紀元前2000年頃にがからインド北西部に侵入した。 彼らは前1500年頃ヴェーダを成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。 紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られた。 その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。 (バラモン教もヒンドゥー教に含む考えもある。 )ヒンドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。 その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。 神々への信仰と同時にやといった独特な概念を有し、 に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだ 等を特徴とする宗教である。 (トリムールティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち• :宇宙、世界に実存、実在の場を与える神• ヴィシュヌ:宇宙、世界の維持、平安を司る神• シヴァ:宇宙、世界を創造し、その寿命が尽きた時に破壊、破滅を司る神 は一体をなすとされている。 しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。 ヴィシュヌ神を信仰する派を ヴィシュヌ教、またシヴァ神を信仰する派を シヴァ教と呼ぶ。 ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、に影響を与えている。 以下にヒンドゥー教の特徴を解説する。 ヒンドゥー教の範囲 [ ] インド国内の広義の定義においては、「ヒンドゥー教」にはキリスト教やイスラム教などインド以外の地域で発祥した特定宗教以外のすべての宗教が相当する。 一例として、インドにおいて仏教はヒンドゥー教の一派とされる。 25条では、(ヒンドゥー教から分派したと考えられる)シク教、ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンドゥーとして扱われている。 ヒンドゥー教には極めて様々な、や風習が包括され、かつ体系化されている。 一方でキリスト教に見られるようなや宗教的権威は存在せず、またも居なければ纏まった形の共通の聖典も存在しない。 よってヒンドゥー教徒は多神教、、、、、を自身の思想として自由に選ぶことができる。 ヒンドゥー教の包含する信仰、思想、真理は広範で、そのため「ヒンドゥー教」に包括的な定義を与えることは困難である。 これまでにも、1つの宗教である、1つの風習である、信仰の集合である、生活様式である、と言った具合に様々に定義されてきた。 西洋の言葉上の観点からはヒンドゥー教は、例えばキリスト教等と同様に1つの宗教であるとされているが、インドでは「ダルマ」(dharma)という語が好まれる。 この語はいわゆる「宗教」よりも意味が広い。 特にヒンドゥー教の伝統主義者はサナータナ・ダルマ(Sanatana Dharma、永遠の、あるいは古代のダルマの意)という語を好む。 インド、インドの文化、インドの宗教に関する研究、そしてヒンドゥー教の定義は、植民地主義の利益を目的とし、西洋の持つ「宗教」という概念の枠組みから行われてきた。 1990年以降はこれら西洋のもたらした影響や、それによって生じた変化などがヒンドゥー教の研究者の間でも議題に挙がるようになり 、それは西洋的視点に対する批判へと引き継がれている。 主要な神々 [ ] 3大神はそれぞれ神妃をもち、夫婦共に多様な化身を有する。 ヴィシュヌ神 世界維持の神、慈愛の神、毘盧遮那、盧遮那。 鳥神に乗る。 10大化身と呼ばれる多数の分身を有するが、それぞれの分身にはヴィシュヌ神としての自我は無く、それぞれの自我を持つ。 例えば釈迦は釈迦であって釈迦ではなく、ヴィシュヌ神である。 10大権現という概念の方が理解しやすい。 ヴィシュヌ神の化身。 『』で大活躍する。 ヴィシュヌ神の化身。 叙事詩『』の英雄、民間に人気のある神。 仏教の開祖である釈迦牟尼はヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされている。 ヴィシュヌ神の神妃、富と幸運の女神。 シヴァ神 創造と破壊の神、乗り物は牡牛の、トラの皮をまとい首にコブラを巻く。 しばしばし瞑想する姿で描かれる。 北伝仏教では(に降伏され仏教に改宗したとされる)。 シヴァ神の化身。 など仏教においても信仰される。 北伝仏教では。 シヴァ神の神妃、ヒマラヤ神の娘、穏やかで心優しい。 パールヴァティーの化身の一つで美しい戦いの女神、虎に騎乗して水牛に化けた悪魔を倒す美しい神像が有名。 パールヴァティーの化身の一つで荒々しい殺戮の神。 しばしば多くの生首を首、腰に巻き付け殺戮に狂う荒神の像で現される。 (カルカッタ)の地名はカーリーから来ている。 ブラフマー神 形而上および現実に存在する全てに対して実存する為の縁起を与える神。 神であれ、人であれ、実存しているのならばブラフマーの働きに依存している。 神学的哲学の根元。 擬人化され水鳥に乗った老人の姿で表される。 北伝仏教では。 新義真言宗では大日如来。 釈迦もしばしば言及したとされる。 ブラフマー神の神妃、北伝仏教では。 3大神は、信者個人の信仰においては並立しているわけではない。 たとえば「シヴァ神」を最高神と崇める人にとって、「ヴィシュヌ神」は劣位ではあるが敬うべき神である。 また神話の中で3大神の化身と共に活躍する神や、3大神の子神も信仰されている。 シヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。 富と繁栄、智恵と学問を司る。 北伝仏教では(聖天)。 外見が猿の神、叙事詩『ラーマーヤナ』でラーマ王子を助けて活躍する。 身体の大きさを自由に変えられる。 の元になったと考えられる。 雷神、天空神。 『』の中心的な神で、古くバラモン教の時代には盛んに信仰された。 北伝仏教では。 恋愛、性愛、和合を司る神。 インドのにヒンドゥー教の神々の多様な神像が収蔵・展示されている。 四住期 [ ] 四住期()とはヒンドゥー教独特の概念で、最終目標の解脱に向かって人生を4つの住期に分け、それぞれの段階ごとに異なる目標と義務を設定したもの。 なお四住期は、上位ヴァルナの、、にのみ適用され、(一生族)である及びには適用されない。 四住期について概略を示す。 から入門式(8 - 12歳)までは四住期に入らず、この間は一人前の人間とは見なされない。 学生期 - 本来の意味は、特定の師匠(グル)に弟子入りしてヴェーダを学習する時期であったが、クシャトリアは武人としての技能の鍛錬や統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャものに関する勉強も行った。 現在では就学期間に相当。 家住期 - 学生期を終えると家業に務め結婚してを養う家住期に入る。 男子をもうけて先祖の祭祀を絶やさないことが重要視される。 このためインドではのようなは受け入れられにくい。 『』は家住期を充実させるための経典である。 家住期において家長は家業を繁栄させて大いに儲け、その金を喜捨することも重要と考えられている。 林住期 - 家住期を終えると解脱に向けた人生段階に入る。 の誕生を見届けた家長は家を離れて荒野や林に住み、質素で禁欲的な生活を営む。 遊行期 - 林住期を終えると住まいを捨てて遍歴となって放浪し、解脱を目指す。 過去においても現在でも、全てのヒンドゥー教徒が四住期を全うするわけではない。 ちなみに仏教の開祖釈迦も当時のバラモン教の教えに従い、四住期に則った人生を送っている。 即ち男子をもうけた後、29歳でのの地位を捨て林間でをし、その後を開いての旅に出ている。 業と輪廻 [ ] 詳細は「」を参照 業(カルマ) はサンスクリットで 本来は行為の意味。 因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、に伴って、代々伝えられると考えられた。 「」にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。 宿業思想に発展し、一種の運命論となった。 中国、日本の思想にも影響を与えている。 業はインドにおいて、古い時代から重要視された。 ヴェーダ時代からウパニシャッド時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀位までの間にしだいに固定化してきた。 輪廻(サンサーラ) ヒンドゥー教では、輪廻を教義の根幹とし、信心と業(カルマ、 karman)によって次の輪廻()の宿命が定まるとする。 具体的には、(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。 生き物は、行為を超越する段階に達しないかぎり、永遠に生まれ変わり、来世はの業(行為)によって決定される。 これが、応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されて一部のインド人の死生観・世界観を形成してきた。 カースト [ ] 詳細は「」を参照 身分(ヴァルナ)と職業(ジャーティ) [ ] ヒンドゥー教の特徴のなかで、カースト制度の存在が大きい。 カーストは歴史的に基本的な分類(ヴァルナ)が4つ成立し、その下に職業を世襲する(生まれ・出生)と呼ばれる社会集団が形成されて、例えば「牛飼い」や「」や「」などの職業が世襲されてきた。 結果としてインドには非常に多くのカーストが存在する。 カーストは親から受け継がれるだけで、生まれた後にカーストを変えることはできない。 ただし、現在のの結果によって次の生などの生で高いカーストに上がることができるという。 現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。 基本的な4つのカースト(ヴァルナ)とカースト外の身分には、以下のものがある。 ブラフミン(サンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門・バラモン) 神聖な職についたり、を行うことができる。 バラモンというのは「ブラフマン(梵)を有するもの」の意味で自然界を支配する能力を持つものとされている。 「司祭」とも翻訳される。 本来のバラモン層は下層集団が持たぬ知識、認識及び、その発見方法としての母 汎 知識 例えば数学 の存在を発見し、蓄積、独占した集団である。 (クシャトリヤ) やなど武力や政治力を持つ。 「王族」、「戦士」とも翻訳される。 釈迦がこの階層に生まれた• ヴァイシャ 、、、及びなどの職業につくことができる。 のちには主として「商人」を指すようになった。 シュードラ(スードラ) 古代では、一般的に人が忌避する職業のみにしか就くことしか出来なかったが、時代の変遷とともに、中世頃には、ヴァイシャおよびシュードラの両ヴァルナと職業の関係に変化が生じ、ヴァイシャは商売を、シュードラは農牧業や手工業など生産に従事する広汎な「大衆」を指すようになった。 「労働者」とも翻訳される。 ヴァルナをもたない人びと• ヴァルナに属さない人びと(アウト・カースト)もおりアチュートという。 「(アンタッチャブル)」とも翻訳される。 不可触賎民は「指定カースト」ともいわれる。 1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。 彼ら自身は、自分たちのことを『ダリット』 Dalit と呼ぶ。 ダリットとは壊された民 Broken People という意味で、近年、ダリットの人権を求める動きが顕著となっている。 カーストによる差別は1950年に憲法で禁止されている。 改宗 [ ] 他宗教からしてヒンドゥー教徒になることは可能である。 しかし、そこにはがある。 カーストは親から受け継がれ、カーストを変えることが出来ない。 カーストは職業や身分を定める。 他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストであるシュードラにしか入ることができない。 生まれ変わりがその基本的な考えとして強くあり、次の生まれ変わりで上のカーストに生まれるしか方法はないと経典には記されているのが特徴である。 そのため改宗による移動を行えないという点がある。 ヒンドゥー教からイスラム教や仏教へと改宗する場合は、下位のカーストの者が差別から抜け出すためであることが多い。 しかし、皮肉にもイスラム教徒や、パキスタン人の間にも若干のカースト意識は有ると言われている。 カーストはヒンドゥーに限らず、イスラム教徒や仏教徒なども含めた全インド文化に共通する意識であるとも言える。 河川崇拝 [ ] 詳細は「」を参照 ヒンドゥー教はを旨とし、そのためを忌避するのでの人が多い。 しかし、身分やしきたりによってその度合いが異なる。 一般的な菜食は植物に加えても可とする人と、鶏卵を不可とする人がいる。 また上位カースト階級には、収穫の際に地中の生物を殺す惧れのあるなどの類を不可とする人もいる。 いずれの場合もおよびは良く食べられる。 ところがによっては祭りに際し犠牲獣を供することがある。 その際、宗教儀式にしたがって神に捧げられたなどの犠牲獣の肉を「お下がり」として食べる場合もある。 しかし、どのような場合においても牛、特には神話にも出てくる聖獣で絶対に食べない。 一方、同じ牛でもは次々と姿を変える悪魔の化身の一つであることから、コブ牛との扱いには差があり、家畜として使役され、その肉は品にされている。 聖牛崇拝 [ ] 牛の各部分が特定の神格を具体化しているというヒンズー教の教えを示した図、作「84柱の神格を持つ牛」。 牛の保護を訴えるパンフレットの一部より ヒンドゥー社会においては崇拝の対象となっている。 ヒンドゥー教徒でインド思想研究者のベンガル人 ()は、民衆ヒンドゥー教における牛の神聖視の起源は、まったくわからないと述べている。 神話にもたびたび牛が登場し、たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である。 実社会でも牡牛は移動・運搬・農耕に用いられ、牝牛は乳を供し、乾燥させたは貴重な燃料()となる。 ただし聖別されているのは主として瘤牛であり、は崇拝の対象とはならない。 ヒンドゥー神学では、牛の神聖性は輪廻と結びついている。 ヒンドゥー教の輪廻の考え方は上下87段の階梯構造となっているが、最上段の人間に輪廻する1つ前の段階が牛であり、牛を殺した者は輪廻の階梯の最下段からやり直さなくてはならなくなると言われる。 また、ヒンドゥー神学者は牛には3億3千万の神々が宿るとし、牛に仕え、牛に祈ることはその後21世代に渡ってをもたらすという。 リグ・ヴェーダの時代には牛は富裕な階層が蓄える富のひとつであり、祭礼や戦勝祝いなどの饗宴の際には、ブラフマン祭司の監督下のもとに行われる儀礼的な屠殺の後に振る舞われた。 時代が下り、人口が増え戦乱の時代が続くようになると、牛は気前よく振る舞うにはコストが掛かり過ぎる貴重品となり、としては高位カーストの独占物となった。 ごろ、ジャイナ教と仏教が勢力を伸ばし始める。 これらの宗教は不殺生を標榜し、動物供犠や屠殺を非難して低位カーストの支持を集めた。 その後9世紀にわたってヒンドゥー教と不殺生宗教の抗争は続いたが、インドにおいてはヒンドゥー教が勝利した。 抗争の過程でヒンドゥー教側も牛の保護者を標榜するように変質し、非殺生の教義を取り入れていた。 民衆の牛への崇拝はのきっかけとなったとも言われ、が牛への帰依心を言及したことも、彼が民衆から聖人のような名声を得る理由のひとつとなっている。 ヨーガ [ ] 庭園に坐すヨーギー ヒンドゥー教の修行としてが挙げられる。 ヨーガは『心身の鍛錬によって肉体を制御し、精神を統一して人生究極の目的である「解脱」に至ろうとする伝統的宗教的行法のひとつである』。 ヨーガはヒンドゥー教の専有物ではなく、インドの諸宗教で実践されており、仏教に取り入れられたヨーガの行法は中国・日本のなどの修行法にもつながっている。 ヴェーダの権威を受け入れ、ブラーフマナ(バラモン、司祭)階級の社会的階層の優位を容認する諸学派は「正統バラモン教」と認められ、その6系統のうちは、心身を鍛錬しヨーガの修行で精神統一を図ることで、解脱に達することを説いた。 正統バラモン教の各学派も、その学派の教学を学ぶことと並行して、ヨーガの修行を行っている。 ヨーガ学派に代表される古典ヨーガの沈思による修行法は、4-5世紀頃に編纂されたといわれるヨーガ学派の教典である『』にも書かれている。 また身体を鍛錬するヨーガは、13世紀に始まる「」と呼ばれる流派がある。 「現代ヨーガの父」と呼ばれる ()(1888年 - 1989年)らによって、などの西洋身体文化をもとに作られたヨーガも、伝統的なハタ・ヨーガに倣って「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるが、古典ヨーガとも元来のハタ・ヨーガとも関係は薄いという。 現在日本で行われている「ヨーガ教室」等の多くはこの流派に入る。 グル信仰 [ ] ヒンドゥー教で重要な位置を占めているのが、(サンスクリット語で、重いもの、闇から光へ導くもの、木星、導師という意味)である。 グルはヨーガの修行を成就するにあたって、必要不可欠なものとされ、尊敬と崇拝を集めている。 女性 [ ] 『』では、女性はどの(身分)であっても、入門式(ウパナヤナ)を受けてヴェーダを学ぶ男子として「再生」する(二度生まれる者、再生族)ではなく、入門式を受けられず一度生まれるだけの(一生族)とされていた(隷民)と同等視され、女性は再生族である夫と食事を共にすることはなく、祭祀を主催したり、を唱えることも禁止されていた。 解脱を目指して修行する行者も男性である。 少女、若い婦人、あるいは老女すらも、何事をも独立になすべきではない。 たとい、家庭内においても。 婦人は幼児期にはその父に、若いときはその夫に、夫が死亡したときには、その息子に従うべきである。 婦人は独立性を得るべきではない。 マントラ(真言)で浄化されて結婚する夫は、その妻に、妊娠に適する時期においても、適さない時期においても、現世においても、また来世においても常に幸福を与えるであろう。 行状が悪く、あるいは放縦、あるいは美徳を欠いているとしても、貞節な妻は、夫を常に神のように尊敬すべきである。 (『マヌの法典』) ヒンドゥー教のや浄性に関する価値観において女性の位置づけは低く、一般的に無知で不浄で社会的にも霊的にも劣っていると考えられてきた。 とはいえ、女神信仰や思想には女性性への強い崇拝が見られ、女性がいかなる信仰・思想でも例外なく劣位であったとも言い難い。 『リグ・ヴェーダ』では家庭で妻が神事を司るよう説かれ、『マハーバーラタ』では妻が神を祭るのに適しているとされた。 『ウパニシャッド』には、最も高度な討論で女性が主導権を握る例が複数あり、『マハーバーラタ』の王であり勇ましい女戦士の物語など、ヒンドゥー教の聖典・古典が例外なく女性に対して抑圧的なわけではない。 中世に女性は家事に専念することが求められるようになり、社会的地位はかなり悪化した。 これがイスラム教や中東地域の習慣の影響なのか、インドのヒンドゥー教社会内部の変化によるものなのか、明確にはわからない。 社会的地位にしろ、価値にしろ、近代インドにおいてヒンドゥー教とイスラム教の女性に差はなく、両者とも社会的にも経済的にも完全に男性に依存していた。 伝統的な価値観において、妻や母としての女性の役割はしばしば称賛されたが、個人としての女性の社会的地位は極めて低かった。 夫との関係性以外に個性は全く認められず、夫の付属物として扱われ、従属を名誉として受け入れるよう教えられ、生まれ持った才能や望みを表現する手段はなかった。 当主としてインドール藩王国を統治した女性など政治の場で活躍した個性的な女性もいたが、例外であり、全体を変えることはなかった。 上流階級の女性が屋外で働くことはタブーであり、北インドでは女性を隔離する制度の下で生活した。 農村の女性にはパルダ制度はなく、男性と共に野良仕事をしていたため、上流階級の女性より相対的に自由で、男性に対する地位も高かった。 女性としての規範通りに生きれば、良き母良き娘として尊敬され、戦争や混乱の中でも、女性は乱暴されることもなく、丁重に扱われ、人混みの激しい場所に一人で出かけても危険はなかったという。 ヒンドゥー教の立法者達は妻の地位をかなり制限しており、一般的に女性の財産所有権は否定されていた。 後代の立法者達は、男性のみに高等教育を受ける権利を認めようとし 、ほとんどの女性に教育を受ける権利はなかった。 19世紀に、イギリスの支配から脱しようと様々な社会運動が行われるようになると、西洋の平等や個人主義の理念の影響を受け、女性の地位改善も叫ばれるようになり、20世紀になると、急進的な民族運動の台頭でさらに運動は活発化した。 インドが独立すると、インド憲法で男女の完全な平等が保証された。 男女の不平等は多くの形で残されているが、両性の平等に向けた運動が続けられている。 結婚 [ ] 幼児婚が全国的に見られ、7、8歳、時に3、4歳で結婚する女性もいた。 結婚はすべて家長が決定し 、同じ()の内部で結婚する。 少年少女の自由な交流は禁じられていた。 近世インドは基本的に家父長制であり、家族を年長の男子が支配し、男系相続だった。 ケーララ地域に例外的に母系制がみられた。 イギリスからの独立までが許されていたが、裕福なもの以外は一夫一婦制が普通だった。 は厳禁とされていた。 上流階級では、結婚には莫大な持参金()を持たせる習慣が広くあり、ラージプータナーやベンガル地域で特に行われていた。 高カーストの女性は再婚が許されなかった。 一方、男性と共に野良仕事をする農村の女性は、多くが再婚の権利を持っていた。 寡婦の生活は悲惨なもので、禁欲的で厳しい規則に縛られ、現世の幸福をすべて捨て、亡き夫の家族や自分の兄弟の家族に滅私奉公することが求められた。 夫が死亡した場合に、妻が夫の遺体と共に焼かれ殉死するという儀礼があり、これはラージプータナー、ベンガルその他の北部インドを中心に行われていた。 主な宗派 [ ]• 派生した宗教 [ ]• 歴史 [ ] ヒンドゥー教はキリスト教やイスラム教のような、特定の開祖によって開かれたものではなく、の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化したものと考えられている。 したがってヒンドゥー教がいつ始まったかについては見解が分かれている。 リグ・ヴェーダ ヴェーダは「知る」という意味のサンスクリット語に由来し、宗教的知識を意味する。 さらには、その知識を集成した聖典類の総称となっている。 最も古い『リグ・ヴェーダ』は紀元前1,200年から1,000年頃にインド北西部のでによって成立したと考えられている。 ヴェーダの内容は下記のように分類されるが、狭義にはのみを指す。 サンヒター(本集)• 『リグ・ヴェーダ』(賛歌)• 『』(歌詠)• 『』(祭詞)• 『』(呪詞)• (祭儀書)• (森林書)• ウパニシャッド(奥義書) リグ・ヴェーダには登場する神々の多くは、自然界の構成要素や諸現象、その背後にあると思われた神秘的な力を神格化したものである。 多数の神が登場するが、その中で重要なのは雷神インドラ(日本では帝釈天)、(火の神)、であった。 現在では前述のヴィシュヌ神等に押されて影が薄い。 『リグ・ヴェーダ』に登場する神々は、各々が独立した個性を有しているわけではなく、属性や事績を共有することが多い。 また狭義のヒンドゥー教で見られる人格神的な形態を取らず、神像や恒久的な寺院建造物の存在も確たる証拠は見つかっていない。 バラモン教の祭祀は具体的な目的に対して行われ、バラモンが規定に則って空き地を清め、そこに目的に応じた特定の神を招き、供物や犠牲を祭壇の火炉に捧げる「供犠」が主体であった。 現在のの基本となる「」「不滅」「輪廻」などの諸観念の淵源は、ウパニシャッドが完成した頃まで遡ることができる。 ウパニシャッドは紀元前800 - 500年頃にガンジス川流域で作られたインド古代哲学の総称である。 なおヴェーダに登場する神(造物や工巧の神)は、現在でも物造りの神様として、インドの各工場で祀られている。 現在この神の祭りは毎年9月17日に行われている。 バラモン教からヒンドゥー教へ [ ] バラモン教は、インドを支配するアーリア人の祭司階級バラモンによる祭儀を重要視する宗教を指す。 紀元前5世紀頃に、バラモン教の祭儀重視に批判的なとが成立した。 更にインド北西部は紀元前520年ころにはペルシア、前326年にはに支配された。 その後仏教は(在位紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の帰依などにより一時期バラモン教を凌ぐ隆盛を示した。 この時期にヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」からの変貌を迫られ、インド各地のの土着宗教を吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していった。 このため広義のヒンドゥー教にはバラモン教が含まれる。 ヒンドゥー教にはバラモン教の全てが含まれているが、ヒンドゥー教の成立に伴って、バラモン教では重要であったものがそうでなくなったり、その逆が起きたりなど大きく変化している。 紀元後4世紀頃、がガンジス川流域を支配した。 グプタ朝は(在位紀元385年 - 413年)に最盛期を迎えるが、このころに今もヒンドゥー教徒に愛されている叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がまとめられるなど、ヒンドゥー教の隆盛が始まった。 また東南アジアの「」に伴い、5世紀頃から中国の史料にヒンドゥー教に関する記述が見られる。 以降、島嶼部ではやなど、大陸部ではなどで栄えた。 では12世紀前半まではヒンドゥー教のシヴァ派とヴィシュヌ派が立国の思想となっていた。 六派哲学 [ ] バラモン教は上記のように具体的な目的に対して神に「供犠」を捧げる、いわば「ギヴ・アンド・テイク」の宗教であったのに対し、ヒンドゥー教ではのような至高の神への絶対的帰依(「バクティ」と呼ぶ)に基づく信仰態度が多くの大衆に受け入れられ始めた。 この時期にと呼ばれるインドの古典哲学が確立し、互いに論争を繰り広げた。 インドの学問のおよそ全般は、輪廻からの解脱を究極の目的とし、宗教的色彩が濃く、固有の思想体系を伝える哲学学派も、宗教の宗派とほとんど区別することができない。 - 多数の実在を認め、物質を無数の原子からなるものと規定した。 - 実在を認めつつ、主宰神「シヴァ神」の証明を試みた。 - 世界は精神と物質から成るとした「二元論」を展開した。 純粋精神が物質から離れた時に「解脱」が達成されるとし、最高神の存在を認めない。 - 教説のかなりの部分をサーンキヤ学派と共有するが、最高神の存在を信じる。 「解脱」の手段としてのヨーガの行法を発達させた。 - ヴェーダの「供犠」を受け継ぎ、正しい祭祀が(神を通さず)直接果報をもたらすものとした。 - 根本聖典『ブラフマ・スートラ』に則りを追求した。 この学派がその後のヒンドゥー教の正統派の地位を継続している。 不二一元論とバクティ [ ] 詳細は「」および「」を参照 ヴェーダーンタ学派の思想の中で最も有名なものにがある。 これは、精神的実在である(梵)または(我)以外に実在する物は無い、言い換えれば「今目の前にある世界は幻影に過ぎない」という思想。 この思想を突き詰めてゆくと、(700年 - 750年頃)の説くように「ブラフマンは人格や属性を持たないもの」となり、無神論的一元論に達する。 この教義は現在でもヒンドゥー教の正統派としてインドの5箇所の僧院で代々「」の名を継承する学匠によって不二一元論の法灯が維持され続けている。 シャンカラ後の不二一元論は、11世紀の神学者による被制限者不二一元論、13世紀の神学者 ()のへと発展していった。 現代インドの(伝統的スタイルのバラモン学者)の大部分はヴェーダーンタ学徒で、その八割以上はシャンカラ派に属していると言われる。 ヴェーダーンタ哲学がその2000年以上の歴史において、インドの宗教、文化、社会、政治等に及ぼした影響は非常に大きい。 5世紀〜10世紀のでは「至高の神への絶対的帰依」、「自己犠牲をいとわない神への奉仕」を信仰の柱とする バクティと呼ばれる信仰形態が顕在化し始めた。 このバクティに関して、12世紀から13世紀にかけてヴェーダーンタ学派の学匠達によって「ヴィシュヌ神」を崇拝する信仰が理論化された。 バクティーは一般庶民の信仰形態として現在まで広く行われている。 不二一元論とバクティは正反対とも言える形態だが、現在のヒンドゥー教の中では問題なく同居している。 その後のヒンドゥー教 [ ] のヴィシュヴァナータ寺院(1002年頃)シヴァ神を祀る。 寺院の壁面には多数の彫刻が浮き彫りされている その後ではイスラム教徒の征服王朝が交代する時代に入る。 など北インドの著名な文化財はイスラム教様式である。 しかし庶民や南インドの王朝はヒンドゥー教を信奉した。 ヒンドゥー教では ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが3大神とされた。 各神は多様な側面を持ち、その性格は一様ではない。 その中でヴィシュヌやシヴァは民間宗教の神を取り込んでゆき、多様な神話を通じて多くの信徒を有している。 ヒンドゥー教の複雑さ・分かりにくさの一例として、たくさんの神々を崇める多神教としての姿、シヴァまたはヴィシュヌを至高の神とする一神教的な姿、教理を哲学的に極めた不二一元論のような無神教としての姿のすべてを内在している点が挙げられる。 インドがのとなって久しいに、を中心に知的エリート層によってキリスト教とヒンドゥー教の知的交流が盛んになり、西欧的なに基づいて、インドの近代化とヒンドゥー教の復興・改革を目指す ()が起こった。 インドの歴史的個性・古典・文化のすばらしさが説かれ、ヒンドゥー教の近代的解釈を行って信仰態度を確立し、 ()で民衆に自信と勇気を与え、「インド」を認識し、ナショナリズムを盛り上げた。 こうした現代ヒンドゥー教の改革運動を担った人々は、多くが上部カースト出身のインド人だったが、ののような外国人もいた。 のちに「ヒンドゥー・ルネサンス」「 ()」と呼ばれる改革の創始者は、「近代インドの父」とも呼ばれるである。 バラモン階級出身でウパニシャッドの影響を受けていたローイは、の影響も受け、神は超越的な存在であり聖像などで表現し得ないものと信じ、宗教は合理的で倫理的な体系であるべきであり、道徳法は理性によって理解されるべきと考えた。 ローイの兄の妻は(寡婦殉死)で死亡しており、彼はこれに大きなショックを受けたと言われ 、サティーや幼児婚といったヒンドゥー教の慣習を非道徳な儀式として非難し、1829年のサティー禁止法の発布に影響を与えた。 また、聖像礼拝やカルマ、といった概念をとして、キリスト教の改革運動をモデルとした(ブラフモ協会)という宗教団体を設立した。 ローイは訪英中に客死してしまうが、その仕事は ()や ()に引き継がれた。 やを否定するブラフモ・サマージの思想は知識層の関心を集めたが、大衆レベルではまったく人気が無かった。 1875年にローイの影響を受けた ()は、ブラフモ・サマージに内在する民族主義を発展させた(アーリヤ協会)を発足させた。 アーリヤ・サマージはヒンドゥー教を純粋なヴェーダの形態に戻すべきと主張し、ヴェーダ文化を振興させる活動を通じてインドの国民意識を喚起した。 アーリヤ・サマージは教育面での貢献が大きく、インドの初代首相は、「抑圧された階級の地位をあげ、女子の状態を改良し、少年、少女の教育のためにアーリヤ・サマージは多くの仕事をした」と評価している。 また、ロシア人オカルティストのらによるは、本拠地をアメリカからインドに移し、ヒンドゥー教や仏教思想を取り入れて、(輪廻)や(業)を強調した神秘思想を説いた。 インドには聖者とされた人々が数多あるが、その内にはブラヴァッツキーに始まる近代(接神論)の者もおり、彼らは外国人ながらインド独立運動に関わり、2代目会長のは国民会議の年次大会議長になる等、インド・ナショナリズムの運動に大きな影響を及ぼした。 なお、は、神智学協会を疑似ヒンドゥー教であるとしており、真面目な宗教運動であったか疑問視する声もある。 一方で、運動の直接の影響を受け、ローイらのように西洋式教育を受けていない田舎のバラモンであったは、聖典に興味を持つこともなく、純粋なバクティを説き、複雑な神学体系なしに、知性ではなく純粋な信仰を捧げることで神に近づこうとした。 彼の信仰は女神へのバクティを中核とし、的な性格を持つが 、やキリスト教の修行も実践して様々な神を見たとされ、易々と神秘体験に入り得ることで注目を集め、『世界の全ての宗教は神に至る道』 と説いた。 その神秘体験と、子供のような特異な人格で多くの人を魅了し、彼の影響下でブラフモ・サマージの流れとも異なるヒンドゥー教改革運動が生じた。 弟子のは、ヒンドゥー教はであると主張して、各々の宗教の寛容を強調し、神性の本質は各個人の内にあり、ヒンドゥー教の実践を通じて理解できると主張し、宗教統一理論をもとにヒンドゥー教を再構築した。 ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴで開かれた ()に参加してヒンドゥー教をのひとつとして認めさせることに貢献し 、1895年にはとを創設し、世界に(不二一元論)を根幹とする ()を布教し、インド内で社会奉仕活動を行った。 教典 [ ] 詳細は「」、「」、「」、「」、および「」を参照 古代のヒンドゥー教の聖典はサンスクリット語で書かれている。 そしてこれらは ()(天啓)と ()(聖伝)の2種類に大別される。 ヒンドゥー教の聖典は何世紀にもわたり口承にて編纂され、記憶され、そして世代を超えて伝承され、後に文字に起こされた。 何世紀にもわたり(聖仙)たちは教義を磨き上げ、それをシュルティとスムリティに展開した。 さらにはの6学派は、の理論をと呼ばれる書物にまとめた。 シュルティ(聞かれた物の意 )は通常ヴェーダのことを指す。 ヴェーダはヒンドゥー教の聖典の中でも最も早い時期に記録されたもので、古代のリ(聖仙)たちに明かされた永遠の真実が記されていると考えられている。 ヴェーダにはリグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダの4つが存在し、それぞれのヴェーダはさらにサンヒター(賛歌、祈り)、アーラニヤカ(儀式、祭祀について)、ブラーフマナ(儀式、祭祀の解釈)、ウパニシャッド(瞑想、哲学について)の4つの部門に分けられる。 ウパニシャッドはヒンドゥー哲学の基礎であり 、シュルティの中でも特に優れた聖書であるとされ、その基本理念は後の時代のヒンドゥー教哲学や信仰にも継続的に影響を与え続けている。 は、ウパニシャッドは歴史に登場して以来ずっと支配的な役割を果たしていると語っている。 ヒンドゥー教には108の ()が存在し、学者よって幅があるがそのうちの10から13は特に重要なものとして ()と呼ばれる。 最も重要なスムリティ(記憶されたものの意)はヒンドゥー叙事詩とである。 具体的にはマハーバーラタとラーマーヤナがヒンドゥー叙事詩であり、マハーバーラタにその一部として含まれているはもっとも一般的なヒンドゥー教の聖典の1つであり 、ヒンドゥー教徒の信仰生活を実質的に規定してきた。 バガヴァッド・ギーター(「神の歌」の意)は時にウパニシャッドとみなされギートパニシャッド(Gitopanishad)と呼ばれる。 そのためシュルティに数えられることもある。 またラーマーヤナは ()、マハーバーラタは ()という名で歌舞劇にされており、各地で祝祭に合わせて上演される伝統がある。 一方のプラーナ文献はおよそ西暦300年あたりから編纂されはじめ 、広範な神話を含む。 これらはヒンドゥー教の共通のテーマを、生き生きとした物語を通して人々に伝えるという役割を担い、布教の中心となっている。 またヨーガについて記された古典、ヨーガ・スートラは20世紀になって再評価されている。 19世紀のヒンドゥー教現代主義者らはヒンドゥー教のアーリア人起原の要素を再評価し、(密教)の影響をうけたヒンドゥー教を純化しようという試みのなかで 埋もれていたヴェーダの要素を強調した。 たとえばヴィヴェーカーナンダは、たとえそれが古代のリシ(聖仙)たちに明かされたものでないにしても、ヴェーダは精神世界の法律であるという立場をとった。 タントリズムでは「 ()」という語が彼らにとって権威のある聖典全体を指す言葉であり、また同時にシヴァがシャクティに語った教えを意味する。 一方で「ニガマ」(Nigama)という語はヴェーダを意味し、同時にシャクティがシヴァに語った教えを意味する。 アーガマ派(聖典シヴァ派)ではアーガマをヴェーダと同等なものとして同様に重視している。 聖地 [ ] ワーラーナシーにおける沐浴 ガンジス川添いには沐浴場(ガート)が設けられた聖地がある(以下は上流側から順に記載)。 (リシケシ、リシュケシュ) - 沐浴場のほかヨガの道場(アーシュラム)も多く存在し、のメンバーも一時滞在した。 (ハルドワール)• (バラナシ、バナーラス、ベナレス) - 北インド中央、ガンジス川左岸に位置するガンジス川最大の沐浴場。 4大巡礼地• インド東部、沿いに位置するヴィシュヌ神の町。 がある。 バドリーナート・ 北インドにある。 (ドワーラカー) インド西部にある。 南インドにある。 他には、神話の舞台や由緒ある寺などが聖地とされている。 - 『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷。 マトゥラー - ヴィシュヌ神の化身クリシュナの生誕地。 - インド南部の聖地、7世紀頃から栄えたため、古い寺院が多く残っている。 遺跡 [ ]• - インドネシアのにある。 世界遺産の1つ。 プランバナン寺院には、かつて約240もの祠堂が建てられていたそう。 その後、地震やムラピ山の噴火などでそのほとんどが崩壊。 現在は、大小合わせて18の祠堂が修復、再建されている。 中心にそびえ立つのはヒンドゥー教の3大主神、ブラフマ(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)の3つの祠堂。 - にある。 世界遺産の1つ。 祭礼 [ ] デリー近郊の民家のディワーリー祭の灯明、戸口に幸運の女神を呼び込む明かりが灯される ヒンドゥー教の祭りはウツァヴ(: Utsava、「高く上げること」の意)と呼ばれ、個人と社会生活をダルマ(法)と結び付ける儀式とされている。 年間に多くの祭りが開催され、日取りは()に従って定められる。 これらは(ホーリー)か(ディワーリー)、または季節の変わり目を起点にして開催されるものが多くみられる。 地域ごとに限定され彼らの伝統を祝う性質の祭りも存在するが、一方でや、は汎ヒンドゥー教的性格を持ち、国を越えたヒンドゥー教文化圏全土で祝われる。 「色祭り」として知られるホーリー祭は、ヒンドゥー教の春の祭典。 祭りの期間中、参加者たちは音楽に合わせて踊り、お互いに色粉を投げつけ合う。 ヒンドゥー教の祭りは通常宗教的なテーマや、例えばのような家族の絆を祝うといった側面を持っている。 同じ祭りでも宗派によって違うストーリーを背景に持っている場合もあり、また、地域ごとのテーマ、伝統農業や地域の伝統芸能、家族の集まりや、 () (お祈り)、祝宴を取り込んでいる場合もある。 主な祭りを以下に紹介する。 ホーリー祭: 春の祭り、ヒンドゥー教3大祭りの一つ。 ラクシャー・バンダン: 女性が兄弟の右腕にお守り紐を巻きつけて加護を願う祭り。 : 西インドで開催される象頭の神ガネーシャの祭。 各家庭では、毎年新しく神像を購入して祭った後、像を川に流す。 ムンバイなどの都会では巨大な神像が町を練り歩く• ダシェラ祭: ヒンドゥー教3大祭りの一つ。 ラーマ神が悪魔を倒したことを祝う。 ガンジス川流域では悪魔を倒すドゥルガー女神像を祭る「ドゥルガー・プージャ」が盛大に行われる(左写真参照)。 : ヒンドゥー教3大祭りのひとつ。 富と幸運の女神ラクシュミーを祭る。 家業の繁栄を願い家の戸口に灯明を飾って祝う。 ダシェラ祭やディワーリー祭には都会に働きに出ている人も実家に帰る事が多い。 : シヴァ神の祭り。 シヴァとパールヴァティが結婚した日とされている。 : のお祭り。 を祝う。 : ドゥルガーのお祭り。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 徒・徒、教徒・徒・徒など。 少数派といっても一千万人以上、少なくとも数百万人の新教徒がいる。 as a "religion", "set of religious beliefs and practices", "religious tradition", "a way of life" , pp. 12—13 etc. For a discussion on the topic, see:"Establishing the boundaries" in , pp. 1—17• ウィル・スイートマン(Will Sweetman)は以下を例として挙げている。 Wilhelm Halbfass 1988 , India and Europe• IXth European Conference on Modern Asian Studies in Heidelberg 1989 , Hinduism Reconsidered• (), Imagining India• () and (), Orientalism and the Postcolonial Predicament• Vasudha Dalmia and (), Representing Hinduism• (), The Heathen in his Blindness... (), Aryans and British India• Richard King 1989 , Orientalism and religion• 文献の上では、『マハーバーラタ』に5人の夫を持った王女の物語がある。 出典 [ ]• 12-13. 『インドを知る事典』 22頁。 現在の人口や国別統計は「」を参照• 『インドを知る事典』 25頁。 ルヌー, ルイ 1991 , 『インド教』, ・美田稔訳, ,• 『インドを知る事典』 23頁。 『インドを知る事典』 23頁。 『インドを知る事典』 40頁。 『インドを知る事典』 26頁。 () 2009 , Hindus:Their Religious Beliefs and Practices, 2nd Edition, Routledge, , page 8;Quote:"... one need not be religious in the minimal sense described to be accepted as a Hindu by Hindus, or describe oneself perfectly validly as Hindu. One may be polytheistic or monotheistic, monistic or pantheistic, even an agnostic, humanist or atheist, and still be considered a Hindu. Lester Kurtz Ed. , Encyclopedia of Violence, Peace and Conflict, , Academic Press, 2008• MK Gandhi, , Editor:VB Kher, Navajivan Publishing, see page 3;According to Gandhi, "a man may not believe in God and still call himself a Hindu. , p. Knott, Kim 1998. Hinduism:A Very Short Introduction. Oxford: Oxford University press. 117. , p. 12-13. , p. 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 192頁。 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 227頁。 『神話と芸能のインド』 66頁。 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 124頁。 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 103頁。 , p. 188. 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』165-182ページ• 49-74. 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 288頁。 , p. 116. , pp. 116-117. 伊藤雅之「現代ヨーガの系譜:スピリチュアリティ文化との融合に着目して」『宗教研究』84 4 、日本宗教学会、2011年3月30日、 417-418頁、。 マーク・シングルトン 『ヨガ・ボディ - ポーズ練習の起源』• , pp. 191-192. , p. 271. 182-183. 236-237. 42-43. 237-238. , pp. 58-59. 『インドを知る事典』 27頁。 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 73頁。 , pp. 30-31. 『インドを知る事典』 34頁。 『インドを知る事典』 36頁。 『インドを知る事典』 30頁。 青山亨、「」 南アジア研究 2010年 2010巻 22号 p. 261-276, :• 石澤良昭、「」 東南アジア -歴史と文化-, 2002年 2002巻 31号 p. 3-26, :• 『インドを知る事典』 41頁。 , p. 45,50-51. 250. 『インドを知る事典』 43-45頁。 , p. , pp. 31-32. , p. 340-341. 174-175. , pp. 207-208. 森本達雄『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』 375頁。 Rigveda is not only the oldest among the vedas, but is one of the earliest texts. 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Jessica Frazier 2015 , The Bloomsbury Companion to Hindu Studies, Bloomsbury Academic, , pages 255, 271-273• 『神話と芸能のインド』 133頁。 参考文献 [ ]• マーク・シングルトン 『ヨガ・ボディ - ポーズ練習の起源』 喜多千草訳、大隅書店、2014年、• () 編『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、、2009年。 編 『神話と芸能のインド』 山川出版社 異文化理解講座9、2008年、• 山下博司・岡光信子 『インドを知る事典』 東京堂出版、2007年。 『新版 インドを知る事典』 東京堂出版、2016年、• 『ヒンドゥー教巡礼』 集英社新書、2005年、• 山下博司 『ヒンドゥー教 インドという〈謎〉』 講談社選書メチエ、2004年、• 編集室 『インド黄金街道』 株式会社旅行人、2002年、• ()『近代インドの歴史』、2001年。 臼田雅之、・(編)、2000、「ラーマクリシュナと近代インド」、『聖者たちのインド』、春秋社• クシティ・モーハン・セーン『ヒンドゥー教 - インド三〇〇〇年の生き方・考え方』中川正生 訳、、1999年。 『インドの思想』放送大学教育振興会、1997年。 ・井狩弥介編 『インド=複合文化の構造』 法蔵館、1993年、• ジョージ・ミッチェル 『ヒンドゥ教の建築 - ヒンドゥ寺院の意味と形態』 神谷武夫訳、、1993年、• 、、、、1982、「第5章 英領インドにおける思想運動」、『インド思想史』、東京大学出版会• 『近代インドの宗教運動』、1982年。 、、(編)、1967、『講座 東洋思想 1 インド思想』、東京大学出版会• 執筆「第4章 バラモン思想の諸体系 第六節 ヴェーダーンタ」。 執筆「第6章 近代インド思想 第1節 神秘思想の展開」。 Charles Coleman Parbury, Allen, 1832 インド他、日本を含む周辺国におけるヒンドゥー教神話について• 1996 , An Introduction to Hinduism, Cambridge University Press• Sharma, Arvind 2003 , The Study of Hinduism, University of South Carolina Press• Sweetman, Will 2004 , , New Zealand Journal of Asian Studies 6 2 : 12—38 ,• Nussbaum, Martha C. 2009. 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ヒンドゥー教と仏教 (宗教社会学論集)

ヒンドゥー 教 仏教

『ヒンドゥー教と仏教』1916(大月書店、2009) 目 次 第一章 ヒンドゥー教的社会体制 第一節 インドとヒンドゥー教の一般的地位 第二節 ヒンドゥー教の布教方式 第三節 ヒンドゥー教における教義と祭祀 第四節 ヒンドゥー教におけるヴェーダの位置 弟五節 バラモンの位置。 「種族」、「ツンフト」および「身分」への関係におけるカーストの本質 第六節 カーストの社会的等級の概観 第七節 血族の位置とカースト 第八節 カーストの主要部門 第九節 カースト様式とカースト分裂 第一〇節 カースト紀律 第一一節 カーストと伝統主義 第一二節 カースト秩序の宗数的な解脱的意義 第一三節 インドにおけるカーストの歴史的発展条件 第二章 インド知識人の正統的および異端的解脱論 第一節 バラモン的宗教心の反祝宴的〔反狂躁的〕および祭式主義的性格 ギリシア的および儒教的知識層との比較 第二節 律法と自然法問題の欠如と 第三節 インドにおける知識、苦行および神秘教 第四節 シュラーマナ(沙門)とバラモン的苦行 第五節 バラモンの文献とインドにおける科学 第六節 修行法(ヨーガ)宗教哲学の発展 第七節 正統的解脱論 第八節 バガヴァドギーター(聖薄伽梵歌)の解脱論と職業倫理学 第九節 高貴な職業的僧侶の異端的解脱論。 その一、ジャイナ教 第一〇節 高貴な職業的僧侶の異端的解脱論。 その二、古代仏教 第三章 アジア的な宗派宗教心および救主宗教心 第一節 古仏教の転化の一般的根拠 第二節 アショカ王 第三節 大乗仏教 第四節 伝道。 その一、セイロンとインドシナ 第五節 その二、中国 第六節 その三、朝鮮 第七節 その四、日本 第八節 内奥アジアーーラマ教 第九節 インドにおける正系派の復興。 一般的性格 第一〇節 シヴァ派と性標崇拝 第一一節 ヴィシュヌ派とバクティ帰依 第一二節 宗派とグル 宗派とグル【補訳】 第一三節 アジア的宗教類型の一般的性格 【補訳】 解題 事項索引 人名索引 追記: ウェーバーは日本についての記述を主にカール・フローレンツK. Florenzとカール・ラートゲンK. Rathgenを典拠にしていると註にある。 ちなみに、上記古在由重訳は一般に「禁欲」と訳される Askese を「苦行 原語:tapas,carya 行法 」、 「救済」「救拯」と訳される Heil や Soteriologie というドイツ語で「解脱 原語:mukuti,ムクティ 」と訳している。 最初、インドに造詣の深い深沢浩訳が分かり易いだろうと考えて読み始めたが、訳語に違和感があった。 そこで、古在由重訳と比較してみると、意外にも古在訳の方が遥かに読みやすいことに気づいた。 例えば、深沢訳の「物活教的(アニミステイシエンの訳)」は、古在訳で「アニミズム的」である。 深沢訳の「救済論」は、古在訳で「解脱論」である。 私には「救済論」は他力的、「解脱論」は自力的と思える。 ヒンドゥー教は古代インドのバラモン教〔ブラフマン教〕と土着信仰が結びついた宗教である。 バラモン教の源泉である「ウパニシャッド教義」も、仏教の源泉である<釈尊の教法の真義>も自力に特徴がある。 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とは『キリスト教プロテスタント主義の倫理と資本主義の精神』のことである。 本書がその延長線上にあることを考えれば、本来は『ヒンドゥー教および仏教の倫理と資本主義の精神』の考察を目指したものの「資本主義の精神」には結び付かないことが分かって『ヒンドゥー教と仏教』となったように感じる。 そもそも、「ウパニシャッド教義」も<釈尊の教法の真義>も倫理の実現ではなく、聖者の智慧の実現を目指すものである。 そこがキリスト教・ユダヤ教・イスラム教と異なる点である。 『ヒンドゥー教と仏教』は、ヴェーバー在世時に登場した「近代資本主義」の実現要因として「キリスト教プロテスタント主義の倫理」に注目した力作(1916年刊行)である。 それ以来、100年も経過しているのである。 ヴェーバーの著作の問題点を詮索するよりも、ヴェーバーの視点を参考にして未来を考えるべきだと思う。 そこで、深沢訳の『ヒンドゥー教と仏教』のレビューでは、21世紀以降の『宗教の智慧(倫理ではなく)と七不退法が生きる(共和・民主的)経済体制』を考えて見た。 本レビューでは、バラモン教の源泉である「ウパニシャッド教義」と、仏教の源泉である<釈尊の教法の真義>について考える。 *** 『古代インドの神秘思想:初期ウパニシャッドの世界』(服部正明著)は、自己(アートマン)を観想する方法として、 1 初期ウパニシャッド時代(B. 8~B. 5)の「念想(ウパース)」、 2 中期ウパニシャッドの時代(B. 5~B. 2)の「ヨーガ」、 3 釈尊在世の時代(B. 6~B. 5)に苦行者が実践した「禅定や三昧」、を挙げる。 「念想(ウパース)」という儀礼は、「ある既知の現象的存在Aを、至高存在Bと神秘的同値する心的過程」すなわち「私Aと神Bが一体となり、私Aが神Bの力を発現する心理的過程」のことである。 このことを真言密教は「三密加持」と呼ぶ。 仏(本尊)Bの身・口・意の三密(秘密の働き)と行者Aの身・口・意の働きが互いに感応(三密加持)し、仏(本尊)Bと行者Aの区別が消えて一体となる境地に安住する瞑想を、空海は「入我我入」と呼ぶ。 だから、「有」の瞑想と呼ぶこともできる。 実際に、真言密教の不動護摩法では、仏界から本尊をお迎えし、修法者と本尊が一体となり、一体となった本尊の力を修法者が発揮して加持祈祷を行うが、これこそ「ウパース(念想)」の典型であり、「観」の瞑想の典型である。 一方、B. 7世紀のヤージュニャヴァルキヤは、『自己(アートマン)は純粋な意味で認識の主体に他ならないのであるから、決して対象にはなりえない。 自己(アートマン)は把握することも表現することも究極的には不可能である。 従って、自己(アートマン)は「~ではない、~ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようがない』という「五蘊非我」の哲学を確立する。 これが「止(サマタ)」の瞑想の始まりであり、「無」の瞑想と呼ぶこともできる。 このように、「止・観」の瞑想はウパニシャッド由来である。 釈尊が指導した方法ではない。 アレキサンダーにより西洋文化とインド文化が交流を始めたB. 2世紀の中央アジアで生まれたのが小乗部派仏教である。 そこでは、ウパニシャッドに通暁した天才的な若者達が「止・観」の瞑想を仏教に導入したに違いない。 しかし、それが<釈尊の教法の真義>である菩提分法の変節の始まりとなった。 *** <釈尊の教法の真義>とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ(阿羅漢)になる」ことである。 その聖者とは「凡夫の心」に「ブッダの心」が共存する者である。 「凡夫の心」である「欲界の痴」が、「ブッダの心」である「欲界の智」に置き換われば、第一段階の聖者「預流(シュダオン)」に進化する。 この「預流」にならなければ<釈尊の教法の真義>は絶対に理解出来ないのである。 凡夫を聖者にするのは、『心の量子トンネル現象』である。 「ブッダの心」が「凡夫の心」に染み込む心の量子トンネル現象は、「欲界の痴」=「身見+疑惑+戒取」=「三結(三煩悩)」に気づいた瞬間に始まる。 「身見」は『私』および『私のもの』という自尊心(自己中心の思い込み)のこと、「身見」に迷うことで生じる「疑惑」は「懐疑心・偽善心に基づく失敗への怖れや不安(焦燥感)」のこと、「身見」に頼ることで生じる「戒取」は「古い固定観念(迷信や過った先入観)」を絶対視することである。 一旦、『心の量子トンネル現象』が開始すれば、その影響が継続し、やがて「戒取」がもたらした「欲界の貪ぼり(欲貪)」と「疑惑」がもたらした「欲界の怒り(瞋恚)」が減少して第二段階の聖者「一来(シダゴン)」となる。 さらに、「欲界の貪・瞋・痴」=「身見+疑惑+戒取+欲貪+瞋恚」=「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還(アナゴン)」になる。 「不還」になれば、欲界との縁が切れるので、人間界(欲界)への輪廻転生はない。 欲界との縁が切れた「不還」は、間もなく、第四段階の聖者「阿羅漢」(=第一段階のブッダ)になる。

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